事態の変化

 理事長室は、まるでどこかの洋館の一室を彷彿ほうふつとさせる内装だった。

 赤いカーテンと白のレースを閉め切り、理事長の狸乃りのは回転イスから重い腰を上げる。


「やあ。雪寄せご苦労様」

「仕事ですんで」


 ギョロ目のずんぐりむっくり。

 春夏秋冬休みなく汗を掻いている暑苦しいデブの男が、オレの前にいる。

 こいつは、狸乃。

 理事長だ。


 執務用のデスクから、応接のスペースに移り、ソファに座る。

 今にも死にそうな呼吸をして、狸乃は前の座席を指した。


「はぁ、ひ、すわり、たまへ」


 言われた通り、前の席に座る。

 相変わらず汗を掻いていて、シャツはぐしょぐしょ。

 女子高なので、廊下に出れば女子がたくさんいるのは当たり前。

 きっと、狸乃の姿を見た女子達は、「くっさ!」と顔をしかめるだろう。


「また、酒を飲んだでしょう。止めた方がいいですよ」

「いや、大丈夫。はぁ、ふぅ、んむぅ、アルコールは、水分だから」

「死にますって」

「人間と、違って。あ、はぁ、……無理ぃ。寝ていい?」


 ソファで横になり、狸乃は生唾を呑む。

 御覧の通り、彼は人外である。

 しかし、人間と変わらず、体が病むときは苦しげに悶えてしまう生き物だ。


 人外だからといって、万能ではない。

 そりゃ、身体能力は人間より優れている。

 中には、知能が優れている者もいる。

 まさに、異形と呼ぶに相応しい姿になることもあるが、狸乃の場合は別だ。


 である。

 オレは口が裂けても、「これが日本の一部を護っているケモノ」なんて言えない。

 絶対に炎上するからだ。


「それで、話って?」

「あぁ、うん。サナエちゃん。……あはぁ、元気ぃ?」


 まるで、麻酔なしの手術を受けてるみたいに、顔が歪む。


「ええ。元気なものですよ」

「数年前に、う、ふぅ。君が、拾ったもんね」


 深呼吸をして、狸乃は白目を剥いた。

 何回か呼吸を繰り返すと、やっと落ち着いたのか。

 安定した調子で喋り出した。


「あいつが、外国から逃げてきたのは分かってるんですがね。どこから逃げてきたのか。まあ、分からないですね。たぶん、不法入国でしょうし」


 税関を通らずにきたのだ。

 これが、人外には可能だ。

 人型より小さな姿になったり、化け物のような姿になれば、軟体以上に軟体となるため、隙間に隠れたりもできる。


 サナエの場合は、そういった軟体の真似はできないだろう。

 でも、ケモノとしての特性を使ってきたのは違いない。


「別に、サナエちゃんに限った話ではないけどさ。ウチの国。マンパワーがないからさ。防衛力っていうの? だから、外国から来られると困るんだよねぇ」


 ハンカチで顔面を拭き、狸乃は深いため息を漏らす。

 その表情は、参ったという様子が見て取れた。


「何かあったんですか?」

「うぅ、……ん」

「歯切れ悪いですね。教えてくださいよ」


 狸乃は顔を梅干しのように、しわくちゃにした。

 言い辛そうに、言葉を絞り出す。


「イギリスが――」


 オレは顔を覆った。

 もう、それだけで分かる。

 裏方の仕事をしている人間なら、『』と聞いただけで、同じ反応をする事だろう。


 アメリカやドイツなどの西側諸国も同様である。

 その中でも、イギリスだけはトップクラスでヤバかった。


「あー、……女王様が、来るらしい」

「マジっすか?」

「うぅ、ん」

「何しに来るんですか?」

「分からないなぁ」


 ちなみに、

 ケモノの女王だ。

 分かりやすい言葉で表すのなら、『裏女王』と言った所か。


 武力。知力。財力。支配地域。

 どれもトップクラスのケモノ。

 つまり、実質この世は一人の女王に支配されていると言っていい。


 日本は、みんながイメージするような奴隷的なポジションではない。

 ヤバいトップの要求や外交などをどうしようか。

 毎度頭を悩ませているのが、現状だ。


 そして、表に出る事はないが、オレのような裏方が、女王の引き連れるケモノが無茶をした場合に動く。


「宮内庁から連絡があったんだよぉ」

「おいおい。陛下に無茶な要求しねえだろうな。実権ないんだぞ」


 つい、口が荒くなってしまった。


「まあ、これは今日本で起こってる事の軽い説明だから。頭に入れておいて。それより、直木くん。最近、町の治安が悪くてねぇ。何だか、ケモノ達が落ち着きないんだよ」

「いやいや。100%女王の影響でしょう。話が別個になってないですよ」


 狸乃は上体を起こすと、神妙な顔で言った。


「どうにか。ウチの生徒だけは守らないと」

「尽力します」

「とりあえず、町の動向を探るからね。自宅待機って事で。しばらくは休んでてね」

「ええ」


 ソファから腰を上げると、オレは扉の方に歩き出した。


「直木くん」


 声を掛けられて振り向く。

 狸乃は口元に指で輪っかを作り、何かを呑む仕草を見せてきた。


「今日、……どうかね?」

「すいません。サナエの奴に頼まれごとしまして」

「あぁ、だったら、いいんだ。そっちを優先してくれ。ぼかぁ、水分を取りたかっただけなんだ」


 扉のノブに手を掛け、オレは言った。


「アルコールは水分じゃないですよ」


 酒に呑まれた狸乃に言ってやり、今度こそ理事長室を後にした。

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