9 素鼠老(すねろう)




「おはようございます。」


築ノ宮がいつも通りの時間に出社した。

背広は当然着替えている。


「おはようございます。」


由美子が立ち上がり、築ノ宮に言った。


「早速ですが、今日のご予定を。」

「はい、では執務室で。」


築ノ宮と由美子が部屋に入り、今日一日の予定を確認する。

予定はびっしりだ。


「今日も大変ですね。」


築ノ宮が机の上に肘をつき顎に手を当てて難しい顔になった。


「あの、築ノ宮様。」

「はい。」

「昨夜はどちらに。」


彼がはっとした顔になる。


「深く詮索する気はございませんが、

居場所だけははっきりして頂いた方が無難かと。」


築ノ宮の目が一瞬泳ぐ。

それを由美子は見たが事務的な顔は変わらない。

だが何かあったのだというのは察していた。

しかも特大の何かだ。


「その、あのモールのそばのセーフハウスです。」

「カプセルトイが置いてあるマンションですね。」

「整理していたら遅くなってしまって。帰るのも面倒で泊まりました。」


大嘘なのは由美子には分かった。


「分かりました。

これからは出来ればお早めにご連絡いただけると

ありがたく思います。」

「すみません、ご心配かけたようですね。

これからは気を付けます。」

「では10分経ちましたら呼びに伺います。」


と言うと彼女は部屋を出て行った。

彼はその後ろ姿を見て大きなため息をついた。

なかなか自由に動けないと思いつつ仕方がないのだ。


彼は宇宙人が付いたスマホを出した。

波留からラインが来ている。

それを見て彼の顔に笑みが湧く。


彼は昨夜を思い出す。


最初から彼女に触れたくて仕方がなかった。

だが捕まえようとすると逃げてしまう。

あのように避けられる事は今までなかった。

だがやっと彼女を得たのだ。


マンションまで用意して強引だったかもしれない。

だがあのプライベートなどほとんどない

古いマンションに彼女を置いておくのは我慢出来なかった。


それを彼女は怒ってしまったが、

それも彼にとっては新鮮だった。

彼にとっては女性に何かを用意するのは常識だった。

それがマナーだと思っていた。


今まで付き合った女性は全てこちらが準備するのが当たり前だった。

デートで食事をする場所も贈り物も。


だが波留は彼女が食事の場所を選んだ。

そして彼女は何度も彼を振りほどいた。

目の前ではっきりと拒否されたのだ。

今まで出会った事がない女性だ。


それに波留は不思議を持っている。

あの瞳の奥の光を見ると頭の芯が痺れる気がする。


築ノ宮は探していたものがそこにある気がしていた。


多分自分は彼女から離れられないだろう。

そして彼女も。

昨夜を彼は思い出す。

とろけるような甘い時間だ。

温かい感触は心地良かった。

今でも彼女の囁きが耳元に聞こえる気がする。


「ハル……、」


とラインで文字を打った時だ。

扉がノックされる。


「はい。」


彼はスマホを閉じて立ち上がった。

今日も既読しか付けられなかった。

だが波留は分かってくれるだろう。


彼は気を引き締めるために大きく息を吸った。




その日の夕方だ。

移動中の車の中で由美子が言った。


「築ノ宮様、急ですが素鼠すねろう様から

至急お会いしたいと連絡がありました。」


素鼠老は小柄な老人の鼠の物の怪で、

この街に住む物の怪の総大将のような存在だ。


「素鼠老様が……。

となるとか深刻な話かもしれませんね。」

「と思います。

なので一時間ほど時間を空けました。

今素鼠老様のご自宅に向かっているのでお話を聞いて頂けますか。」

「分かりました。」


素鼠老は古い団地に住んでいる。

そこには老人が多く住んでいるので、

年寄りの姿の素鼠老がいても違和感はない。


車は離れた所に待機させ、築ノ宮は素鼠老宅を訪れた。

物の怪である素鼠老が三五ビルに来る事はまずない。


「すまんな、築ノ宮殿。」

「構いませんよ。」


こじんまりとした団地の室内だ。


「時間もないんじゃろ、

いきなりだが本題に入らせてもらう。」

「どうぞ。」


お茶を出しつつ素鼠老が言う。


「築ノ宮殿が作った聖域なのじゃが、

わしはあそこが出来たのは良い事だと思っとる。

じゃがどうも不満がある者達がいてな、

そのやからが街に住む物の怪達を消している様なのじゃ。」

「消している?」


素鼠老がため息をつく。


「消されているのは人と慣れ合っていると

彼奴きやつが考えている物の怪の方々じゃ。

聖域を物の怪を閉じ込める為に作ったと考えておる。

聖域を作ったのは人だから、

街で人に紛れて生きている物の怪は敵であると……。」


築ノ宮がため息をついた。


「なんと浅はかな。

聖域は物の怪の方々は自由に出入りできますが、

人は入れない場所です。

むしろ人の方が制限されている。」

「まあ、勝手に決められたと言うのが面白くないんじゃろうな。

それとやはり今の世は人の方が力がある。

それも不愉快なんじゃろう。

だから人と慣れ合っている物の怪を消しているらしい。」

「消す、とは?」

「全ての痕跡を消しているんじゃ。

その者を知っている周りの人や物の怪の記憶の中の

消えた物の怪の痕跡が無くなる。

ともかく何もかも無くなるんじゃ。

だから発見が遅れた。

他の街では既に100人以上消えているんじゃ。」

「相当な話ですね。」


素鼠老の顔は暗い。


「それを聞いたのは二、三日前じゃ。

そして調べてみるとこの街でも既に何人か消えていた。」

「それがどうして分かったのですか。」

「築ノ宮殿の組織に登録されているリストからじゃ。」

「私の組織のですか?」

「少し前に他の支部でたまたまリストを調べたらしい。

すると大勢の物の怪が消えていた。

それがわしの知り合いの耳に入ってな、

わしに連絡が来たんじゃ。

それで渡辺さんにこちらの三五のリストを調べて頂いた。

確認したら何人かいなくなっていたのじゃ。

じゃが最近登録された者は消えとらん。

大体10年ぐらい前までに登録された者ばかりじゃ。」

「痕跡は全て無くなるんですよね。」

「直接その物の怪を知っている者だけじゃよ。

リストは書類だからな、それは消えておらぬ。」

「私共のリストはある意味物の怪の方々の戸籍みたいなものです。

善良な物の怪の方ばかりです。」

「それが気に入らんのじゃろうな。

もしかすると登録されておらぬ物の怪も犠牲になっておるかもしれんが。」


築ノ宮が腕組みをした。


「でもそんな大掛かりな事をするのは一人では無理ですよね。」

「わしもそう思う。

複数、かなりの者が関わっていると思う。

ある意味これはテロじゃよ。人と物の怪の均衡を乱す、な。」


築ノ宮が窓の外を見た。

既に空は暗い。

夜が始まっている。


「わしは聖域を作った事は画期的だと思っとる。

築ノ宮殿が首領になる前はわしらはびくびくと暮らしておった。

山に戻ってもそうじゃ。

人はありとあらゆるところを開発するからな。

じゃが築ノ宮殿が聖域を作った。

安心して戻れるところが出来たんじゃ。」


素鼠老がお茶を啜った。


「築ノ宮殿のお父上も聖域を守って下さっておる。

ありがたい話だ。」


築ノ宮がふっと笑う。


「私も父がそちらに行くと決めて驚きました。」


築ノ宮の前世代の彼の父親の博倫ひろみち橈米どうまいは正反対の性格だった。


全ての物の怪を消し去る橈米と、

まず物の怪と話し合う事を信条にしていた彼の父。

その父は聖域が出来た時に自らそこに向かい

守ると言い出したのだ。


もしかすると父も物の怪と近づきたい気持ちがあったのかもしれない。

築ノ宮が物の怪に惹かれるように。


「お父上とはそれからお会いなさったか?」

「いえ、なかなか忙しくて。」

「そうか、たまにわしは森に戻るからな、

またお父上と築ノ宮殿の話をしよう。」

「良い話をして下さいね。」


素鼠老がふふと笑う。


「当然じゃよ。

築ノ宮殿は立派に仕事をなさっておる。」

「ありがとうございます。」


そろそろ時間が来る。

築ノ宮が席を立った。


「でもそのような者はまず素鼠老様を狙いませんか?」


素鼠老がにやりと笑った。


「じゃろうな、でもわしは大丈夫じゃ。

わしに手を掛けたらとてつもないさいが下るからな。

まあそれで相手が全滅すればそれはそれで良し。」

「だめですよ、

まだ色々と教えていただきたい事があるんですから。」


そして素鼠老がふんふんと鼻を鳴らす。


「ところでな、築ノ宮殿。」


帰りかけた築ノ宮が素鼠老を見た。


「お前様、最近とても良い事があったようじゃな。」


築ノ宮が驚いた顔になり、少し笑った。


「何やら良い顔になっておられる。大事になされよ。」

「はい。」


素鼠老には何となく分かっているのだろう。

築ノ宮が静かに部屋を出て行った。

素鼠老は呟く。


「良いなあ、若いって。わしも彼女が欲しいのう。」









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