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「こんにちは!」

 理奈は、アナとエルサのシルエットがプリントされた不織布マスクを着けたカストーディアルキャストの女性に声をかけられ、少し驚いた。

「お誕生日なんですね、おめでとうございます!」

 理奈の左胸には、あの男性キャストにもらったバースデーシールが貼られており、女性キャストはそれを見て挨拶をしてくれたんだと理奈は理解した。他のキャストからもそのような反応をもらっていたので、理奈は満面の笑みで「ありがとう!」と返した。

「実はですね、お誕生日のゲストさんのための特別プログラムがあるんです。参加されますか?」

 女性キャストは理奈に対してというより、理奈の両親に対してそう提案してきた。

「そんなのがあるんですか? いや、知らなかったな」

「あの、お金はかかるんですか?」

 追加料金が発生するのではないかと愛奈が心配したが、女性キャストは目で笑っていることを表しながら首を横に振った。

「サービスですからご安心ください。ちなみにこれは日によって行ったり行われなかったりというレアなイベントですので、毎日出来るサービスではないんです」

「ねぇいいでしょー? 私やりたーい!」

 理奈はすでに女性キャストの提案を受け入れており、しかも〝レアなイベント〟というワードも心をくすぐった。人は限定というものに弱い。それは9歳になったばかりの女児にしてもそうだった。

「まぁ、いいんじゃないかな。なぁ?」

 信二は愛奈に問いかけ、彼女も「そうね」と同意して頷いた。

「わかりました! ちょっとお待ちくださいね」

 女性キャストは三人に背を向けて、青い上着の下に隠していたミッキーマウスの形をした無線機を取り出した。一方の電源を入れて、女性キャストはそれを理奈の両親に差し出した。

「では、こちらをお持ちください。イベントの準備が出来ましたら、お二方をお呼びします。私とプリンセスは或る場所に移動しますが、どうかサプライズイベントですので、ご了承ください」

 信二は「はぁ」と言って、ミッキーの形をした無線機を受け取った。

「かくれんぼみたいなイベントなんですか?」信二はそう訊ねた。

「それに近いですが……ここですべてを話してしまうことは出来ないんです。でも必ずわっと驚くようなことが起こりますから、どうぞお楽しみになさっててください!」

 女性キャストは目元で笑って見せて、自信に満ちた語気でそう言った。

「では行きましょうか、プリンセス」

「うん! じゃあパパママ、また後でねー!」

 理奈はすっかり女性キャストの指示に従っていた。自分のことを〝プリンセス〟と呼んでくれている点も高評価だったのだろう。キャストの差し伸べられた手を取り、二人は手を握った。

「準備が出来ましたら、こちらからレシーバーで連絡いたします。どうぞお楽しみになさっててください、絶対に素晴らしい思い出になりますから」

 女性キャストはそう言って理奈と共に去ろうとしたが、信二が呼び止めた。

「あ、すいません。お名前を聞いてもいいですか?」

 女性キャストは立ち止まって、質問に答えた。

「オードリーです。母がアメリカ人で、日本国籍になってから大きな鳥と書いて大鳥おおどりと名乗っています」

 オードリーと名乗った、いかにも日本人な女性キャストはぺこりと頭を下げて、はしゃぐ理奈と一緒に二輪カートを押しながら去って行った。

「……変わった人ね」

 愛奈がそう呟いて、ほんの少しだけ不安を感じたが、信二の方は完全に信じきっていた。

「そうだなぁ。まぁほら、ディズニーランドってそもそもアメリカが本場なわけだし、ああいう人もたくさんいるんじゃないか? シンデレラだって外国人の人がやってたし。それに、こんなイベントがあるなんて知らなかったよ。楽しみだな、サプライズって」

「そうね。あの子もすごくはしゃいでたし……まぁ大丈夫よね」

 二人は顔を見合わせて、ふふっと微笑んだ。しばしの間、二人きりのディズニーランドを楽しもうと決めた。


 カストーディアルキャストの和田は、トゥモローランドで勤務中だった。

 地面に落ちていたゴミを回収していた際に、若い女子グループから声をかけられた。

「何を集めてるんですか?」

「魔法のカケラですよ」

 そう答えると、女子グループたちは「わっ、本当に言ってくれるんだ!」とはしゃぎながら去って行った。和田はそのうしろ姿を微笑ましく思いながら、喜んでくれたことに心があたたかくなった。ゴミの回収ひとつ取っても、そこは〝ディズニーランドの住人〟という設定上、ただ「ゴミを回収してます」と言ってはいけない。魔法のカケラ、夢のカケラといった風にアクセントを付けないといけない。ゲストたちが少しでも、〝夢の国〟を楽しんでもらえるためにするサービスだった。

 和田は、同じくカストーディアルキャストの大鳥杏子の姿を見かけた。エルサのコスプレをした女の子と一緒だった。

(迷子かしら?)

 ディズニーランドのみならず、テーマパークに迷子や迷い人は付き物だ。キャストは研修の中でも、迷子と思しき子供を見かけたら声をかけるよう教育されている。和田も何度かそういう子供を見つけて、一緒に親御さんを探したり、迷子センターへ同行することがあった。ディズニーランドの迷子センターは施設としてはかなり充実していて、そこで働くスタッフから聞いた話では「まだここで遊ぶ!」と言う子供までいるそうだ。よほど居心地の良さを重視して作られているのだろう。

 大鳥とエルサの格好をした女の子は、談笑しながら手をつないで歩いていた。女の子は、とても楽しそうだった。大鳥が丁寧な接客で定評のあるキャストであることは、元教育係の和田もよく知っていた。

(まぁ、大丈夫よね。彼女なら)

 和田は大鳥を信用して、自分の仕事に戻ることにした。

 そうだ、お昼の懸けは忘れていない。今日の総入園者見込みは三万五千は確実に行く見通しだ。何をおごってもらおうか、和田は楽しみにしていた。


「ちょっとだけお待ちくださいね。すぐに戻りますから、ここで待っててくださいね」

 ちょうど空いていた多目的トイレを見つけて、杏子は理奈に念を押すようにお願いした。どうかここを離れないでと。理奈は素直に「わかった!」と頷いて、杏子は安心した。そして二輪カートごとトイレの中に入り、鍵を閉めた。

 そしてすぐ、カートのゴミ箱の袋の下に収納していたビニール袋を取り出した。急がなければ。杏子はそう思いつつ、いては事を仕損じることも心得ていたので、冷静にまずは身につけていた衣服を脱ぎ始めた。肌着姿になってから、ビニール袋の中に入れていたコスプレ衣装を取り出し、着始めた。履き物もローファー靴から黒いブーツに替え、後ろでまとめていた焦げ茶色の髪をほどき、三つ編みにした。そして、顔につけていたマスクも外した。無線機とピンマイクは、もちろん忘れなかった。


「まーだっかなー、まーだっかなー」

 トイレの外では、エルサの姿をした理奈が体を前後に揺らして、ブーツの靴底を鳴らしていた。

 やがて、トイレのドアが開いた。

「お待たせしました、プリンセス」

 待ちかねていた理奈が見たのは、先ほどのカストーディアルキャストの姿ではなかった。

「すごいっ! アナだ!」

 女性キャストは、『アナと雪の女王2』に出てくるアナの格好をしていた。黒いドレス風の衣装に、袖のない紫色のローブ、暗めの黄色いタイツに黒いブーツという姿、しかも髪は茶髪の三つ編み。杏子は今年で五十路になったが、歳よりも若く見える見た目が幸いして、その姿はまったく浮いてなかった。

「喜んでいただけました?」

「うん! すっごく嬉しい!」

 理奈は我慢できず、女性キャストに抱きついた。喜びのゲージはかなりMAXに近い。さぁ、あともう一息だ。杏子は理奈の反応に満足して、二人は手をつないだ。

「さぁ、スペシャル会場にご案内します」

 杏子はそう言って、理奈と一緒に歩き始めた。〝スペシャル(特別)な会場〟に向かって。

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ディズニーで復讐を 沼の人 @numabito

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