第48話 ナツユメ

 テンポよく言葉を返していた恵莉奈……天川が黙り込む。


 静寂の中に、花火がつぎつぎと上がる音だけが反響する。周囲の歓声も、虫の伴奏も何も聞こえない。


 ただ、花火と天川詩乃だけがそこにいた。


「鋭いのね」


 そう落胆した天川はウィッグと変装用のマスクを取る。そこにいたのは、ピンクの浴衣に黒髪ロングの美女、天川詩乃だった。


「その変装道具は圭吾に作らせたのか」


「ええ、ちょっと急ぎだったけどね」


 変装用のマスクなんて映画以外では初めて見た。だが、そんなものでは俺の目は誤魔化せなかった。


 確かに、声も恵莉奈に似せていたし、膝をすこし折って歩けば彼女と同じくらいの身長になる。


 でも、胸の大きさも、匂いも、スマホも……なによりすべてが天川詩乃だった。


「どうすればバレなかったのかしらね」


「仮面で誤魔化そうとしてもダメだ。天川は天川だし、恵莉奈は恵莉奈だ。俺が間違えるはずがない」


「風邪をひいた時も、海も、今回も。一度たりともあなたは私を見誤らなかった。……ちゃんと見てくれてるのね」


 天川詩乃の芯が天川詩乃である限り、見間違えるはずもない。


 不器用なくせに一生懸命で、ちょっと変わっていて、変態で、マゾで、漫画バカで、スケベで……。


 本当は苦しんでいるくせに何も言えない。弱くて強くて、ワケの分からないやつだ。


「今日は恵莉奈とデートした後に、天川と会う約束をしてたはずだ」


 それが三人で決めたことだった。


 今日の最後に、俺は天川か恵莉奈のどっちかを選ぶ。海の旅行で決めたことに変わりはない。


「神原さんが譲ってくれたの。最後くらいは一緒の時間をくれるって」


 それは恵莉奈なりの譲歩だろう。


 パーティーのあと、恵莉奈は天川を退寮させた。


 彼女は俺のために悪役になってくれたのだ。


 そこから俺と天川は一度も会っていない。そのことについて恵莉奈自身が思うところもあっただろう。


 天川と俺がこの数カ月で距離を縮めていたことも知っているし、いい関係だったことも知っている。それをいきなり離れたのでは、俺と天川も区切りがつかない。


 だからこれは恵莉奈なりの配慮だ。今日で別れを済ませて、互いの道に進んだ方が双方にとって幸せだという考え。


 事実、俺は天川といると、パーティーの日のことを思い出して吐きそうになってしまう。だからこそ、無責任に戻ってこいなどとは言えなかった。俺が発作を起こしたら、天川だって辛くなってしまう。


「天川……」


それでもなにか言葉を紡ごうとしたが、天川は立ち上がって距離を取ると背を向ける。


「神原さんに変装してればあなたも症状が出ないで、最後のお別れも上手くできると思ったのだけど」


「ごめんな。気付かないふりしてればよかった」


「いいの。だってあなたは今日ずっと我慢してくれてた」


 天川も俺の症状に気付いていたのだ。


 互いに気付きながらも、隠し通していた。俺たちはあのクリスマスから、一歩も前に進んでいないのかもしれない。


「……今までありがと。楽しかったわ」


 天川が最後の別れを告げた時だった。


「ちょ、ちょっと待てよ!」


 俺は天川の手を掴んだ。か細いその手を放さぬようにしっかりと。


 彼女を繋ぎとめる意味も、打算もなにもない。


 それでも反射的に……本能が彼女を求めていた。


「まだ花火は終わりじゃないだろ」


 夜空には花火が次々と打ちあがっている。


 あんなに輝いていた星々も夏の花園の前ではそのきらめきを失う。


「その、まだ終わりにしたくない」


「ありがとう」


 背を向けたまま、天川は空を見上げた。 


 夜空に舞う火花は夜の帳を鮮やかに彩る。まっくらだった場所に光をくれる。


「じゃあ、もう少しだけ……もう少しだけデートごっこして」


 弱々しい声。普段の天川なら考えられないほどに。


「本当にこれで最後にするから、最後にするから。思い出をちょうだい。そうしたら一生頑張れるから」


 振り向いた彼女の涙はいまにも溢れ出しそうで……。


 それは美しくも儚い、夏の夢だった。

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