2.清い水とは

 教室という名の監獄を出て、外の空気を吸いこんだ。少し埃っぽい空気は、決して清々しいなどとは言えない。

 校門を抜ければ、目の前を大型トラックがガタガタと荷台を揺らしながら通り過ぎていく。排気ガスに少しむせて、咳をひとつ。

 どこへ行っても、ほこりっぽい。雨でも降れば変わるだろうが、結局また同じことの繰り返し。雨が洗い流したとてそれは、一時凌ぎでしかない。

 駅への道、用水路には蓋がない。ちろりちろりと流れていく水が、灰色のコンクリートを濡らしてゆるゆると歩く。

 地球とは水の星であると、テレビで言っているのを聞いた。

 植物は、その体内の八割から九割が水である。

 動物は、その体内の七割が水である。

 命あるものは水なくしては生きられない。

 けれど。

 地球上において、たしかに水は70パーセントを占める。けれどその水はほとんどが海水で、淡水なんてその中のたったの2.5パーセントでしかない。そしてその淡水ですら、そのうちの70パーセントは南極や北極の氷だ。

 そのまま人間が使える水が、どれほどあるか。

 たとえばこの用水路を流れる水は、使える水だろう。けれど、手にしてそのまま飲める水ではない。

 ちろちろと、水が歩く。絢世が歩くよりも遅い速さで、コンクリートの色を変えながら。きっと水はひた走っているのだろうに、流れれば流れるほどにコンクリートに奪われていく。

 じっと、彼の目が見ている気がした。

 握りしめた手の中に水はあって、けれどもそれはコップ一杯にもなりはしない。手を開けばあっという間に零れて消える水が、一体どれほどのものだろう。

 清い水とは、どのような水か。そのまま人間が飲める水か、それとも魚がゆうゆうと泳げる水か。

 水面に水草が繁茂はんもしたとて、清い水はあるだろう。きれいとか、きたないとか、一体どのようにして決めるのだろう。

 分かっているよ。

 その水の価値を決めるのは、絢世あやせではない。からからに乾き飢えた人にとって、たった一滴の水が救いになるように。

 透明な壁の向こうに、彼の黒い目。責めるでもなく、救いを求めるでもなく、何一つとして見えない虚ろが広がっている。

 空を見上げれば、ただ青い。青色だけが我がもの顔で、空いっぱいに散乱する。

 分かっている。

 言い訳のようなことを思ったところで、誰かに伝わるわけでもない。そこにあるのは透明な壁、誰一人として踏み越えない。透明な手で耳を塞いで、透明な手で目隠しをして。

 その手に水を、握りしめているくせに。

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