【第五章:渡邊哲郎(3)】

田畑太一郎の料理りょうり完全かんぜんになくなっていて、飲み物もカップのそこ少量しょうりょう透明とうめい液体えきたいが残っているだけだった。


真中しずえたちがもどってくるまで、このまずい雰囲気ふんいきをどうすればいいだろうかと田畑太一郎は考えていた。だれかから携帯電話けいたいでんわにメッセージがとどいたことにして、携帯電話けいたいでんわ操作そうさしようか、それとも、カバンの中に入れているペットボトルをけてんだりしようか、などと思案しあんしていると、渡邉哲郎が口を開いた。


「ガーベラっていうのが気になる?」


その口調くちょうは、いつもと変わらない普通ふつうな感じだった。


「え?」


田畑太一郎は、渡邉哲郎が自分から『ガーベラ』の話題わだいったことに少しおどろ身構みがまえた。


「ははは。そんなに緊張きんちょうしなくてもいいよ。さっきも言ったけど、僕はガーベラっていうのは知らないよ。」

「はあ・・・。」

「そのガーベラっていうのは研究所けんきゅうじょなんだっけ?しかもなぞ集団しゅうだんなんだよね。どんな研究機関けんきゅうきかんなの?」


自分がどこまで知っているかをさぐっているのか、と田畑太一郎は勘繰かんぐったが、渡邉哲郎の秘密ひみつんでいけるかもしれないと思い覚悟かくごを決めた。


医学いがく生物学せいぶつがくだけでなく、様々さまざま研究分野けんきゅうぶんやのエキスパートが集まっている研究所けんきゅうじょみたいでです。で、そこでは、一般いっぱんの大学や企業きぎょうよりもはるかにすすんだ研究けんきゅうをしていて、その研究成果けんきゅうせいかはごくかぎられた人たちの間でのみ共有きょうゆうされ実用化じつようかされていると言われています。」


田畑太一郎は早口はやくちでそう説明せつめいをして、渡邉哲郎の反応はんのう注意ちゅういぶか観察かんさつした。


しかし、そんな田畑太一郎の意気いきみとは正反対せいはんたい様子ようすで、「へーそれはすごいね。そんな研究所けんきゅうじょがあったら、ぜひ見学けんがくに行きたいものだよ」と、渡邉哲郎はいつもとまったく同じ様子で、笑顔えがおかべながら少し冗談じょうだんっぽくこたえてきた。


「渡邉さんは本当にガーベラのことを知らないんですか?」

「うん、ごめんね。僕は最近はあんまりネットも見ないんだよね。」

「そんなに研究業界けんきゅうぎょうかい色々いろいろなことにくわしいのにですか?」

「あ、もちろん、必要ひつよう最低限さいていげんのことはネットで調べたりするけどね。でもほら、僕、本業ほんぎょうというか生活費せいかつひかせいでいるのは大道芸だいどうげいとかそういうのだからさ、毎日ちょっとは練習しないといけないんだよね。」

「あのサイトの編集へんしゅう本業ほんぎょうじゃないんですか?」


またいつものようにはぐらかされるながれだ、と田畑太一郎は少しがっかりし始めた。そのんだ様子を見て、渡邉哲郎は自分の適当てきとう発言はつげんで田畑太一郎の機嫌きげんが悪くなったと勘違かんちがいをしたようで、わけをするような感じのことを言い始めた。


「あ、いや、もちろん、君とやっている編集へんしゅう作業さぎょう真剣しんけんんでいるよ。でも、アメリカって物価ぶっかがどんどん上がってきてるから、あのWebサイトの編集へんしゅう作業さぎょうのバイトだけじゃ食べていけないんだよ。だから、大道芸だいどうげい仕事しごととか、臨時りんじ日雇ひやといバイトとか、色々いろいろなことをやらないと生きていけないんだよね。」


田畑太一郎はだまっていた。


「なんかごめんね。僕は君の期待きたいどおりの人間じゃないんだよね。本当にただのしょうもない中年ちゅうねんおじさんなんだよ。」


田畑太一郎はまだだまっている。


「でもね、もし仮にガーベラっていうなぞの集まりがあったとしたら、僕としては君みたいな将来しょうらい有能ゆうのうな若い研究者けんきゅうしゃにはそういうところとはかかわらない方がいいように思ってるんだ。」


「どういう意味ですか?」と、『ガーベラ』の話題わだいもどったからか、田畑太一郎は口を開いた。


「僕はそういうなぞ研究機関けんきゅうかんがあるとは信じていないんだけど、かりにあったとしても、表には出てこない集まりなんだよね?表に出てこないってことは何か問題があるんだよ。君はそんなのに関わらないで、表の世界でとうに生きていったほうがいいと思うよ。」

「でも、研究者けんきゅうしゃならそういう最先端さいせんたんのところで研究したいと思うのは自然じゃないですか?」

「そんなもんなのかな?まあ、そうかもしれないね。でも僕は研究者じゃないからそこのところはよくわからないかな。」


「またそうやって誤魔化ごまかすんですか?」と、田畑太一郎は少し大きな声でそう言った。その声の大きさに、渡邉哲郎は少しおどろいたようだったが、彼が何かを言い出す前に、すぐに田畑太一郎が「あ、すみません、突然とつぜん大きな声を出してしまって」とあやまった。


「あ、いや、大丈夫だよ。というか、田畑君の方こそ大丈夫かな?もしかして、高野さんが亡くなっているのを直接ちょくせつ見てしまったことで、精神的せいしんてきにも少しつかれてるのかもしれないね。すまないね、僕があまり気がかなくて。不謹慎ふきんしんなことを言ったり、君の神経しんけい逆撫さかなでするようなことを言ったりしたかもしれない。」


「いえ、そんなことはないです。すみません、本当に。でも、渡邉さんは僕なんかより、というか、僕が知っている誰よりも研究けんきゅうのことも研究業界けんきゅうぎょうかいのこともくわしいんです。大道芸だいどうげいとか、日雇ひやといのバイトとか、っていうのは本当なんですか?実はどこかで研究者けんきゅうしゃをやっていたりするんじゃないでしょうか。」


「ははは、それは違うよ。僕はほんとうに定職ていしょくにもけないただのオッサンだよ。」

「そんなに研究のことにくわしい人がそんなわけありません。」


「じゃあ、ちょっと説明しようか」と言って、渡邉哲郎はテーブルにいてあった大福だいふくに手を伸ばした。


渡邉哲郎は最初に五つの大福を自分のカバンから出していた。そして、田畑太一郎と真中しずえに一つずつわたして、自分も一つを食べた。だから、テーブルの上には二つの大福がのこっている。そして、このとき渡邉哲郎はのこった二つのうち、一つを手にしてから、説明せつめいを続けた。


「この大福だいふく研究業界けんきゅうぎょうかいだとしよう」と言って、渡邉哲郎は半透明はんとうめい包紙つつみがみをはがした。


「今はがした包紙つつみがみ、これがあるから一般いっぱんの人は研究業界けんきゅうぎょうかいのことがよく見えない。だから、そこで行われている研究の内容も研究成果けんきゅうせいかも普通の人は理解りかいできないんだ。僕らが編集作業へんしゅうさぎょうをしているWebサイトは、この半透明はんとうめい包紙つつみがみのぞくことが目的だ。」


「はあ・・・」と、突然とつぜん講釈こうしゃくに、田畑太一郎は少し戸惑とまどったが、口をはさまずに渡邉哲郎の説明せつめいを聞いていた。


「でだ、大福だいふく表面ひょうめんについているこの粉末ふんまつ、これは研究業界けんきゅうぎょうかいから出てきた成果せいか実用化じつようかされたものをあらわす。一番いちばん表面ひょうめんにあるから、包紙つつみがみをはがせばすぐに見える。仮に包紙つつみがみがあっても、包紙つつみがみの上からさわってみたら、この粉末ふんまつ認識にんしきすることができたりする。僕が研究について知っているのは、この粉末ふんまつだけだ。だけどね、この粉末ふんまつけっして大福だいふくではないんだ。」


そう言って、渡邉哲郎は大福だいふく一口ひとくちかじった。そして、かじった断面だんめんを田畑太一郎に見せながら、さらに説明せつめいを続ける。


「この大福だいふくは二つのパートに分かれている。表面ひょうめんの白いかわと、その内側うちがわにある黒いアンコだ。どちらも美味おいしい。そして、これこそが大福だいふくなんだ。表面ひょうめんについている粉末ふんまつ大福だいふく本体ほんたいではない。」


田畑太一郎は、渡邉哲郎の説明せつめいがわかるようなわからないような微妙びみょうな表情をしながらも、大人しく彼の説明せつめいを聞いていた。


「この白いかわは、君たちみたいな研究者けんきゅうしゃを目指す学生が学ぶ内容だ。知識ちしきあさいという表現ひょうげんがあるように、勉強べんきょうはじめたばかりの学生は白いかわにしか注意ちゅういがいっていない。その下にあるアンコのことに気づかないんだ。ここで質問しつもんだが、君は大福だいふくの白いかわだけを食べてから、大福だいふくを食べたら美味おいしかった、と言えると思うかな?」

「いえ、まあ、大福だいふく美味おいしいところはアンコだと思うので、白い皮だけ食べても・・・。」

「その通り!アンコこそが大福だいふく醍醐味だいごみであり、アンコを食べずして大福だいふくを食べたとは言えない。」


そう力説りきせつする渡邉哲郎を、田畑太一郎は少しややかな目で見ていた。しかし、そんな視線しせんには気にもとめずに、渡邉哲郎は説明せつめいを続ける。


残念ざんねんなことに、今の研究業界けんきゅうぎょうかいは、表面ひょうめんの白いかわをちょっとだけかじっただけの人間がえらそうに研究者ぶったりしているんだ。学生も、本来であれば白いかわを食べるのみならずアンコもしょくし、そしてその味わいを堪能たんのうすべきなのに、そこまでいかない。下手へたをすれば、表面ひょうめん粉末ふんまつをちょっと包紙つつみがみの上かられたりするくらいで自分は研究者だと言っている人もいる。僕はね、君みたいな若い研究者には、白い皮の美味しさを理解りかいした上でアンコの良さもわかるようになってもらいたいと思ってるんだよ。」

「はぁ・・・。」

「ま、何が言いたいかというとね、この大福だいふく美味おいしいということだ。」


そういって、渡邉哲郎はのこりの大福だいふくを口にいれて、それから「せっかくだから、もう一個いっこたべなよ」と言って、テーブルの上に一つあまった大福だいふくを田畑太一郎にわたした。


田畑太一郎は、その場のながれについていけず少し戸惑とまどってはいたが、渡邉哲郎が手にした大福だいふくり、それを食べ始めた。


そのとき突然、「あ、太一郎君いた!」と田畑太一郎の横から女性の声が聞こえた。そちらの方を向くと、そこには坂井かなえがうれしそうな表情ひょうじょうかおかべながら歩いてきた。


渡邉哲郎も、その声のする方を向いた。そして、彼の表情ひょうじょう一瞬いっしゅんけわしいものになった。しかし、それはすぐにいつものようにもどったので、田畑太一郎はその変化へんかには気づかなかった。


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