近衛邸

 学校やスーパー。ガソリンスタンド。市民体育館。

 町の建物が集中するエリアから離れ、山に向かう道を通る。

 すると、緩やかな坂が延々と続いている。


 緩い坂の途中には、オレの住む家があった。


 近衛邸このえてい

 500つぼの大屋敷だ。

 畳で数えるなら、1000畳。


 だだっ広い庭があり、背の高い門を潜ると、造園が迎えてくれる。

 大きな池には、何匹もの鯉が泳いでいる。

 入口から玄関まで続く緑のアーチは、千本鳥居のように等間隔で奥へ続いている。


 屋敷は二階建て。

 縦ではなく、横に広いタイプだ。

 敷地内には、道場や農具を置く小屋。

 火薬などを保管する倉庫。

 作業室などがある。


 ちなみに、駐車場は門を潜って、すぐ曲がった先にある。


 普通に考えて、こんな場所にオレのような人間が住めるわけがなかった。


 玄関の扉を開けると、かまちに座ったサナエが出迎えてくれる。


「ししょーっ! 遅い!」

「悪い。下痢が酷くてな」

「お腹に良い物食べないとダメだよー」


 嘘じゃない。

 仕事が終わってから、オレは一年生の男子トイレに二時間こもっていた。


 肛門のひりつく何とも言えない苦痛。

 ドアの内側を爪で引っ掻き、涎を垂らしながら悶絶していたのだ。


 ぷんぷんと怒るサナエに謝り、靴を脱ぐ。

 靴は脱いだら、そのままだ。


「靴棚に入れなよぉ」

「面倒くさいんだ。分かってくれ」

「もーっ」


 サナエが靴を拾い、棚に収納してくれる。

 別に、そのままでも家主は怒らないと思うが、サナエはしっかり者だ。


 近衛邸は広い家なので、未だに迷う時がある。

 大半が使わないスペースなので、オレが行き来するのは、もっぱら二階の自室か、食堂。あとは、リビングくらいなものだ。


 玄関に入ると、すぐ目の前にはジグザグに上へ続く階段。

 右に行けば、温泉並みの広い浴槽がある。

 左には、リビングや食堂などがある。


「ただいま」


 声を掛けながら、オレはリビングの方に向かった。

 屋敷のどこからか、女の声がする。


「ね、ね、ししょー。あちしね。今日、初めて蛇の脱皮見たの」

「蛇? 今は冬だぞ」

「もーっ。生徒の子だよ」

「あぁ、ケモノの子か」


 確か、乾燥していると、上手く脱げないんだったか。

 人外の多い学校ではあるけど、人間も通っているため、自分たちの素性は隠すようにしている。


 なぜなら、オレのような見識のある大人とは違い、人間にとって、ケモノは存在すら知らない生物だからだ。


「ぺりぺり剥いであげてね。蛇の抜け殻持ってると、金持ちになるっていうから。カバンに入れてきたの」

「汚いな。捨てろよ」

「ロマンなさすぎ! そんなんだから、モテないんだよ」


 自然とサナエが腕を絡めてくるが、オレにとって、こいつは娘みたいなものだ。あるいは、近所の子供。


 リビングに着くと、ソファには家主が寝そべっていた。


「ただいま」

「あー、おかえりー」


 気だるげに返事をする家主。――近衛ハルカだった。

 赤色をしたセミロングの髪。

 襟足で一本に束ねており、全体的に気の抜けた女子って感じだ。


 ハルカは小石川高校の生徒だ。

 歳はサナエより一つ上で、17歳。


 普通に考えれば、オレのようなおっさんが、女子高生二人と広い屋敷で暮らせるわけはない。が、裏を返せば、普通でないからこそ、暮らせている。


 リビングは、あり得ないほど広い。

 窓ガラスは、L字に張り巡らせ、全開。

 見上げれば、階上にある吹き抜けの柵が目につく。

 高い天井からは、花びらのような形をしたシャンデリア。


 もちろん、ハルカがこの土地の固定資産税を払っているわけではない。

 そもそも、この屋敷自体が、なのである。


「おじさん。部屋で変なことするのはいいけどさぁ。ウチら女子なんだから、気を遣ってよ」

「はは。何の話だ?」


 ハルカに便乗したサナエが頬を膨らませた。


「ししょー、ずっと変な声で喘いでるじゃん。あれ、ちとキモイよ」

「だから、何の話だよ」

「あ”あ”っ! い”ぐっ! ――って」

「ふぅ。……身に覚えがないな」


 女の子二人に挟まれ、オレは肩を竦める。

 例え、のっぴきならない事情があったとして、女の前で正直に言えるわけがなかった。


「部屋、イカ臭いし」

「それは加齢臭だ」

「……くっさぁ」


 サナエが鼻を摘まむ。

 だが、離れようとはしない。


 無理やり話題を切り替える事にした。

 オレはソファにカバンを置くと、ハルカに向かって話す。


「おい。それより、何だかヤバいことになってるぞ」

「女王様でしょ」

「……知ってたのか」


 ハルカが体を起こし、背伸びをする。

 オレはソファに座り、言葉の続きを待った。

 ふと、何やらサナエがボーっとしていたので、「どうした?」と声を掛ける。


 サナエは首を横に振った。


「ううん。何でもない」


 当たり前のように隣へ腰を下ろし、肩に顎を乗せてきた。


「で、女王様のこと。狸乃から聞いたのか?」

「まさか。わたし、宮内庁から直接連絡来るし」


 まあ、ハルカは狩人なのだ。

 高校生の身でありながら、オレより強い。

 器用だし、行動が早い。

 あと、これは関係ないが、サナエ同様に、顔立ちの整った女の子だった。


「東京で、かる~く騒ぎがあったみたい」

「まだ来てないだろ」

「来る前から準備ってしておくものでしょ。京都でもひと悶着あったって」


 いつも思うが、東京を中心とした関東地方。

 それから、京都を中心とした関西地方。

 この辺の狩人は、とんでもなく激務だろう。


 いつ死ぬか分からないと言っていい。

 だから、血の気の多い狩人が必要だと聞いたことがある。

 中でも、九州などで腕の立つ狩人が、わざわざ移り住む事だって珍しくないとか。


 腕っぷしだけでなく、メンタルが強い奴が一番必要だからな。


「普通、女王様がこっちにくると思わないじゃん? でも、違うよねぇ。みんな少し考えれば分かる事よね」


 ハルカはため息を吐いた。


「遊ぶなら都会。住むなら田舎」

「なんだって?」

「女王様が日本に住むことを検討中みたい。たぶん、別荘じゃないかな。本拠地がイングランドの宮殿だから、全部捨てて住むわけじゃないよ」


 ハルカはサナエの方を見た。

 オレはサナエの方を見て、不意に気になった胸の感触に目を移した。


「……えっち」

「いや、くっつくなよ! 気になるだろうが!」


 妙に機嫌が悪い。

 今に始まったことではないが、たまに理由もなく拗ねる事がある。


「あと、あと。最近、飲み街の方で、変な事件相次いでいるから」

「ケモノ絡みか?」

「……かもねぇ」

「どんな事件だ」

「店を閉めている間、いつの間にか荒らされてたとか。小火騒ぎとか」

「……ん? 関連性は?」


 ハルカは欠伸をして、答えた。


「犬の足跡」


 やれやれ。

 オレの出番らしい。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る