ひとにぎりの水

千崎 翔鶴

1.白河の

 頬杖をついて窓の外を見れば、爽やかな秋晴れの空が広がっていた。夏休みも終わり四角い教室に収容されて、何も楽しいことなどない。

 だからきっと彼らのあれも、この監獄での鬱憤うっぷん晴らしのようなものだろう。

「うわっ、気持ち悪い、触るなよ!」

 教室の中の声に、耳を塞いだ。本当は塞いでいないのに、透明な手で塞いでいるふりをした。

「ご、ごめん……ごめん、なさい」

 ぼそぼそと謝罪の声がする。

 聞こえているのに、聞こえないふりをした。そこには透明な手があって、何も聞こえてはいない興味もないと耳を塞いでいる。

 何かが落ちていく音がした。それでも何も聞こえないふりをして、窓の外を見る。

 放課後の教室に、もう人はほとんどいない。彼らはここに絢世あやせがいることに気付いているだろうに、気付いていないふりをしている。

 透明な壁の向こう。隔絶。断絶。

 絢世の耳を塞いだ透明な手と同じように、絢世の周囲を壁が囲う。決して消えることのない透明な壁の向こうで、彼らは今日も監獄の内側で鬱憤うっぷんを晴らすのだ。

 空は青い、雲は白い。

 空が青いのは、空のせいではない。空はその色であろうとして、青い色をしているのではない。ただ、青い色だけが世界中に散らばろうとするから、青い色だけが勝手にどんどん広がってしまうから、空は青いのだ。

 散乱。分散。散開。

 窓ガラスの向こう側で、青が身勝手に踊っている。

「清きにうおも、みかねる」

 ぽつりと、落ちた。

 この鬱屈うっくつとした監獄の中を、いかにしよう。右向け右で全員に同じことを教え、答えのあるものに対する姿勢だけを教える世界を、いかにしよう。

 青い空に、白い雲が浮かんでいる。ただ散らばって広がり続けようとする青い色など無視をして、そこにぷかりぷかりと浮かんでいる。

 帰ろうぜと、声が聞こえた。足音と、無音。

 ようよう終わったのかと、透明な壁の向こうへ目を向ける。教室の真ん中あたり、同じ机が並んでいるはずなのにぽつねんと孤独なその場所。

 俯いて、彼は座っている。少し長い前髪のカーテンが、俯いた彼の顔を閉ざしている。

 教室の中、空気の動きすらもない。呼吸をするような音も聞こえない。凍てつき止まったかのような空気は、じわりと動くこともなく停止し続ける。

 ふと、彼が顔を上げた。まばたきをすることもなく、真っ黒な目が絢世を見ている。透明な壁の向こう側、断絶された先。

 清すぎる水に、魚は棲めない。

 まばたきを一度、二度。それでも彼の目は、絢世を見たまま動かなかった。透明な手で目隠しをされて、絢世は彼から視線を逸らす。

 そんな目で、見られても。

 透明な壁の向こうで、何もない目が絢世を見ていた。助けを求めるわけでもなく、絢世を責めるわけでもなく。

 ただ、じっと。

 一杯の水にも満たないもので、誰かを救えるなどあるものか。砂漠で行倒れた人間でもあるまいに。

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