【第五章:渡邊哲郎(4)】

田畑太一郎に声をかけた坂井かなえは、真中しずえとは一緒ではなかった。


「あれ?かなえさん、真中さんと一緒いっしょじゃなかったの?」と、坂井かなえのとなりに真中しずえがいなかったことに気づいた田畑太一郎はそう言った。しかし、すぐに坂井かなえが一人ではないことに気づいた。坂井かなえのうしろには、山川聖香(やまかわ・せいか)と見知らぬ子どもがいたからだ。


田畑太一郎が山川聖香に気付きづいて挨拶あいさつをしようとすると、「こんにちは。先日せんじつはお世話せわになりました」と、先に山川聖香の方から声をかけてきた。


「あ、いえ、こちらこそ。先日せんじつはご馳走ちそうになりました」と田畑太一郎がそう返事をし、次に坂井かなえの方をなおして、「かなえさん、今日は山川さんと一緒いっしょだったんですね」と聞いた。


「ううん、たまたまさっき、そこであったの。フードコートに行くって言ってたから一緒いっしょにきちゃった。」

「真中さんは見かけませんでした?」

「え、ってないよ。」

「あれ、おかしいな。かなえさんをむかえにいくって言ってたんだけど。テキストも送ってましたよ。」

「え、本当?」


坂井かなえは携帯電話けいたいでんわして画面がめんを見た。


「あ、このテキスト気づかなかった。あちゃー、悪いことしちゃったな。もう太一郎君のところにいるって返事へんじしなきゃ」と言いながら、携帯電話けいたいでんわでメッセージを送った。


そして、坂井かなえは渡邉哲郎の方を向いて、「あの、渡邉さんでしょうか。私、坂井かなえです。T大学に留学りゅうがくしてます。はじめまして」と、少しかしこまった様子で挨拶あいさつをした。


渡邉哲郎も、「あ、こちらこそ初めまして。お会いできて光栄こうえいです」と、いつものようにえない感じで挨拶あいさつをした。


田畑太一郎は、渡邉哲郎が挨拶あいさつをするのをそばから見て、なぜこの人は第一印象だいいちいんしょうをこんなにしょぼい感じにするんだろうか、と不思議ふしぎに思っていた。だが、あえて座談会ざだんかいでの出来事できごとなどにれなかったのは、そこに部外者ぶがいしゃである山川聖香がいたからゆえの配慮はいりょなのかもしれないと考えていた。


ただ、実際じっさいには、山川聖香は座談会さだんかいで何があったかは知っている。それは、坂井かなえから高野恵美子の消息しょうそくなどについて色々と相談そうだんを受けていたからだ。しかし、渡邉哲郎はそのことは知らなかった。そのためか、渡邉哲郎はその場では、坂井かなえとは他愛たわいもない世間話しかしなかった。


渡邉哲郎は、山川聖香とも初対面しょたいめんのようであった。しかし、意外いがいなことに山川聖香にたいしてはいつもとは少しちが態度たいどをとっていた。


「渡邉です。えっと、お名前は・・・山川さん、でしたか?先ほど田畑君がそう呼んでましたけど。」

「はい、山川聖香と言います。初めまして。」

「こちらこそ、初めまして・・・と言いたいところですが、以前いぜんにもどこかでお会いしませんでしたっけ?」

「いえ、お会いした記憶きおくはないですが・・・。」

「そうですか。こちらには長くいるんですか?」

「ええ、もう何年なんねんもいます。渡邉さんも長いんですか?」

「そうですね。B市に来て、かれこれ十年はってるかもしれません。」

「そうなんですね。では、どこかの日本人の会合かいごうでお会いしたのかもしれませんね。私、あまり人のお顔とかをおぼえるのが苦手にがてなので。すみません。」

「ははは。山川さんとはちがって、僕はどこにでもいるような感じの中年ちゅうねんおじさんですから、記憶きおくのこらないのは当然とうぜんですよ。でも、僕はきっとどこかで山川さんに会ったと思うんですよね。どこだったかなー。」


二人のやり取りを聞いていた田畑太一郎は、渡邉哲郎が下手へたなナンパをしているような感じがして、なぜだかずかしいような残念ざんねんなような気持ちになった。


田畑太一郎にとって渡邉哲郎は、ミステリアスで魅力みりょくある男だと見えることがあったため、そんな彼が女性にはなの下をばしてせっしているような様子を見るのはいやだった。とは言え、山川聖香はいが上品じょうひんで美しい顔立かおだちをしているので、渡邉哲郎がそういう態度たいどになるのも仕方しかたがないかなと田畑太一郎は勝手かって納得なっとくしていた。


「こちらはむすめのカンナです。7th Grade、日本では中学一年生になります。」


渡邉哲郎の話をさえぎるように、山川聖香は突然とつぜんそう言って、むすめの山川カンナ(やまかわ・かんな)に挨拶あいさつをするようにと背中せなかを少しした。


山川カンナは少しずかしそうに「はじめまして」と小さなこえ挨拶あいさつをして、頭を下げた。


渡邉哲郎はそれに対して、「はじめまして。カンナさんですか。良い名前ですね。どういう漢字かんじを書くのかな?」と、少し話すスピードをとして、そう聞いた。


しかし、山川カンナは下をいたまま、ずかしそうにするだけで返事へんじはしなかった。


山川聖香は、渡邉哲郎とはもうあまり話をしたくなかったのか、渡邉哲郎がむすめのカンナにいた質問には答えずに、「皆様みなさまのお邪魔じゃまをしてすみませんでした。私たちはこれで失礼しつれさせていただきます。また、どこかでお会いできればと思います」と言った。表情ひょうじょうはいつものように上品じょうひんなままで、おだやかな微笑ほほえみをかべてはいたが、その目はわらってはいないように田畑太一郎には見えた。


ぎわ、山川聖香は坂井かなえと田畑太一郎に向かって、「それでは失礼しつれいします。また近いうちにお食事でもしましょうね」と、今度こんど本心ほんしんからの言葉であるかのような感じで、やさしい口調くちょうで別れの挨拶あいさつをした。坂井かなえと田畑太一郎は、それぞれに「ぜひまたお願いします」と答えた。


そのとき、山川聖香のむすめである山川カンナは、渡邉哲郎の水筒すいとうの横にりにたたまれた小さなメモをこっそりといた。そして、それを渡邉哲郎は音を立てずに素早すばやく手にしてポケットに入れた。坂井かなえと田畑太一郎は、山川聖香の方を向いていたため、二人ともそのことには気づかなかった。


山川やまかわ母娘おやこが田畑太一郎たちのテーブルをった数秒後すうびょうごに、「あ、かなえさんいたー」と言いながら、小走こばしりで真中しずえがもどってきた。しかし、山川聖香と山川カンナがテーブルを去っていく様子を見て真中しずえは一瞬いっしゅん動きが止まり、彼女の思考しこう一気いっき過去かこのある時期じきもどった。


夏休み別荘べっそう事件じけん ー 真中しずえが小学六年生のときにまれた強盗ごうとう殺人さつじん放火ほうか事件じけんだ。真中しずえの同級生どうきゅうせい一人が殺害さつがいされ、真中しずえの親友しんゆう引率いんそつの先生は今も行方ゆくえがわからない。


だが、先ほどテーブルからっていった子どもが、行方不明ゆくえふめいになっている真中しずえの親友しんゆうていたのだ。遠目とおめ横顔よこがおしか見えなかったが、真中しずえの中では、その子どもは自分の親友しんゆうであった『空木カンナ(うつぎ・かんな)』にちがいないという確信かくしんった。だから、無意識むいしきのうちに、真中しずえは必死ひっし表情ひょうじょうで、っていくその二人にかって何か言葉をはっしようとした。


しかし、その動きは「しずえちゃん、ごめんね!」という坂井かなえの声にさえぎられた。そして、真中しずえの思考しこう過去かこから現在げんざいもどされた。


あの事件じけんからもう十年近くっている。私の記憶きおくの中の『空木カンナ』はまだ子どものままだけど、実際じっさいの『空木カンナ』が子どものままであるはずがない。自分だって、今はもう子どもではなく大人の女性になりつつあるのだから。さっき遠目とおめに見えた子どもは、どう見ても高校生こうこうせいよりも上には見えない。自分と同い年である可能性かのうせいはゼロに近く、そうであるならば、あの子が自分の親友しんゆうであった『空木カンナ』のはずはないのだ。


そう冷静れいせいになってかんがえた真中しずえは、「ううん、全然ぜんぜん大丈夫だいじょうぶです。会えてよかったです」と、いつもの表情で坂井かなえに返事をした。


その後、テーブルについた田畑太一郎・渡邉哲郎・真中しずえ・坂井かなえの四人は、あらためて高野恵美子の失踪事件しっそうじけんについて情報交換じょうほうこうかんをした。


しかし、特に新しい情報じょうほうは出てこなかったので、高野恵美子を見つけるための有効ゆうこう手立てだては見つけられなかった。また、その場では、田畑太一郎は『ガーベラ』についても何もれなかったので、坂井かなえが合流ごうりゅうしてからは三十分ほどで、その場は解散かいさんとなった。


そして、その二日後、真中しずえは予定よていどおりに日本へと帰国きこくした。


(「第五章:渡邉哲郎」終わり)

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