8 ヒナトリ・アンティーク




ヒナトリ・アンティークは既に閉店していたが

裏口のインターホンが鳴った。

夕食を済ませたヒナトリがモニターを見ると

そこには築ノ宮がいた。


「なんだ、彬史か。」


ヒナトリは裏口を開けて築ノ宮を中に入れた。


「どうしたんだ。」

「すまん、時間外だが、その、プレゼントを……。」


少し恥ずかし気に築ノ宮が言う。

そのような表情の彼をヒナトリはほとんど見た事がない。

彼はにやりと笑った。


「なんだ、彼女か。今度はどんな人だ。」


ヒナトリがにやにやしながら築ノ宮の肩に腕をかけた。


「いや、その……、」


いつもと反応が違うとヒナトリは思った。


築ノ宮は今まで何人もの女性と付き合っている。

全てお見合いなのはヒナトリは知っていた。

そして儀礼的に贈り物をするが選ぶ時はかなり事務的だった。

だが今はどこか違う。

そして彼の気配が以前と全然違う事に気が付いた。


その時更紗がヒナトリの後ろから顔を出した。


「いらっしゃい、彬史さん。」

「すみません、遅くに。」

「それは構わないけど夕食は食べたの?」

「実はまだです。」


更紗がにこりと笑う。


「すぐ用意するから食べて行ってね。」


築ノ宮とヒナトリは穂積師の下で修業をした兄弟弟子だ。

家族同然と言える。

更紗が奥に入るとヒナトリが築ノ宮に顔を寄せて小声で言った。


「なんだお前、恋をしてるのか。」


築ノ宮が面食らった顔になった。


「恋、って、」

「いわゆる発情期の香りだ。

そう言うの更紗が詳しいんだ。あいつ山育ちだからな。

動物をいっぱい見てる。だから俺も教えてもらった。

なんと言うか匂いが違う。」

「動物……、」

「だって人も動物だろ?」


築ノ宮の顔が真っ赤になる。

図星のようだとヒナトリは思った。

彼は何かを企むようににやりと笑った。


「とりあえず飯喰えよ。

それからゆっくり選べばいい。一杯飲みながら、な。」


いつもはヒナトリが築ノ宮にからかわれる立場だ。

だが今日は雲行きが違う。

晩酌をしながら遊ばれるのは築ノ宮だろう。


背中をバシバシと叩かれながら築ノ宮は部屋の奥に行くと

匂いが漂って来た。

醤油の香りだ。




「で、お前はどう言うものを考えているんだ。

贈る方の好きな色は?」


食事を済ませて落ち着いた頃に

ヒナトリがショーケースを前に築ノ宮に聞いた。


「桜色、かな。」

「桜色?ほう。」


ヒナトリははっとする。


色でも赤や黄色みたいな一般的な色を言われるのと、

桜色のように限定された色を言うのとでは全然違う。

買う客は色にこだわりがあるのだ。


「優しい色だな。ピンク系の宝石は結構あるぞ。

コンクパールとかサンゴとか。

真珠にもピンク色がある。」

「いや、透明感のある石が良い。」

「ならクンツァイトとかスピネルとか、ローズクォーツかな。

ダイヤやサファイヤにもピンクのものがある。

今うちにあるアンティークなら

ピンクサファイヤとローズクォーツがある。

ヴィンテージでもいいならクンツァイトもあるぞ。」


彼はジュエリートレイにそれぞれアクセサリーを乗せた。

築ノ宮はそれぞれを手に取って見る。


「ピンクサファイヤは綺麗だが光が強いな。

クンツァイトも美しいがイメージが違う。」


築ノ宮がぶつぶつと呟きながらそれぞれを吟味している。

今までと違う様子だ。


「なあ、彬史。」


築ノ宮がちらとヒナトリを見た。


「宝石を贈りたい人はどんな人なんだ。」


築ノ宮が宝石を見た。


「すごく可愛い人だ。」

「どこの令嬢だ。」

「令嬢じゃない。」

「見合いじゃないのか。」


築ノ宮が首を振った。


「違う。占い師をやってる。でも普通の人だ。

一人で生きて来た人だ。」


ヒナトリは驚いた。


「びっくりだな、どこで知り合ったんだ。」

「たまたまな。」


築ノ宮がヒナトリに笑いかけた。


「絶対にお前や更紗さんと気が合うと思う。

とても優しい人だ。」


ヒナトリは彼の顔を見た。

今までにない穏やかな顔だ。

どこかいつも気を張っている築ノ宮の顔ではない。

気を許せる本来の自分を出せる場所が出来たのだ。


最初は築ノ宮を少しばかりからかう気持ちがヒナトリにはあった。

だが今はそれは全く無くなった。


ヒナトリはローズクォーツのヴィンテージのブローチを持った。


「アンティークではなくヴィンテージだがな。

1940年代のイギリスのものだ。」


小さな花びらに囲まれて柔らかな色目のローズクォーツが

中心にある小さめのブローチだった。


「ブローチだが裏にチェーンを付けて

ペンダントトップにも出来る。

お前がいつも買う物よりとても安いものだが、

今のお前は値段じゃないだろ。

この石の意味は愛、優しさだ。」


築ノ宮がそのブローチを受け取る。

中心のローズクォーツは美しい楕円形だ。

そして周りの銀の花びらは桜に似ている。

それが桜色の石を取り囲んでいた。

彼女の髪と同じ色だ。


「愛、優しさ……、」

「今のお前はそのまんまだろ。

石の意味がはっきりと伝わるはずだ。おーい、更紗。」


ヒナトリが更紗を呼んだ。


「これをラッピングしてくれるか。

シンプルだが美しく。」

「はい。」


更紗がブローチを見た。


「とってもいい石ね。美しいわ。」

「あっ、少し待って下さい。」


と築ノ宮が言うと彼はブローチを持ってまじないを唱えた。

ヒナトリと更紗がそれを見た。


「守りの呪か。」

「そう。この石が彼女を守るように。そして私と結ぶものとして。」


更紗がため息をつく。


「何だか素敵ねぇ、良いわ。」

「なんだ、女はそんなもんか?」


更紗がじろりとヒナトリを見た。


「ロマンチックじゃない。

離れていても相手の気配を感じるのよ。」

「そんなもんか?なあ、彬史。」


築ノ宮がにやにやと笑った。


「まあお二人はいつも一緒ですからね。

呪なんて関係ないですよ。ねえ更紗さん。

羨ましいです。」


と言うと更紗がにっこりと笑った。

それを見て築ノ宮が言う。


「ヒナトリ、更紗さん、機会があれば彼女を連れて来ます。

お気に召して頂けると思います。」




築ノ宮はラッピングされたブローチを持って帰って行った。


「なんだよ、飲んで行けばいいのに。」

「だめよ、彬史さん、車で来たんだから。」


ヒナトリがぶつぶつと文句を言った。


「でも彬史さん、全然雰囲気が変わったわね。」

「だな、もろ分かるよな。」

「恋、よ、恋。

あんなに無防備な彬史さんは初めて見たわ。

私達がいつも一緒なのを羨ましいって。

恋する気持ちがだだ漏れ。」

「ああ、だだ漏れだな。」


ヒナトリが笑った。


「あいつな、見合いとかは何十回としてるんだよ。

その度に贈り物と言ってここで買っていたけど、

いつも適当だったんだ。

でも今日は真剣だった。それだけ本気なんだろうな。」

「どんな方かしらね。」

「優しいと言っていたぞ。そのうち連れてくるだろう。」

「ふふ、楽しみね。」


ヒナトリと更紗は出会ってから2年程になる。

二人は絶対に離れられない宿命を背負っていた。

この街を、国を救う定めだ。


それはとても重い天命だ。

だが二人は力を合わせてそれを何度も乗り越えて来た。

強い絆で結ばれているのだ。


「彬史さんも大変な仕事をしているから、

支えになる人が出来たのなら私もとても嬉しいわ。」

「そうだな、いつもみたいな嫌味っぽい事はなかったし、

まあこのまま平和に過ごしたいよ。」


更紗がふふと笑う。


「あの人があなたをからかうのはストレス解消よ。」

「勘弁してくれよ。たまったもんじゃない。」

「仕方ないわね、あなたは癒しのたちだから。」


ヒナトリがにやりと笑う。


「そうだなあ、俺様は癒しの質だからな。しょうがないな。」

「癒しなら白川しろかわさんもそろそろいらっしゃるんじゃない?

去年作ったキイチゴ酒が良い感じだもの。」

「まあお前達は勝手にやれよ。

俺は付き合い切れん。

放っておいたら朝まで飲みかねんからな。」


更紗はすました顔をして彼を見た。






築ノ宮は彼女のマンションに着いた。

もう夜も遅い。

だが彼女の部屋の電気はついている。


築ノ宮は彼女に連絡をすると

すぐに部屋のカーテンが少し開いた。

彼はにこりと笑うと車を降りた。


彼女は寝る寸前だったのだろう。

パジャマ姿だった。

築ノ宮は少しドキリとする。


「遅くにごめん。」

「ううん、来てくれて嬉しい。」


波留がここに住みだしてからしばらくになる。

以前はたまに築ノ宮が買ったカプセルトイを持って来るぐらいで

がらんとした感じだったが、

今は少しばかり生活感が出て来た。

部屋の中は温かい。


「何か飲む?ご飯は食べた?」

「ああ、さっきヒナトリの所で食べた。」

「ヒナトリさん?」

「話してなかったかな、私の兄弟弟子だよ。

アンティークショップをやっているんだ。」


築ノ宮は先ほど買った宝石のケースを出した。

薄いピンクで白いシフォンのリボンがかかっている。


「そこで親子丼を食べてこれを買って来た。

開けてみて。」


波留がそれを受け取り嬉しそうに築ノ宮を見た。

そして中のブローチを見る。

ローズクォーツが彼女の手の中で輝いた。


「すごく綺麗……。」


波留がそれを光にかざしてしみじみと見た。


「1940年代のイギリスのものらしい。

ローズクォーツだよ。周りの花びらが桜に似てる。」


彼は彼女の手からそれをそっと取ると

パジャマの彼女の胸元にそれを付けた。


「チェーンをつけたらペンダントにもなるんだ。

今度機会があったら買いに行こう。」

「ありがとう。でも高かったでしょう?」


築ノ宮が微笑む。


「まあそんなに高い物じゃない。

でも私はこれをハルに贈りたかったんだ。

ヒナトリもこれが良いと言ってくれたよ。」


彼が彼女をそっと抱きしめた。


「ヒナトリが言ったんだ。

ローズクォーツの意味は愛と優しさだって。

そしてこの石はハルの色だ。

それにおまじないをかけたよ。ハルを守るようにと。

いつもハルと私が一緒に居られるように。」


波留は彼の胸元に顔を埋めた。


「……嬉しい。すごく嬉しい。」


彼の背に回された彼女の腕が強く築ノ宮を抱いた。

彼も彼女を抱き締めてその髪に口づける。


しばらく二人はそのままだった。

そして顔を上げる。

築ノ宮は彼女の瞳の中に光を見た。

背筋にぞくりとしたものが駆け上がる。


二人は顔を重ねた。

それはいつもより長く深かった。

そして築ノ宮は彼女の首筋にそっと唇を添わせた。

波留が微かにため息をつく。


そして彼はそのまま手を彼女の曲線に合わせて撫でて行く。

少しずつ彼の中に熱いものが湧き上がって来た。


「ハル……。」


ため息のような声が彼女の耳に届く。

耳の奥でその声は甘く響いた。


「アキ……、」


彼女の声もいつもと違う響きだ。


築ノ宮は彼女を抱き上げると寝室に向かった。

波留もその首筋に腕を絡ませる。

いつもと違う夜が始まるのだ。






波留にとってはそれは初めての出来事だった。


彼の綺麗な手が全てを知るために彼女の体をまさぐった。

いつもとは違う築ノ宮の呼吸が彼女に聞こえる。

隠してしまいたい気持ちがありながら、

全てを彼に預けている。


彼女の白い胸元に彼が顔を寄せた。

柔らかい感触を彼は楽しんでいるようだ。

やがて彼の熱い全てが彼女の中に入って来た。

鋭い痛みが走り思わず彼の背中に回した手に力が入った。


「ごめん……、」


彼は小さな声で囁くがそれすら彼女の気持ちを高めるだけだ。

彼の力に翻弄されて彼女は無我夢中でただしがみついている。

思わず声が漏れる。


やがて薄く汗をかいた彼が彼女の中で熱く果てた。

そしてその力が緩やかになる。

彼女は薄く目を開けて彼を見た時、

築ノ宮が彼女にキスをした。


「ハルは初めてだったの?」


唇に軽く触れながら築ノ宮が聞いた。


「……うん。」


小さな声で波留が答えた。

今時この歳まで経験が無いのはおかしいのかもしれない。

波留はどちらかと言えば少し変わった子だった。

避けられる事の方が多かったのだ。

だが築ノ宮はそれを聞くと彼女に深く口づけた。


「光栄だな。」


築ノ宮は波留を見てにっこりと笑った。

波留は一瞬驚いた顔になったが彼の頬に手を添えた。

その瞳がゆらゆらと光り輝いている。


それは彼女の血のせいかもしれない。

普通の人は持っていないものだ。

築ノ宮にはその光は喜びの輝きに見えた。


彼女が心から自分を愛している印なのだろうと。


物の怪は人と違って純粋だ。

波留は築ノ宮と一緒にいるのが心から嬉しいのだ。


それをこの目で確かめられる事が

築ノ宮も嬉しかった。


波留は口づける。

彼もそれに応える。


二人の気持ちが漂うような穏やかな波のようだ。

お互いの温かみ感じながら二人はその流れに身を任せた。






「はい、今日は外泊します。連絡が遅くなってすみません。」


築ノ宮がどこかに電話をしている。


二人で体を清めた後、

ベッドに入る前に部屋の隅で築ノ宮が立っている。

電話が終わると彼は波留の元に来た。


「すみません。」


自分にやましい事があると言葉が丁寧語になる。

彼の癖だ。


布団の中は波留の体温で温まっている。

築ノ宮は中に入り彼女を抱き締めた。

体が温まる以上に心が温かくなる。


「所在をはっきりさせないと色々と言われるんです。」


彼女の胸元に顔を寄せて築ノ宮が言った。


「忙しいんでしょ?ものすごいVIPさん。」


築ノ宮が顔を上げてふふと笑った。


「実はそう。」

「そうよね。

本当は帰った方が良いんじゃないの?」


彼女の胸に顔を押し当てていた彼が顔を上げた。


「じゃあ、帰ろうかな。」


とにやりと笑った。


「帰っちゃダメ。」

「だよね。」


二人は額を合わせて微笑んだ。


「今日は帰りたくない。

ハルとずっとこうしていたい。」


築ノ宮は今までこんな風に思った事は無かった。

そして女性にそんな事を言ったのも無かった。


波留だからそう感じるのだ。

彼女と出会ってからの時間が全て彼には大事なものに思えた。


「お休み。」


二人は目を閉じた。


やがて波留の寝息が聞こえた。

築ノ宮もうとうととする。

そして彼女の髪に顔を寄せた。


爽やかな香りがする。


それが彼の眠りをそっと誘った。






早朝、波留は隣にいる築ノ宮の気配で目が覚めた。

彼は彼女をじっと見ていた。


「おはよう。」


彼が笑いかける。


「おはよう……。」


昨日は自分の全てを彼は見たのだ。

少しばかり恥ずかしい。


「ずっとハルを見ていたよ。いびきをかいてた。」

「えっ……。」

「かいてないよ。」


波留が少し築ノ宮を睨んで彼の胸元に顔を寄せた。

彼は彼女を強く抱きしめる。

波留は彼の顔を見てその頬に触れた。

ざらりとした感触がある。


「髭が伸びてる。」

「生きているから。」

「そうだけど……。」


波留がくすくすと笑った。


「髭なんてない気がしてた。」

「だって男だよ。」


築ノ宮が彼女に軽くキスをした。


「それはハルがよく知っているだろ?」


それを聞いて彼女の体が熱くなる。


「そろそろ行かなきゃ。」

「仕事?」

「そう。」

「ハルも仕事だろう?」

「……うん。」


築ノ宮が彼女の髪に顔を寄せた。


「お昼休みに連絡して。

その時間に返信できないと思うけど必ず見るから。」

「この前も既読になっていたから読んだのは分かったわ。」


丁度叔父の橈米が来た時だ。


「忙しくて返信も出来なかった。ごめん。」

「良いの。忙しいのは分かってるから。

読んでくれたという証拠があるだけで十分よ。」


彼は彼女にそっと口づけるとベッドから降りて服を着始めた。

大きな背中が服に包まれて行く。

築ノ宮はすぐにいつもの背広姿に変わった。


「じゃあね。」


波留が玄関まで出て彼を見送る。

扉が開くと冷たい朝の空気が入って来た。

部屋から駐車場を見ていると築ノ宮の姿が現れて、

窓から見ている波留の姿に気が付き

手を上げて車に入って行った。


エンジンの音がする。

彼の車はすぐに行ってしまった。


波留はため息をつくと椅子に座った。

彼女は目を閉じて自分の体に残された

彼の熱を思い出していた。


自分が知らない世界を築ノ宮は開いた。

愛が辿り着く一つの場所だ。

そこには二人の間に距離は全くない。

深い所で愛し合うのだ。


そのような時間が自分に訪れた事が波留には今でも信じられなかった。

自分の体には彼の痕跡がいくつもある。

そしてそれを想像すると体の芯がじわりと熱くなった。


それにいつもは堂々とした紳士の築ノ宮が

自分の前だけは誰にも見せない姿を現すのだ。

ため息をつき声を漏らす。

我儘な子どものようにいつまでも彼女の体に触れている。

それは皆は知らない彼の姿だ。


しばらく彼女は余韻を体中で感じていた。


「でも……、」


自分も仕事に行かなくてはいけない。

いつまでも夢の様な事を考えていてはいけないのだ。

波留は築ノ宮を思い出す。

あの人も仕事だと出て行った。


「一緒よね。」


だがこのような深い間柄になりながら

いまだに彼の仕事を詳しくは知らなかった。

そして住んでいる所も。

知っているのは名前と連絡先だけだ。


考えてみれば変な話だ。

出会ってからかなり早く二人は気持ちが通じ合った。

そして波留は相手の心を読むことが出来る。

それでも築ノ宮の心はよく分からなかった。


ガードが堅いのだ。

だが波留に対する心だけはなぜかよく分かる。

それを思い出すと波留の頬が熱くなった。

波留がとても好きなのだと言うのは全く隠されていない。


そしてとても強い心の持ち主なのは分かっていた。

最初に彼女が見たカード、キングの4枚は彼自身だ。

君臨する者なのだ。


だがその奥に隠されたものがある。

本人の強い光の奥には闇の気配がある。

そして逆位置に出たジョーカーを思い出した。


築ノ宮の中にあったあれは何なのかは分からなかった。

どの人間にも暗い部分はある。

だが築ノ宮の闇は異質だった。人が持つ闇ではない。


それは彼が果てた瞬間に見えた。

多分波留に触れている時は無防備になる間があるのかもしれない。


波留はちらりと自分のポーチを見た。

その中には自分が扱うカードがある。


彼を占うか、それとも……。


彼女は昔から自分自身を占ってはいけない気がしていた。

だから自分のためにカードを持った事はない。

全て人のためだ。


そして築ノ宮は今では自分の心に深く住み着いている。

もうただの他人ではないのだ。

彼がいる今が自分の全てなのだ。


テーブル上に昨日築ノ宮が彼女に贈った

ローズクォーツのブローチが入ったケースがある。


彼女はそれを手に取り中を見た。

朝日の中でローズクォーツが優しい色で光っていた。

自分の髪と同じ色の石の周りに花びらがある。

とても美しいデザインだ。


これを彼が選び自分に渡した。

愛と優しさを象徴する石だと築ノ宮は言った。


この石は彼が波留に持つイメージなのだろう。

少しばかり気恥しいがそこまで言われて嬉しくない訳がない。


彼を信じるしかない。

何も話さなくても築ノ宮は誠実なのは分かっている。

いつかは彼をもっと分かる時が来るだろう。


波留は立ち上がり朝食の準備を始めた。

今日一日も人を占うのだ。

幸せに導き、時には苦しみから救う。

そんな仕事が出来れば良いと波留は思った。

築ノ宮は初めて会った時に言った。

力を善き事に使って欲しいと。


行きがけに彼女は胸元にローズクォーツのブローチを付けた。

大事な宝物だ。

彼の事情は分からない。

だがそれが何であっても

自分は築ノ宮のそばにいたいと波留は思った。







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