【最終章:山川カンナ(7)】

「さて、本題ほんだいに入ろうか」と、渡邉哲郎の方を見据みすえて、山川カンナはそうした。


「哲郎君、この事件じけんとしどころ、どう考えているの?」

むずかしいですね。でも、基本的きほんてきにはそちらの要望ようぼうこたえますよ。あんまり強く言える立場たちばではないので。」

こころがけね。」

「いえいえ。でもですね、僕、まだちょっと聞きたいことがあるんですよ。」

「答えるかどうかはべつとして、質問だけは聞いてあげるよ。」

「高野さんのことなんですが、彼女がどんな情報じょうほうを持っていたかはわからないんですけど、本当に殺さないといけなかったのかなって思ってるんです。まあ、僕も彼女のことを全部ぜんぶ調しらべたわけじゃないですけど、彼女、研究けんきゅうたいして、とても真面目まじめでしたよね。そんな人のことを殺してしまうという判断はんだんを、カンナさんがするとはちょっとしんじられないんですけど。」

「一年前までの彼女なら殺さなかったわ。」

「この一年でなにか変わったんですか?」

「彼女ね、アメリカで自分の研究室を持つことがゆめだったの。それは知ってた?」

「えぇ。」

「その夢は、彼女のくなった婚約者こんやくしゃゆめでもあって、なんとしてでもかなえたかったんだって。」

「あ、そうなんですか。それはりませんでした。でも、今のご時世じせい医学いがく生物学せいぶつがく研究けんきゅう業界ぎょうかいで、自分の研究室けんきゅうしつつのって大変たいへんですよね。彼女も長い間、ポスドクをしてましたし。」

「ええ、そうよ。だからね、私たちは交換こうかん条件じょうけんちかけたの、彼女が私たちがさがしている情報じょうほうっているとわかった一年前にね。」

交換こうかん条件じょうけん?」

「私たちのうらのルートを使って、彼女がアメリカのどこかの大学で自分の研究室を持てるようにしてあげる、そのわりに、彼女の持っている情報じょうほうを私たちにわたしてくれないかって。」

結果けっかは?」

決裂けつれつ。その情報じょうほうは、彼女の婚約者こんやくしゃがくれたものに記録きろくされてたからね、わたしたくはなかったみたい。」

「そのアイテムはなんだったんですか?」

内緒ないしょ。」

「えー、そこまで言ったなら教えてくださいよ。」


「P20のピペットマン。」


横から田畑太一郎が口をはさむ。「え?」と、渡邉哲郎が田畑太一郎の顔を見る。


「P20のピペットマンに情報じょうほうが入っていると聞きました」と、田畑太一郎は続けたが、「それは嘘。坂井かなえが言ったことは何でも信じるのね、坊やは」と、山川カンナが冷たくそうはなった。


「そ、そんな・・・」と、かたとす田畑太一郎を尻目しりめに、山川カンナは話を続ける。


「高野恵美子の婚約こんやく指輪ゆびわよ、その情報じょうほうが書かれていたのは。だからね、彼女はそれを見せてくれるだけでよかった。でも、彼女の返事はノー。理解りかいくるしむわ。」

「なんでだったんですか?」

「わからないわ。私たちが彼女の婚約者こんやくしゃを殺した一派いっぱだとでも思ったんじゃないかしら。あの事故じこは、たんなる事件じけんだったのに。」

「でも、だからと言って殺す必要ひつようはなかったのでは?」

「彼女ね、自分の研究室を持つというゆめは自分の力で何とかする、ということも言ったわ。捏造ねつぞうしてでも良い研究けんきゅう成果せいかを出すんだって。今はみんなうそのデータでえらくなってるから、自分だってそうしないといけない。自分の研究室を持ってからきちんとした研究をすればいいんだって、そう言ったの。」

「あちゃー、ダークサイドにちちゃったんですね。」

納得なっとくした?」

「でも、口ではそう言っていても、本当は捏造ねつぞうなんてしてないかもしれないですよ?」

「彼女の論文が近いうちにビッグジャーナルに掲載けいさいされるわ。それは捏造ねつぞうしたデータを使った、とんでもない内容の論文よ。」

「あ、そうなんですね。なんか残念ざんねんだな。彼女、きちんと研究を頑張がんばってきたように思ったんですが。ま、会ったことも話したこともない人なんですけど。」

「質問はもうない?」

「もう一つだけ聞いてもいいですか?田畑君を犯人はんにんやくにしようとした理由りゆうは?そんな仕打しうちを受けるくらいのなにか悪いことしました?」

「この坊やの日本のボスは知ってる?」

「あー、だからか。」


「俺の日本での教授きょうじゅが何かしたんですか?」と、うつむいたまま田畑太一郎が静かに口を開く。その声には元気がなかったが、少し怒りの口調が感じられた。


「田畑君、君のボスの池山いけやま教授きょうじゅはね、捏造ねつぞうばかりしてるんだよ。今はまだ世間せけんにバレてないけど、僕らからすれば、それは火を見るよりもあきらかなんだ。それなのに、マスコミに出たりしてえらそうに研究けんきゅうのことや研究けんきゅう業界ぎょうかいのことをかたっている。彼みたいなのはね、研究のあゆみをおくらせる原因げんいんの一つなんだ。」

「そ、そんな・・・。」


「そんなことにも気付けない坊やは必要ないわよね」と、山川カンナが渡邉哲郎との会話を再開させる。


「まあ、そうなんですけど。田畑君にはつみはないのでは?」

「この坊やが逮捕たいほされてニュースになれば、あのエセ研究者けんきゅうしゃにも非難ひなんの目が向けられるでしょ?」

「そうすれば、池山いけやま教授きょうじゅのこれまでの研究論文が適当だったと気づく人が出てくるかもしれない、ってことですね。」

「そうよ。それが研究業界にとって良いことか悪いことかは言うまでもないよね。」

「それは正論せいろんなんですけどね・・・でも、田畑君を生贄いけにえにしてしまうのはどうなんでしょうか。」

平日へいじつ昼間ひるまっから研究室の外に出てあそんでいたり、自分の研究プロジェクトの本質ほんしつが何かもわからないまま実験じっけんしたり、アメリカの有名ゆうめい大学だいがくに学生のころから留学りゅうがくしたということで調子ちょうしっていたり、見てくれのよい女性じょせいはなの下をばしたりとか、そんな人をかばう必要ひつようはある?」

「ははは、辛辣しんらつですね。でも、この年の男の子って、みんなそんな感じですよ。」

「それは男の子同士どうし友情ゆうじょうなのかな。」

「どうなんでしょう。でも、僕はもうとっくのむかしって感じじゃないんですけどね。」

「ふうん、そうなんだ。まあ、いいわ。他にも質問はある?なければ、この後どうするか決めましょう。」

「もう質問はないですね。ありがとうございます、丁寧ていねいに答えてくださって。で、カンナさんの要求ようきゅうは?」

「スーツケースに入っている遺体いたい処理しょり。」

「まあそうでしょうね。でも、それをタダでやれっていうのは、さすがのカンナさんと言えども、ちょっとぎな要求ようきゅうにも思えますが?」


山川カンナはかるみをかべてから、山川聖香の顔を見て「あれを持ってきて」と言った。そして、山川聖香はバンの内側うちがわにかけてあったかばんから札束さつたばをいくつか取り出し、テーブルの上にいた。


日本円にほんえん三百万さんびゃくまんあるよ。これでいい?」と、山川カンナが言うと、「三百かぁ、しかもえんで」と、渡邉哲郎は苦笑にがわらいをした。


贅沢ぜいたくいうな」と山川聖香が言ったが、山川カンナからの視線しせんを感じ、彼女はそれ以上は何も口をはさまなかった。


「三百じゃりない?」

「そうですねぇ、正直しょうじきうと、あと二百はしいですね。でも、こちらから出す条件じょうけんんでもらったら、三百でも大丈夫だいじょうぶです。」

条件じょうけん?」

「田畑君のいのちです。」

いのち?」

「彼、助けてやってくれません?」


できるわけないだろう、と山川聖香が言い出しそうだったが、それよりも前に山川カンナが口を開いた。


「なぜ?」

さがしていた情報じょうほうはもう手にはいったんですよね。であれば、これ以上、このけんで人が死ぬ必要ひつようはないかなって。」


山川カンナは何も言わずに、渡邉哲郎の顔をじっと見ていた。渡邉哲郎は、山川カンナが何かを言い出すのをたずに、さらに言葉を続ける。


「まあ、カンナさんからしたら、彼はるにらない存在そんざいなんですけど、こう見えて意外いがい真面目まじめだったりするんですよ。僕のWebサイトの編集へんしゅう作業さぎょうもきちんとやってくれてますし。それにね、田畑君は真中さんともなかが良かったんです。そんな彼が殺されたかもと思われるような形で行方不明ゆくえふめいになったら、真中さんもかなしむかもしれないです。」


バンの中での会話かいわで、山川カンナがはじめてなや姿勢しせいを見せた。そして、しばらくはだれしゃべらない時間が流れた。夜遅よるおそくになっていたせいか、バンのそとからも、車が走る音はあまり聞こえなくなっていた。


「このぼうやから情報じょうほうれたときは、どうなるかはわかってるよね」と、沈黙ちんもくやぶり、山川カンナが口を開いた。その表情ひょうじょう威圧感いあつかんちていたが、同時に、これまでの余裕よゆうさも感じられなかった。


「ええ、もちろんですよ。」

「じゃあ、それでいいわ。でも、だとしたら、もう一つこちらの要求ようきゅうんでもらうよ。」

「どんな?」

「この男との会合かいごうをセッティングして。」


そう言って、山川カンナはポケットから一枚の写真しゃしんを出してテーブルの上に置いた。


「これ、誰です?」

都内とないの大学にかよう大学生。」

失踪中しっそうちゅうとかですか?」

ちがうわ。名前とか住所じゅうしょは教えてあげる。」

「え、そこまでわかってるなら、僕は必要ひつようないのでは?」

「私と山川聖香の二人が彼と会えるようにセッティングしてほしいの。でも、彼と会うのが私たちだということは、実際じっさいに会うまでは内緒ないしょにしておいてしいの。」

「なんかよくわかりませんが、それくらいならおやす御用ごようです。」

安心あんしんしたわ。じゃあ、よろしく。」


「よし、一件落着いっけんらくちゃく!じゃあ田畑君、そろそろ帰ろうか」と、テーブルの上に置いてある三百万円の札束さつたば写真しゃしんを自分の上着うわぎのポケットに入れながら、渡邉哲郎がそう言った。


その口調は、いつものドーナツ屋から帰るときと全く同じものであった。


(「最終章:山川カンナ」終わり)

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