6 サプライズ




波留は築ノ宮から来たスマホのラインを何度も見た。


ただの文字が並んでいるだけだが

優しく甘い言葉に見えた。


「今夜、ね……。」


彼女は口元が緩むのを感じた。


今日は彼女の仕事は休みだ。

溜った家事を済ませたが何もない家だ。

すぐ終わってしまった。

そして隣の男性は今はいないようだ。

少しばかりのびのびと出来ると彼女は思った。


だが昨夜はあの嫌味な彼が助けてくれた気がした。

テレビの音量を大きくしてくれたおかげで

近づかなければ話が出来なかったからだ。

彼は嫌がらせのつもりだっただろうが、

波留にとってはありがたい出来事だったのだ。


昨夜は色々な事があった。

一晩で彼女の気持ちはすっかり変わった。


まだ不安はないわけではない。

だが築ノ宮も自分と同じ気持ちを持っていたことが

本当に嬉しかった。

そして彼の感触を思い出すと体が熱くなる。

波留は自分の唇にそっと指を当てた。


「でもどうして荷物をまとめてなんだろう?」


彼女は部屋を見渡す。


ほとんど物はない。

小さな冷蔵庫や洗濯機は元々あるもので家具は作り付けのものだ。

週単位で借りている賃貸だ。

長く住む場所ではない。

仕事が順調になればもっと住みやすい所に引っ越せるかもしれない。

だがそれはいつになるだろう。

今は毎月ほんの少し貯金が出来ればましな収入だ。

父親が残してくれた貯金はあるが、

出来れば使いたくなかった。


「アキ、はどこに住んでいるのかな?」


そのアキと言う言葉を自分で言って波留はドキリとする。

人と気持ちが通じ合ったばかりの頃は

このように小さな事までときめくのだろうか。

彼女にはそのような経験がなかった。

気持ちがふわふわとする。


「荷物まとめなきゃ。」


彼女は紙袋を取り出す。

多分全部まとめても3、4袋だろう。






ノガワ社での調査は思った以上に早く済んだ。

調査だけの予定だったがその原因まで解決できた。

何しろ築ノ宮が絶好調だったからだ。

まだ日は暮れていなかった。


「お見事でした。築ノ宮様。」


術師の一人が小さな壺を手にして彼に言った。


「思ったより素直な物の怪で幸いでした。彼も辛かったようです。

なので色々と事故を起こしていたようですね。」

「そうですね。」

「なので聖域に彼を運んでいただけますか。

物の怪には話はしてあります。

その後は私の父が上手くやってくれるでしょう。」


少し離れた所で由美子が記録を取っていた。


「お疲れさまでした。

結果報告は私の方からさせていただきます。

築ノ宮様は今日は御用がおありですよね。」


築ノ宮がにっこりと笑う。


「そうしていただけるとありがたいです。

報告は明日でも良いでしょう。

渡辺さんも今日はお帰り頂いても構いませんよ。」


そう言うと築ノ宮がいそいそと歩いて行った。

それを由美子と術師が見送る。


「宮様は一体……、」


術師がぽかんとした顔で言う。

由美子はそれを見て苦笑いをした。


「この前から様子が変わったの。」

「まあ嫌な感じでなく何だかハッピーな様子だが。」


二人は顔を見合わせた。

彼らは築ノ宮が子どもの頃から知っている。


「宮様は何歳だ。」

「28歳ですね。」

「独身だよな。」

「ええ………。」


二人は思わず笑い出した。


「宮様は昔から年に合わず冷静な落ち着いた方だと思っていたが、

こう言う事は隠せないのか?」

「本当は素直な方なんですよ。」


二人が思いついた事は同じだろう。


「しばらくそっと見守りましょうか。」


二人は笑いながら頷いた。






築ノ宮が波留の住むマンションの前に車を乗りつけた。

黒いレンジローバーだ。


「ああ、連絡するのを忘れていました。」


彼は慌ててスマホを取り出し彼女に連絡した。

その時車の外を一人の男が通りかかる。


築ノ宮がちらりと見るとその人は波留の隣に住んでいる男だった。

彼は築ノ宮を見ると少し嫌な顔をした。

築ノ宮は車から降りると彼に笑いかけた。


「昨日はお騒がせしまして申し訳ありませんでした。」


笑いかける築ノ宮に男は少しばかり身を引く。


「いや、その、」

「込み入った事情があったので。でも無事解決しました。

あなたのおかげです。」


男が意外そうな顔をした。


「俺?」


築ノ宮が笑いながら手を差し出した。


「ありがとうございました。」


男がおずおずと手を出した。

築ノ宮が強くその手を握った。

男はその手をしばらく見ている。


「その……、車、もう少し内側に入れると良いぞ。

ケーサツにすぐ電話する奴がいるからな。」

「そうですか。ありがとうございます。」

「それでも早めに動かせよ。」


男はそう言うと部屋に入って行った。

その時波留が扉を開けた。


彼女が築ノ宮に笑いかける。

彼もにっこりと笑った。




築ノ宮が部屋に入ると荷物がある程度まとめてあった。

だが全部ではない。

壁には服がかけたままでマットレスはそのままだ。


「波留さん……、ハル、全部まとめてと言ったでしょ?」

「全部って?」

「引っ越しです。」

「……ひ、引っ越し?」

「早くして下さい。車を停めておくと

お隣の彼が警察が来るかもと教えてくれました。

冷蔵庫の中もともかく持ち物全部です。」


築ノ宮がマットレスを抱えている。


波留は慌てて冷蔵庫を開けてその中のものを紙袋に入れ、

壁の服もくしゃくしゃのまま衣装ケースに突っ込んだ。

いずれは引っ越すつもりだったので、

必要な物しか置いていなかったのが幸いした。


「契約書類も全部持って来てくださいね。

電化製品のコンセントも抜いて下さい。」


波留は急いでそれも持ち出し、

二人は数度荷物を持って車に走った。


「忘れ物はないですね。」


最後に玄関の鍵をかけて二人は慌てて車に乗り込んだ。

走り出すとパトカーとすれ違った。


「彼の言った通りでしたね。」


築ノ宮がバックミラーでパトカーを見た。


「彼って?」

「お隣の人ですよ。

さっき会ったので教えてくれました。」


波留は隣の男性を思い出す。

そのような親切をしてくれるタイプだろうか。


「昨日はあの人に助けられましたからね。

だからさっきあの人に加護を与えました。」

「加護?」


築ノ宮が咳払いをする。


「いや、昨日あの人がテレビの音を大きくしたでしょ?」


波留がはっとする。


「あの、私もそう思っていたの。」


ふふと笑って築ノ宮が波留を見た。

そして片手で彼女の頭を撫でる。

桜色の髪の柔らかい感触だ。


ちなみに隣の男は一週間程後に正社員の仕事が見つかった。

一月後にはマンションも出た。

それは築ノ宮のおかげだったのかは分からない。

これから彼がどのように生きて行くのかは本人次第だ。




車はやがて一棟のマンションの前に着いた。

波留が勤めているモールに近い。

駐車場に停めた車の中から彼女がぽかんとマンションを見た。


「ここに一部屋私の持ち物があります。

そこに引っ越しです。」


言葉もなくあっけにとられた顔で波留は築ノ宮を見た。


「前のマンションより全然良いと思いますよ。」


彼はにこにことしている。

だが波留は複雑な気分になった。


確かに前の住まいよりここは格段に良いだろう。

だがそれはあまりにも突然過ぎた。

そして彼には悪気がないのは分かっている。

だが自分と彼の生活の格差が露骨過ぎた。

波留は惨めな気分になった。


「築ノ宮さん。」


波留が少し低い声で言った。

それを聞いて築ノ宮がはっとする。

少しばかり二人は沈黙した。


「あの、何か気に障りましたか?」


築ノ宮がそう言うと波留がちらりと彼を見た。


「障りました。」

「……、」


築ノ宮は返事が出来なかった。


「築ノ宮さんがお金持ちなのは分かります。

そして私は貧乏です。

でもプライドはあります。

だからもっといい家があるからおいでと言われて

すぐ行けると思いますか?」


築ノ宮がはっとした顔になった。


「す、すみません。

その、そこまで考えていなくて、

自分は良いと思いついてしまって。」


築ノ宮がおろおろとした顔になった。

多分これも彼にはまったく悪気が無く、

自分が思いついた事を実行しただけなのだろう。

そしてそれは波留の為でもあるとも考えていたはずだ。


最初から築ノ宮はそうだったと波留は思った。


占いに関するアドバイスも食事に誘った事も。

全部いつの間にか彼のペースに乗せられている。

彼は無意識の悪気の無い強引さを持っているのだ。

そしてそれは彼女が最初に占ったキング4枚が象徴している。


人々の上に立つ男。

人を引っ張るのならそのような力は必要だ、


そんな男が今目の前でおろおろとしている。

波留は思わず俯いて口元に手を当てた。

彼女の肩が微かに揺れる。

築ノ宮が伺うように彼女を覗きこんだ。


「ごめんなさい。気が付かなくて。」


泣いているのかもと築ノ宮思ったのだろう。彼は彼女に言った。

すると波留がちらりと彼を見た。

その眼は笑っていた。


「!」


築ノ宮は思わず身を上げた。

それを見て波留が笑い出した。


「笑っているんですか?」

「だって……、」


彼女は笑い出した。


「笑う事ないじゃないですか。」


築ノ宮が拗ねたように言った。

波留は涙を拭きながら彼を見た。


「分かったわ、私を思ってやってくれたのね。」


ハンドルに手を掛けて拗ねた築ノ宮が彼女を見た。


「でもこれからは大きな事は相談してね。」

「……そうですね。」

「ありがとう。」


波留がにっこりと笑った。

築ノ宮がハンドルから離れて彼女を見た。

そして顔を寄せる。


「でもね、ハルの為だけじゃないよ。」


いつもと違う口調で築ノ宮が小声で言った。


「あの場所じゃハルともっと近づけない。」


波留は間近の築ノ宮を見た。


そして柔らかな気配をその唇に感じた。






二人は荷物を抱えてマンションに入って行った。


部屋は10階だ。

荷物を持ってエレベーターで昇って行くが

波留は徐々に妙なものを感じた。


10階に着きエレベーターから降りた途端体が動かなくなった。

築ノ宮が彼女を見てはっとする。

そして後ろを向いて何かをした。

するとすぐに彼女は体が動くようになった。


「なんだったの?」


彼女はよく分からなかったが築ノ宮は理由を知っていた。

この階には物の怪除けの結界が張ってあったのだ。


このマンションは彼のセーフハウスだ。

彼はいくつかそれを持っている。

そしてここは彼がよく行くモールに近い。

中に入るとカプセルトイを飾るコレクションケースが壁一面にあった。

一部屋丸々ケースが置いてある。

要するにここは彼の趣味部屋だった。


あっけに取られて波留はそれを見ていた。

築ノ宮はそれを見てにこにことしている。


「カワイイでしょう。」

「なんかもう凄いとしか……。」


すっかり波留の築ノ宮への印象は変わっていた。

仕事ではしっかりとした大人だが中身は少年のようだ。


「荷物を置いたらマンションの解約に行くよ。

書類は?」


波留がそれを取り出した。

それを築ノ宮がぱらぱらと見た。


「ここは敷金礼金無しなんだね。保証人も無しだ。」

「そうなの。私には保証人になってくれる人はいなかったから。

住めるところを探したわ。」


波留は自分が分からない苦労をしているのだ。

それを考えると築ノ宮は自分が世間知らずなのだと思った。

だからこそさっき波留は怒ったのかもしれない。


「私は知らない事が多すぎる。

何か妙な事をしたら教えてくれる?」


築ノ宮は真剣な顔をして彼女を見た。

波留は優しく笑った。


「私も知らない事ばかり。教えてね。」


その眼の奥に光が走る。


「今は眼鏡をかけていないの?」

「え、ええ、家にいる時は。」

「今はどこにある?」


波留は手元の鞄から眼鏡を出した。

築ノ宮はそれを持ち彼女にかけた。


「外に出る時はかけて。」

「え、ええ。」


少しばかり彼女が不思議そうな顔をする。

築ノ宮はかけていない方が良いと言ったのだ。

彼はふっと笑って彼女の耳元に口を寄せた。


「私の前だけ眼鏡は取って欲しい。」


彼女はその言葉でぞくりとする。

だが彼の本意は少し違っていた。


彼女の瞳の奥の光は人のものではない。

物の怪の血が入っている証拠だ。

それをどこで誰が見るか分からない。

隠した方が無難だと彼は思った。


彼は思い出す。

このマンションに来た時を。

この階に来た途端彼女は動けなくなった。

それは物の怪の気配を持っているからだ。


彼はそれをすっかり忘れていた。

そして彼女はそれすら知らないはずだ。

隠せるものなら隠したい。そしてずっと一緒に……。


彼は彼女の眼鏡を取った。

そしてじっと見ていると瞳の奥に光が走った。

それを見ると築ノ宮はぞくぞくして彼女に触れたくなった。


彼は彼女に顔を寄せて口づけた。

波留も彼の頬に手を添える。

その行為は重ねる度に深く長くなる。

生温かい柔らかな感触だ。

頭の中心が何かに支配されていく。

だが、


「早く手続きに行かないと。

8時までは開いているはずだから。」


築ノ宮は呟くように言った。

すぐに現実に引き戻される所がつまらない男なのだろう。

だから女性に飽きられる。

だが波留とは今までと何かが違う気がした。


「ええ、連れて行ってくれる?」


今までの令嬢と呼ばれる女性とは彼女は違った。

一人で生きて来た人だ。

色々と苦労をしている。


「行こうか。」


彼は手を差し出した。

そして波留もその手を握り返す。


この前までは築ノ宮がエスコートをするような感じだった。

だが今は二人が一緒に歩くために手を繋ぐ。

彼は隣にいる波留の桜色の髪を見た。

爽やかなよい香りが漂う。

彼はそこに顔を寄せた。


自分がこんな気持ちになれるとは

彼は不思議な気がした。




その日は手続きの後食事をして

彼女を新しいマンションに送って行った。

その時彼女はギフト用のタオルのセットを何箱か買った。


「タオルは家にもあるよ。」

「違うの、ご近所に挨拶に行かないと。」


それは築ノ宮は考えた事は無かった。

と言うか自分でする必要はないのだ。


「そうなんですか……。」


自分が思わぬ事を知ると彼は丁寧語になるのだ。

波留は少し笑った。


「アキはした事がないんでしょ?」

「うん、まあ……。」

「別にしなくても良いけど、

今のところは前と違うから挨拶はした方が良い気がするのよ。」


マンションの部屋に二人は着く。


「明日にでも挨拶に行ってくるわ。」


波留が部屋に貼ると築ノ宮は玄関で立っている。

何か迷っている感じだった。

それを波留が不思議そうに見た。


「どうしたの?」

「その……、」


少しばかり築ノ宮が口ごもる。


「何かあるの?」

「明日も仕事がある。

上がってしまったら帰れないかもしれない。」


波留は驚いて彼に近寄った。


「帰れない……?」

「いや、その、馬鹿みたいだな。」


波留は彼のそばに近寄った。

築ノ宮が彼女の体を引き寄せる。


「私の仕事は忙しい。突然それが入る時もある。

だから約束していてもだめになるかもしれない。

今日はたまたま仕事が早く終わったんだ。」


波留は彼の胸に顔を寄せて黙って聞いていた。


「今日も本当はこのままハルといたい。

でも仕事がある……。」


波留は顔を上げた。


「良いの。忙しい人なのは何となく分かるから。」

「ごめん。」


二人の顔が近づく。


「思い出したらラインして。待ってる。」


波留が彼を見て言った。

築ノ宮は再び彼女を強く抱き締めた。


「帰りたくない。」


波留はふふと笑い出した。子どもの我儘だ。


「だめ、忙しいんでしょ。」

「うん……。」


波留が築ノ宮の頬に軽くキスをする。

そして仕方がないと言うように彼は扉を開けて

少し笑って出て行った。







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