四人が乗ったバンは、十分ほど走ったところで停車（ていしゃ）した。

走っている間、車内（しゃない）にいる四人は、誰（だれ）も一言（ひとこと）も喋（しゃべ）らなかった。田畑太一郎は、途中（とちゅう）で逃（に）げる方法（ほうほう）がないかと考えたが、動（うご）いている車内で拳銃（けんじゅう）を持っている渡邉哲郎と争（あらそ）うのは得策（とくさく）ではないと判断（はんだん）し、大人（おとな）しくしていた。

バンの運転席（うんてんせき）側（がわ）のシートがあるスペースと後ろのスペースの間には、スチール製（せい）の棚（たな）が設置（せっち）されていた。そこには色々な荷物（にもつ）が置かれていたため、後ろのスペースからは、フロントガラス越（ご）しに外の景色（けしき）を見ることが難しかった。また、バンの後ろのスペースにある窓（まど）は、全てが黒い目隠（めかく）しで覆（おお）われていたため、田畑太一郎はここがどこだかはわからなかった。

山川聖香がバンのエンジンを切ってあと、「さて、ここで少し話をしようか」と、山川カンナが言って、助手席（じょしゅせき）からバンを降（お）りた。続いて山川聖香も、自身が座っていた運転席側からバンを降りた。

その後、バンのうしろのドアを外から開けて、山川母娘（おやこ）が、田畑太一郎と渡邉哲郎がいる後ろのスペースに入ってきた。その動きは非常にスムーズだったため、山川母娘（おやこ）が乗（の）り込（こ）んでくる隙（すき）を狙（すら）って外に逃げようと画策（かくさく）していた田畑太一郎は、何もできないまま二人が後ろのスペースに入ってくるのを見続（みつづ）けることしかできなかった。

しかし、山川母娘（おやこ）が乗（の）り込（こ）んできたとき、田畑太一郎は、ドアの隙間（すきま）から外の様子が少しだけ見えた。そして、ここがどこかのスーパーマーケットの駐車場（ちゅうしゃじょう）であることがわかった。日曜日の夜だったので、車はあまり停（と）まっていなかったが、それでも彼の目には、何台（なんだい）かの車が、自分が乗っているバンの近くに駐車（ちゅうしゃ）しているのがわかった。

田畑太一郎は、どこかの人気（ひとけ）のない山奥（やまおく）に連（つ）れていかれ、そこで殺されて捨てられるかもしれないと心配（しんぱい）していたので、とりあえずここで今すぐに殺されることはなさそうだと思って少し安心した。

しかし、そんな田畑太一郎の考えなど誰も気にしていないかのように、山川カンナはテーブルセットの椅子（いす）に座（すわ）り、その横に山川聖香が座（すわ）った。

そして、渡邉哲郎はテーブルを挟（はさ）んで山川聖香の前に座り、山川聖香に向（む）かって微笑（ほほえ）んだ。山川聖香は「チッ」と軽（かる）く舌打（したう）ちをして渡邉哲郎を睨（にら）んだが、山川カンナの視線（しせん）が自分の方に移（うつ）ったことに気づいて、静かに下を向いた。

「田畑君も早く座（すわ）って」と渡邉哲郎に言われ、田畑太一郎は急いで空いている椅子に座った。しかし、田畑太一郎には、自分の目の前にいる山川カンナが、自分の存在には気がついていないのではないかと感じられるぐらい、自分に興味（きょうみ）がないということがわかった。

「さてと、どうしましょうか？」と渡邉哲郎が話し始めると、山川カンナが冷（つめ）たい微笑（ほほえ）みを浮（う）かべて、「哲郎君は何が目的（もくてき）なのかな？」と聞いてきた。

「何が目的かと聞かれても、僕はただただ平穏（へいおん）に暮（く）らしたいだけなんですけどね。」

「ふーん、そうなんだ。」

「でも、まさか・・・えっと、今はあなた方のことを何てお呼（よ）びすればいいですか？まあ、聖香ちゃんは聖香ちゃんでいいかなと思うんですけど。」

山川聖香がキッと渡邉哲郎をにらみつけて何かを言おうとしたが、その前に山川カンナが口を開いた。

「呼（よ）び方（かた）なんて何（なん）でもいいわ。」

「えっと、じゃあカンナさんと呼ばせていただきますね。」

「どうぞご自由に。」

「はい。じゃあ改（あらた）めて、と。いやね、まさか日本から遠（とお）く離（はな）れたこの土地で、カンナさんと聖香ちゃんに再会（さいかい）するなんて思わなかったんですよ。二度と会いたくない、いや二度と会えないんだろうなと思ってたので。」

「あらあら、私は哲郎君とずっと会いたいと思っていたわ。」

「ははは、それは光栄（こうえい）なことです。で、目的なんですけどね、高野さんの件（けん）に関（かん）しては、本当に全くの偶然（ぐうぜん）。僕にとっては事故（じこ）みたいなものですよ。まさか、カンナさんたちが狙（ねら）っているターゲットのリストに高野さんが入っていたなんて知らなかった。本当ですよ。カンナさんと敵対（てきたい）するつもりなんて全くないし、そもそも関（かかわ）わるつもりもなかった。」

「まあ、そうでしょうね。実はね、私たちも彼女が関係者（かんけいしゃ）だって知ったのは最近（さいきん）のことだからね。」

「やっぱりそうなんですね。でもね、不思議（ふしぎ）なんです。高野さんのことを調べれば調べるほど、あなた方が彼女を殺す必要性（ひつようせい）は見当（みあ）たらなかったので。ひょっとして、考え方が変わってしまいました？」

「ふふ」と、山川カンナは不敵（ふてき）な笑（え）みを浮（う）かべた。そして、山川聖香の方を向いて「何か飲むものを持ってきて。四人分よろしくね」と言った。それを聞いて田畑太一郎は、自分の存在（そんざい）はきちんと認識（にんしき）されていたんだということで、少し安心してホッとした気持ちになった。

「あ、僕はいいです。美味（おい）しくない飲み物はいらないんで。」

「舌（した）は衰（おとろ）えていないようね。でも大丈夫、きちんとした味（あじ）のペットボトルの水だから。」

「あ、そうなんですね。じゃあお言葉に甘（あま）えていただきます。」

山川聖香は、あまり見慣（みな）れないラベルのペットボトルの水を四本持（も）ってきた。

「お、この商品（しょうひん）、今ではあんまり手に入らないんですよね。どこで手に入れたんですか？」と言いながら、渡邉哲郎は自分の前に置（お）かれたペットボトルの水を一口（ひとくち）飲（の）んだ。

「おい、礼（れい）ぐらいちゃんと言え」と山川聖香に言われたが、渡邉哲郎は「はは、そんな細（こま）かいこと言わないでよ。しわが増（ふ）えるよ」と軽口（かるくち）で返（かえ）した。

山川聖香は自分の分のペットボトルを渡邉哲郎に投（な）げつけようとしたが、「哲君（てつくん）、そんなおいたはダメですよ」と山川カンナに諭（さと）されると、渡邉哲郎は苦笑（にがわら）いを浮（う）かべながら、「お水、ありがとうございました」と素直（すなお）に礼（れい）を言った。

田畑太一郎は、自分のペットボトルには毒（どく）が入っているのではないかと心配（しんぱい）したが、キャップを開けたときにそれが未開封（みかいふう）の新品（しんぴん）であることがわかったので、「お水、いただきます」と小さな声で言ってから、その水を一口（ひとくち）飲（の）んだ。

その水は、緊張（きんちょう）で喉（のど）が渇（かわ）いていたこともあったのだろうが、田畑太一郎がこれまでに飲んだペットボトルの水のなかで、一番美味（おい）しいものだった。すっと体に吸収（きゅうしゅう）されるような少し甘（あま）みのある水で、田畑太一郎は思わず「おいしい」と口にした。だが、田畑太一郎の発言（はつげん）に反応（はんのう）するものは、その場にはいなかった。

「なんで高野さんを狙（ねら）ったんです？」と、渡邉哲郎は聞いた。

「それはまだ言えないな。先にこっちの質問に答えてくれるかな。」

「はいはい。どんな質問にお答えすればいいですか？」

「高野さんのこと、どこまで調べた？」

「彼女の生（お）い立（た）ちと、婚約者（こんやくしゃ）が亡くなったこと、あとは、彼女がこっちでポスドク研究員（けんきゅういん）をしていたってことくらいですかね。彼女の母親と婚約者（こんやくしゃ）の事故（じこ）については、まだ調べきれていませんね。」

「彼女の母親の交通事故（こうつうじこ）は不運（ふうん）な事故。婚約者（こんやくしゃ）の事故も単（たん）なるひき逃（に）げね。」

「あ、やっぱりそうでした？」

「でもね、婚約者は実は私たちのターゲットだったの。でも、それがわかったのは、ここ数年の話よ。」

「そうなんですね。色々（いろいろ）とあったんですね。」

「そうね、私たちも今はそんなに人数（にんずう）がいないし、そもそも人探（ひとさが）しとかそういうのは専門外（せんもんがい）だから、ちょっと時間がかかっちゃった。」

「ははは。ま、そういうことにしておきましょうか。」

二人が話しているあいだ、山川聖香は一言も言葉を発（はっ）しなかった。田畑太一郎も、自分がまるで置（お）き物（もの）か何かになったかのように感じるほど、ジッと静かにしていた。

だが、山川聖香と田畑太一郎のそんな様子とは対照的（たいしょうてき）に、山川カンナと渡邉哲郎の会話（かいわ）は淀（よど）みなく進んでいく。

「で、高野さんを殺したのは誰かわかる？」と山川カンナが聞くと、間髪（かんぱつ）入（い）れずに、「坂井かなえさんですよね」と、渡邉哲郎は返事をした。

「やっぱりわかってたのね。」

「まあ、トリックと言うことすらも烏滸（おご）がましい感じでしたからね。」

「ふふふ。じゃあ、どうやって殺したのかもわかった？」

「それはわかりませんね、現場（げんば）を見ていないので。でも、坂井かなえの体型（たいけい）と、高野恵美子の遺体（いたい）に目立（めだ）った損傷（そんしょう）がなさそうだったことを考えると、何（なん）らかの薬剤（やくざい）を使ったのかなと思っています。」

「当（あ）たらずとも遠（とお）からずね。坂井かなえは、表のルートでも入手できるような睡眠薬（すいみんやく）を使って高野恵美子を眠（ねむ）らせたあと、ドライアイスからの二酸化炭素（にさんかたんそ）を利用（りよう）して高野恵美子を安楽死（あんらくし）させたのよ。」

「なるほど。でも、安楽死って・・・。実験動物（じっけんどうぶつ）じゃないんですから、そんな言い方しなくても。」

「ふふふ、相変（あいか）わらず哲郎君は人間に優（やさ）しいね。」

「動物とかにも優しいですよ。」

二人の会話を聞いて、田畑太一郎は自分の耳を疑（うたが）った。高野恵美子を殺したのが坂井かなえ？この人たちは一体何を話してるんだろうかと思い、つい二人の会話を遮（さえぎ）って口を出した。

「何を言ってるんですか？かなえさんが高野さんを殺した？渡邉さん、高野さんを殺したのはあなたですよね？」

「黙（だま）れ」

その口調（くちょう）は、田畑太一郎がこれまでに聞いたことのないくらいの冷（つめ）たいものだった。その声（こえ）の主（ぬし）である山川聖香の方を田畑太一郎が向いたとき、真（ま）っ先（さき）に彼の目にはいったものは、自分に向けられていた銃口（じゅうこう）だった。いつの間にかに山川聖香が拳銃（けんじゅう）を手にしていたのだ。

「今はカンナ様が話をしている。誰（だれ）が貴様（きさま）に発言（はつげん）を許可（きょか）した？自分の置（お）かれている立場（たちば）がわかっているのか？」

山川聖香がそう田畑太一郎を叱責（しっせき）したとき、田畑太一郎は、彼女の氷のような冷徹（れいてつ）な表情（ひょうじょう）と自分の心に突（つ）き刺（さ）さるような殺意（さつい）に満（み）ちた発言（はつげん）から、自分は今日この場で命（いのち）を落（お）とすことになるのだ、と理解（りかい）した。

「まあまあ、そんなに殺伐（さつばつ）としなくてもいいじゃないですか。田畑君だって聞きたいことはたくさんあるんだろうし。僕もね、お二人には聞きたいことがいっぱいあるんですよね。今日、みなさん時間は大丈夫なのでしょう？ゆっくり話でもしましょうよ。」

と、渡邉哲郎がいつものような調子で話すと、山川聖香は厳（きび）しい目つきで渡邉哲郎を睨（にら）んだ。だが、その手にある拳銃（けんじゅう）は変わらず田畑太一郎の方を向いている。

そんな特殊（とくしゅ）な状況下（じょうきょうか）であるにも関（かか）わらず、山川カンナは、「あら哲郎君、明日は月曜日よ。今日はもう夜の十時を過ぎているけど、そんなに遅（おそ）くまで起きていて大丈夫？明日も朝から仕事じゃないの？」と、何事（なにごと）もなかったかのように田畑太一郎に話しかけた。

「ははは。カンナさん、お気遣（きづか）いどうも。でも僕、定職（ていしょく）には就（つ）いてないんで問題ないです」と、渡邉哲郎が笑いながら返事をした。すると、「この無職（むしょく）め」と、小さな声で山川聖香が蔑（さげす）んだ口調（くちょう）で吐（は）き捨（す）てた。

「聖香さん、相変（あいか）わらず口が悪いですね。美人（びじん）が台無（だいな）しですよ。」

「殺すぞ。」

山川聖香がそう言って手にした拳銃（けんじゅう）を渡邉哲郎の方に向けようとしたが、「山川聖香、少し黙（だま）りなさい。久しぶりに哲郎君と話す時間が取れて嬉（うれ）しいのかもしれないけど、あまりじゃれるのはよしなさい」と、山川聖香の方を見ないまま山川カンナが言った。

それを聞いて山川聖香は、少し怯（おび）えた表情（ひょうじょう）になり、「そ、そういうわけではないのですが・・・すみません。気をつけます」と、元気なく答えた。

「やーい、怒（おこ）られた」と渡邉哲郎がからかうと、山川聖香は再（ふたた）び厳（きび）しい表情（ひょうじょう）に戻（もど）り、渡邉哲郎を睨（にら）んだ。だが、たった今、山川カンナに注意されたばかりだったので、山川聖香は渡邉哲郎には何も言わなかった。

そんなやり取りの間も、山川聖香の手にある拳銃（けんじゅう）の銃口（じゅうこう）は、田畑太一郎に向けられていた。田畑太一郎は、今にも自分の命がなくなろうとしているときなのに、周（まわ）りの三人が何（なん）でもない様子（ようす）で普通（ふつう）に会話を進めているのを見て、驚（おどろ）きそして混乱（こんらん）した。これは夢ではないのか、とも思ったが、そうでないことは明（あき）らかだった。

「さて、哲郎君、冗談（じょうだん）はこのくらいにして、少し真面目（まじめ）な話をしようか。」

「そうですね。えっと、どこまで話をしたんでしたっけ？ああ、そうだ、坂井かなえさんが高野さんを殺害したというところでしたかね。」

「そこの坊（ぼう）やが、なぜ坂井かなえが犯人（はんにん）なのかということを知りたがっているようだから、教えてあげたらどうかな？」

「あれ、そんなことしても良いんですか？」

「ふふ、冥土（めいど）の土産（みやげ）ってやつかな。」

「相変（あい）わらず可愛（かわい）らしい表情（ひょうじょう）で怖（こわ）いこと言いますね。」

「あなたの減（へ）らず口（ぐち）も治（なお）らないわね。」

「生まれついてのものなんでね。」

と、そこまで言って、渡邉哲郎は隣（となり）に座（すわ）っている田畑太一郎の顔を見た。

田畑太一郎はずっと銃口（じゅうこう）を向けられたままだったので、顔面蒼白（がんめんそうはく）で、今にも気を失（うしな）いそうなくらいに緊張（きんちょう）している様子だった。

その表情を見て渡邉哲郎は、「あの、カンナさん、田畑君がちょっと可哀想（かわいそう）なので、彼女に銃（じゅう）を下（お）ろすように伝（つた）えてくれませんか？僕が言うと、彼女また怒（おこ）りそうだし」と、山川カンナにお願いをし、そしてチラッと山川聖香の方を見た。山川聖香は無表情（むひょうじょう）を装（よそお）っていたが、彼女の目からは怒りの気配（けはい）が見てとれた。

「銃（じゅう）を下ろしなさい。」

「はい。」

山川聖香が拳銃（けんじゅう）をテーブルの上に置（お）いたのを見て、田畑太一郎はようやく自由（じゆう）に呼吸（こきゅう）ができるような気がした。

「あれ、銃（じゅう）を僕の手が届（とど）くところに置いちゃってもいいんですか？」と、少しとぼけた調子で渡邉哲郎が聞くと、山川カンナは、「その銃（じゅう）を奪（うば）って私たちを撃（う）とうとしたりするのかな？」と、少しからかうような口調（くちょう）で返（かえ）してきた。

「ははは、そんなことはしませんよ。」

「だよね。だから大丈夫（だいじょうぶ）。じゃあ、そこの坊（ぼう）やに、坂井かなえが高野恵美子を殺害（さつがい）した犯人（はんにん）であることに哲郎君が気付（きづ）いた理由（りゆう）を教えてあげたらどうかな？」

「はいはい。まあ、あまりにも簡単（かんたん）なことなので、あえて説明（せつめい）するまでもないんですけどね。」

「T大学の東棟（ひがしとう）と西棟（にしとう）の連絡通路（れんらくつうろ）は、それぞれの六階と七階で繋（つな）がっているって知らない人も多いのよ。」

「え？」と、思わず田畑太一郎は口にしてしまった。そしてすぐに、「しまった」という表情になり、恐（おそ）る恐（おそ）る山川聖香の方を向いた。また勝手に発言したということで銃口（じゅうこう）を向けられると思ったからだ。だが、予想（よそう）に反（はん）して山川聖香は無表情（むひょうじょう）のまま、渡邉哲郎と山川カンナの会話を聞いていた。

「あれ、もうネタばれですか？僕に説明させるって言っておきながら、大事なところは自分で話しちゃうんですね。」

「ふふ、ごめんね。もっと勿体（もったい）ぶって説明したかったのかな、推理小説（すいりしょうせつ）の犯人（はんにん）を暴（あば）くシーンのように。」

「いえいえ、僕に探偵（たんてい）役（やく）は似合（にあ）わないですよ。」

そして、「と、いうわけなんだけど、これで僕が犯人じゃなくて坂井かなえが犯人だってわかった？」と、渡邉哲郎は、田畑太一郎の顔を見ながら、そう言った。

「それって、かなえさんの研究室（けんきゅうしつ）がある東棟（ひがしとう）の六階は、高野さんの研究室（けんきゅうしつ）のある西棟（にしとう）の七階と繋（つな）がっているってことですか？」

「そうだよ。あそこは東棟（ひがしとう）と西棟（にしとう）で建物（たてもの）の新しさが違（ちが）うからね。各（かく）フロアの高さも違（ちが）うんだ。だから、二階同士（どうし）は連絡通路（れんらくつうろ）で繋（つな）げられるけど、上の方を繋（つな）ぐには別のフロア同士（どうし）になってしまうんだ。」

「じゃあ、あの座談会があった日、最初は東棟の六階から連絡通路で西棟に行ったから、高野さんの遺体（いたい）があった会議室は西棟の七階だったということですか？」

「そうだよ。その後で田畑君たちが守衛（しゅえい）と見た会議室（かいぎしつ）は、西棟の一階からエレベーターで行ったから西棟六階の会議室だった。高野さんの遺体（いたい）はそのときも七階にあったはずだよ。」

「そ、そんな・・・。」

「で、君と真中さんが帰ったあとに、坂井さんが遺体（いたい）を片付（かたづ）けたんだろうね。」

「な、なんで・・・かなえさんがそんなことを・・・。それに、遺体（いたい）はどこに・・・？」

「高野さんの遺体（いたい）はあそこだと思うよ」と、渡邉哲郎はバンの後方（こうほう）スペースの隅（すみ）っこに置（お）いてあるスーツケースを指差（ゆびさ）して言った。

「あれは・・・。」

「結構（けっこう）大きいスーツケースだよね。どこかで見た気がしないかい？」

「色は違（ちが）うけど、かなえさんが今日アウトレットモールで買ったものと同じモデル・・・。」

「これで今日の坂井さんの目的（もくてき）がわかったかな？」

一瞬（いっしゅん）の沈黙（ちんもく）のあと、田畑太一郎は辛（つら）そうな表情（ひょうじょう）で言葉（ことば）を絞（しぼ）りだした。

「今日買ったスーツケースには俺の指紋（しもん）がべったりとついている。というより、あのスーツケースは俺しか触（さわ）っていなかったかもしれない。だから、もしそこのスーツケースの中に本当に高野さんの遺体（いたい）があって、その中身（なかみ）を今日買ったスーツケースに入（い）れ直（なお）したとしたら・・・」