第17話 引きずる思い

 雨が窓を叩く音と、石炭の弾ける音が店内にこだまする朝。


「で、一日休みが欲しいって休んだ後、いつまでそうやってるつもりなんだよ。熱っつ!」


 ストーブの灰を掻き出した先輩は舌打ちをしながら蓋を閉める。

 勢いが強すぎたのか、余計に火の粉が舞っていた。両腕についた灰をはたきながら、先輩がこっちへとやって来る。


「別に店内で一人ウエイトレスがダウンしてようが構いやしねえけどよ。……なんだかなぁ」


 先輩は火かき棒を肩に担ぎながら、ため息交じりに私を見下ろした。

 かくいう私は、あれからすべてのやる気を失い、テーブルに力なく突っ伏したままである。

 完全に職務放棄の体勢だ。

 それでも先輩は許してくれるらしい。

 なんという優しさ。ダメ人間になってしまいそう。

 先輩は私の頬をつん、と人差し指でつつき、ニヤリといたずらっぽい笑みを浮かべた。


「我が店のおっちょこちょい担当が伸びてると、仕事がスムーズに進みすぎて困っちまうぜ」

「先輩……。私を励ましたいんですか? それとも貶したいんですか?」


 私はほっぺたをテーブルにくっつけたまま口だけを動かす。


「さぁ? どっちだろうな?」


 先輩はバックヤードへと続く廊下へ向かうと、火かき棒を壁に立てかける。

 私はテーブルにあごを乗せ、窓の外へと視線を戻した。こんな調子じゃダメだとわかっていても、あんなことがあった後じゃ、何もやる気が起こらない。


(もうお客さんが来ちゃう時間かぁ)


 店内では壁掛け時計がカチコチと針の音を響かせ、お粥の鍋がぐつぐつと煮立っていた。

 相変わらず窓は白く曇っていて、目を凝らしても外の様子はよく見えない。

 いつもなら、窓を拭いている時間。

 昔、先輩から「窓を拭いていると、客がやってるな、って思って入ってきやすいだろ?」と教わった。

 お客さん側からすれば、明かりがついていても全面曇っているガラスの店には入りづらいだろう。


(私なんかより、先輩みたいなセクシーな女の人が拭きたての窓の向こう側に映った方が、お客さんも嬉しいはずだと思うけど)


 私は何もしていないくせに、ずうずうしくもテーブルでため息をつく。


(なんだか、考えること全部ネガティブだなぁ……)


 目の端で扉のステンドグラスの向こう側に、茶色い影がふわりと浮かんだ。

 姿勢を正す間もなく扉が開かれ、鈴の音がチリンと店内に響いた。


「ふぁあ、おはよ」


 朝一番に扉を開けて現れたのは案の定、ロスカだった。

 その目が私を捉え、口元を引くつかせる。

 

「おいおい、俺は店と従業員用休憩所の扉を間違えたわけじゃないよな?」

「なによ、文句ある?」


 特に意味はないが、私はロスカに突っかかった。ぶっきらぼうな声に少年が眉をひそめる。

 廊下から顔を出した先輩は肩をすくめて見せた。


「なぁ、少年。励ましてやってくれよ。今朝からずっとこの調子なんだ。ほら、な、例の……」

「あー……この前の騒ぎの……」

 ロスカは思い当たる節があったのか、言いよどむと不器用な愛想笑いを私に向けてきた。


「ま、まあ、な。その、元気出せよ」

「そういう中途半端なやつが一番傷つく」

「なっ!」


 私はぷいと視線を逸らした。その程度で元気が出たら世話はない。


(めんどくさい女だなぁ。私って)


 自己嫌悪もここまで来ると笑えてくる。もう全部投げ出したい。


(お店、もう一日休めばよかったかな)


 ロスカはお手上げだったのか、助けを求めるようにカウンターへ戻った先輩に目線を送った。

 そちらへ私も目を向けると、先輩は関わりたくないようで、すっと目を逸らしお粥鍋を混ぜ始めてしまう。


「頑張れ、少年。あとは任せた」

「嘘だろ……」


 ふたりとも、一昨日の夜の騒ぎの原因が、私だって知っている。

 少しでも竜運の現状を知っている人だったら、あの事件の犯人が私だと特定するのは簡単だ。

 この街でベル以上に大きな竜なんてもういない。

 裏返せば往生際悪く毎日散歩なんて連れて行っている操竜士は、私ひとりぼっちだということだ。

 竜運は操竜士たちにさえ、見放されてしまった職業なのだ。私は机に突っ伏したまま腕の中に顔をうずめる。


「任せたって言われても俺困るぞ……はぁ、あのな、リオ」


 ロスカが言いそうなことは、だいたい予想できる。最初優しい言葉をかけてくれても、どうせ、二の句には――。


「気持ちはわかるけど。そうやっていても、何も始まらないだろ?」


(やっぱり。早く立ち直るようお尻を叩いてくるんだ。そんなこと、わかってるよ……)


 軽く頷くも、体は動かない。

 何とも言えない空気が流れる中、ただ時間だけが過ぎていく。

 その空気に耐えられなかったのか、ロスカはわしゃわしゃと髪をかきむしった。


「あーもう! 調子狂うな! そんなに落ち込むことかよ。街の奴らがなんか言っても、リオは気になんてしないだろ⁉」


(……そんなこと、ないよ。私だって傷つくもん。ロスカは全然私のことわかってない)


 私は腕の中の暗闇に向かって、やたらと重い唇を動かした。私がこうなった原因を言わなければ、ロスカはてこでも動かないことを知っている。もう、やけくそだ。


「……した」

「なんか言ったか? よく聞こえなかったぞ」

「だから、喧嘩したの! ベルと!」

「喧嘩……だって……? 俺の聞き間違いか? ベルと、だよな?」

「だからそう言ったじゃない」

「すまん、さっきは茶化して悪かった。何があったのか教えてくれ」


 ロスカは静かに席に座ると、真剣な面持ちで私を覗き込む。

 そんな調子で来られたので、私も観念して深いため息と共に椅子に座りなおした。


「あの騒ぎの前、私竜舎の鍵を閉め忘れちゃったんだ。それでベルが脱走しちゃってあの騒ぎになっちゃったんだけど、その後でね。……自分が悪いって、わかってたんだけど、なんで脱走しちゃったの、って、ベルに言いがかりつけちゃったんだ、私」

「……それで?」

「うん。そしたら私にも、わからないんだけどさ。ベルが急に言うことを聞いてくれなくなったんだよね。い、今までそんなことなかったんだよ。本当に初めてだったんだ。あんなベルを見たの。あ、あはは……。それで、それで……」


 言葉が詰まる。

 ロスカの背後に無表情なベルの幻が見えた気がした。

 思わずテーブル上の手をギュっと握りしめる。

 それでもなんとか、明るい声を振り絞った。


「言っちゃったんだよね、その、とっても――ひどいこと。ベルのこと、私が一番わかってるはずなのに。私はただ、ベルが何かの間違いで処分されちゃうって思うと怖くて。でも、言うこと急に聞いてくれなくなっちゃうし、もう訳が分からなくてさ」

「だから喧嘩、か。そうか。そりゃ、落ち込むよな」


 ふたりの間に、流れる重い空気。ロスカも気まずそうに後ろ頭を掻いている。

すると突然、目の前に湯気の立つお粥が二つ、差し出された。

 私もロスカも驚いて目を丸くする。

 顔を上げると、先輩が私に向かってウインクを飛ばしていた。


「まあ、何だ。これ食べて元気出せよ、リオ。食べ終わるまで店はクローズにしとくからよ、火傷しないように味わって食べな」

「こ、これって……店の一番いいお粥だ! 一度は食べてみたかったんだよな!」


 目を輝かせたロスカにつられてお粥皿をのぞき込めば、そこには色とりどりの具材が入った豪華なお粥。たった一皿で三食分の料金設定となるセレブな逸品だ。

 ロスカは火傷すら恐れずに勢いよくお粥を口に掻きこむ。

 私もやけに重く感じられるスプーン持ち上げ、スープを口へと運ぶ。

 先輩には申し訳ないが、味はよくわからなかった。

 たぶんおいしかった、と思う。


 私がのろのろと食事を終えて口を拭くと、すでにお粥を食べ終えたロスカがなにやらもじもじとしている。

 ぼーっとその様子を眺めていると、紙切れのようなものを取り出し私に差しだしてきた。


「その! こんな時にあれだけどさ。明日、輸送列車の除幕式があるんだ。一応俺も関係者として式に参加する。ほら、俺、一緒に行く家族とかいないからさ、リオも、その。き、気分転換になるかなっ……て」


 開いた口が塞がらない私。

 先輩が苦笑する。


「……まさか、竜運の商売敵である輸送列車の除幕式に誘うとは。さすがデリカシーのない少年だ。あたしも時々度肝を抜かれるよ。……で、どうするんだ、リオ」

「どうって、私は……」


 ロスカの手にある除幕式の入場券をじっと見つめた。


(なんで今なのよ……。気分転換が大事なのもわかるけど……)


 絶句していると先輩がポン、と私の背中を叩いた。


「あたしはいいと思うぜ。気晴らしにはなるだろう? 確かに複雑な心境かもしれないが、この街の歴史的瞬間に変わりないからな。見に行きたくてもいけない奴なんて山ほどいると思うぜ。竜運のことを考えると癪だが、あたしからしてみれば冬場の食材の高騰は頭が痛い。だから手放しに輸送列車を否定することもできない。なに、給料が上がってうまいもんでも食えるようになりゃ、リオも今後のことについてきっといい案も浮かぶさ」


「……そう、ですね」

「それと、早いとこベルと仲直りしろよ。人生何があるかわからねぇ。善は急げ、だ」

「……はい、先輩」

「あと、私は店長だ」

「……はい」


 私はロスカから入場券を受け取る。


「ほら、他の客が来る前に食器、片付けとけよ」

「はい!」


 元気よく返事をすると、先輩はうんうんと頷き、カウンターへと戻っていく。

 ロスカは「とりあえず渡せてよかった……のか?」などとつぶやきながらあごに手を当てていた。


「ちょっと、お手洗いに行ってくるね」


 私は明るい店内から薄暗いバックヤードに逃げ込んだ。

 姿見をのぞき込み、ひとり唇を噛み締める。

 陰気な灰色髪が今日は一段と暗く映った。

 改めてベルとの喧嘩がどれほどショックだったかを、思い知らされた気分だった。

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我が竜よ、鉄塔に登れ 藍色あけび @Akebi023

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