第4話 同級生たちの恋愛事情(※一部改稿済)

 二時間目の世界史が終わったあと、小杜妃華こもりきっかがスマホを片手で弄りながら、教室の後ろの扉から入ってきた。


 律は横目で妃華の様子を窺った。


 デフォルトで無表情。

 まったくと言っていいほど周りの目を気にする素振りもない。

 まるで周囲に溶け込むかのように、何事もなくまっすぐに自分の席へ向かう。


 そうして窓際の自分の席に静かに座ると、カバンを机の横にかけ、そのまま頬杖をついて、物憂げな表情で窓の外を眺め始めた。最初から座っていました、そんな感じで。


 ——遅刻、サボり。


 今に始まったことではないので、クラスメイトたちもあまり気にしていない。というより、努めて気にしないようにしている空気だ。妃華についてはいろいろ噂があるし、あの調子だし、周りもだいぶ気を使っている感じがある。


 ヤンキーとまではいかない。

 ただ、問題を抱えている子、いろんな噂がある子として、見ず、訊かず、触れず——それがクラスメイトたちの暗黙の了解でもあった。


 ただ、今朝から律は妙に妃華のことが気になっていた。学校に間に合う時間には歩いていたのに、学校とは反対方向へと歩いていたことを——


(あのあと小杜さんはどこへ行ってたんだろ……?)


 窓に反射する彼女の顔は、この世界が退屈ばかりを詰め込んだ箱のようだと言わんばかりに、つまらなそうだった。


「律、なに見てんの?」

「……え?」


 急に朱音から話しかけられ、律は慌てて笑顔をつくる。


「今、窓のほう見てなかった?」

「いや、なんでもない。今日も天気だなーって」

「……なんか誤魔化してない?」

「してないしてない」

「本当ー?」

「本当だってば」


 朱音は「そう?」と小首を傾げた。それでもなお疑うような目で見てくるので、律は無理やり変えることにした。


「そういえば次の授業なんだっけ?」

「次……あ、コミュ英だ〜……」

「朱音の苦手なね」

「律だって苦手でしょ?」

「まあね」

「じゃあ同類同類〜」

「そこ、あんまり一緒にされたくないなぁ……」


 朱音はコミュニケーション英語というより英語全般が苦手だ。

 朱音曰く「日本に住んでいて、これからも日本に住み続けるのだから、英語なんて必要ない」とのことで、そこまで熱心に勉強したくないらしい。


 ……たしかに一理あるのかもしれないが、決められたカリキュラムだ。

 取捨選択できないのが学生の悲しいところでもある。


「まあでも、朱音のペアは新見にいみさんだから問題ないんじゃない?」

「まあね……じゃ、今日もちゃんに私のぶんも頑張ってもらおっと」

「そこは自分も頑張るとかじゃないんだね……?」


 律は呆れて苦笑いを浮かべた。

 そのとき、視界の端に、こちらにやってくる女子が見えた。


「なに話してんの? ツカちゃんって聞こえたぞー」


 はつらつとした笑顔を浮かべている女の子は、今話題に上がっていた「ツカちゃん」こと新見束彩つかさだ。


 スラリとした体型で背が高く見えるが、実際は朱音より二、三センチ高いくらい。

 いかにもギャルという感じで、茶髪にピアス、ピンクのカーディガンを着ていて、淡いピンクのネイルをしている。


 朱音の話によると高校デビューを果たした子だそうで、ギャルになる前は真面目ちゃんだったとか。今は真面目にギャルをやっている。


 成績は律と同じくらいといったところで、教科によっては律よりも点数が良い。特に英語が得意で、小学校から中学校までの九年間、英会話教室に通っていたそうだ。だから、コミュ英でも抜きん出てペラペラと英語を話せたりもする。


「うちの悪口とかじゃないよねぇ?」

「違うって。コミュ英だからペアよろしくって話」

「とか言って、朱音は真面目にやらないからなぁ〜……どーしよっかなぁ?」

「お願いします! ツカちゃん様!」


 冗談っぽくそんな話をしている二人を律は見ていたが、


「あ、そうだ! 律くん、今日はうちとペア組まない?」

「……え? 俺っ⁉」

「ちょっ……⁉ ツカちゃん⁉ この浮気者ぉーっ!」

「あはは! 浮気ってなんだよー?」


 これはいつもの束彩の冗談だ。

 彼女はからかい上手で、律だけでなく朱音をターゲットにすることもある。今は、普段不真面目な朱音をちょっとだけ困らせたいのだろう。


「ほら、たまにはべつの人とペア組むのも有りっちゃ有りでしょ?」


 そう言って、束彩は律の肩に手を置いた。困ったことに、束彩はこういうのに遠慮のないタイプで、男子を勘違いさせやしないかと律は前から思っている。


「てことで、律くん、今日はよろしくね〜?」

「なぁっ⁉ そんなぁ〜……」

「いや、俺は……」

「なになに? 俺は朱音と組みたい、とか?」

「え? そうなのっ⁉」

「違うから……」


 思っていた以上に朱音のリアクションが大きかったせいか、束彩は急に噴き出して笑った。


「なーんて、冗談だよ。今日もよろしくね、朱音」

「ホッ……よかったぁ〜……」


 からかわれてすっかり顔を赤くした朱音だったが、ほっとひと安心といったところで、にへらっと笑ってみせた。


「律くんは拓海たくみくんと?」

「たぶんね。でも拓海は、ほら……」

「「あぁ〜……」」


 律が苦笑いで言うと、朱音と束彩はなんだか納得といった感じで、教室の廊下側にいる拓海のほうを見た。拓海は一人の女子と仲良さそうに話している。クラスメイトの一人、吉崎明里よしざきあかりだ。


 そちらを向きながら、朱音と束彩はニヤニヤしながら話す。


「わかりやすいよねぇ〜」

「拓海くんの好きそうなタイプだもんね」

「てか、男子全般?」

「わかる。清楚系って強いよねー」

「ツカちゃんもメイク落とせば?」

「ヤダ、死ぬ!」

「なにそれ、大げさだなぁ」


 二人が話しているように、たしかに拓海の好きそうなタイプだし、実際拓海は一年のときから明里のことを可愛いと言っていた。


 今年同じクラスになり、拓海にとっては願ったり叶ったりで、ああして積極的に話しかけに行っている。


 明里はいつも控えめに笑う子で、本当に「清楚系」という言葉がよく似合っている。最近横髪を編むようになって、彼女の小顔が際立つようになってから、さらに可愛く見える。

 むろん、律の好きな清楚系タイプでもあるが、好みとは若干違っていた。


 遠目で見て、拓海と明里はお似合いだと思うが、実際はどうなのか?


 拓海が露骨すぎて、明里から引かれていないか若干気になるところでもあるが、今のところ関係は良好のように見える。


 そんなことを思っていると、朱音がポツリと呟いた。


「彼氏かー……」

「なになに? 朱音も彼氏ほしいとか?」

「ううん……そんないいもんじゃないと思うんだけどなぁ〜って……」

「え? そう?」

「まあ、私はちょっとねぇ……」


 すると束彩が苦笑いを浮かべた。


「朱音の場合、理想が高いんだって。てか、男を見る目がない」

「ひっどぉ! そんなことないしー!」

「だいたい、前に付き合ってた人だって一ヶ月くらいで別れたじゃん?」

「あれはー……付き合ってるうちに向こうの束縛がひどくなってー……」

「はいはい。てか朱音はさぁ——」


 二人の会話を聞かないふりをして、律はそれとなく窓際のほうに目をやった。そのとき、たまたま妃華と目が合ってしまった。


 やはり気だるそうな、無表情——なにを考えているかわからないその目が、じーっと律を見つめている。そこで律は、はっとした。


(ヤバ……目、合った……)


 しかし妃華は興味なさそうに視線を外すと、手元のスマホを弄り始めた。なんだかほっとした律だったが、わしっと両肩を束彩に掴まれた。若干驚いた拍子で、律はビクッとなったが、頭上にはニヤつく束彩の顔があった。


「律くん、朱音が彼氏募集中だってー」

「……え⁉」

「どうよ? 二人って同中でしょ?」


 突然のことに律は顔を真っ赤にしたが、朱音はこの手の冗談に慣れているのか、割と平気そうな顔でいる。


「律と私はそんなんじゃないってー」

「えー? うち的にはお似合いだと思うけど?」

「はいはい。てか、律が困ってんじゃん? そろそろやめてあげて」


 朱音に軽く言われ、束彩は面白くなさそうに律の肩から手を離した。


 まあ、でも——今のでもハッキリわかるが、朱音は律に対して恋愛感情のようなものは抱いていない。


 中学のときは、朱音のことがいいなと思う時期もあった。


 けれど、そのときの熱も今ではすっかり冷めて、今の律にとってはただの女子友達の一人になっている。


 そのことを思い返して、律は意味もなく曖昧な笑顔で誤魔化しておいた。


 そうして朱音と束彩がべつの話題を始めると、律はふと窓辺のほうを見た。やはり妃華は退屈そうにスマホを弄っていて、それがどことなくもう一人の自分のような気がして、律は少しだけこう思った。


 たぶん俺もこの日常が退屈なんだ、と——。

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