第12話 オナホっすか?

「あはは、最近原稿が忙しくて片づけてないんすよ~」


 この声は……部屋に入ってきたのは天川だろうか。


 彼女に見つかるのは非常にまずい。


 童貞卒業に加えて、弄られるネタが増えるのは勘弁だ。


「と、ところで天川先輩は何の用っすか?」


「島崎くんをさがしているのだけど、神原さんの部屋にいないかなって」


「いやー、さすがに部屋には連れ込まないっすよ~」


「そうよね。彼氏じゃないものね」


「ええ、天川先輩と同じく」


 布団の中だから、ふたりの顔は見えない。


 それでも、笑ってない笑顔でバチバチになっているのだけは分かる。


「まあ、島崎くんとキスもしたことないあなたじゃ、彼の居場所も分からないか」


「なんすか? 喧嘩売りに来たなら買うっすけど?」


「別にそんなつもりはないわ。ただ事実を述べてるだけであって」


「そうっすか。まあ、ワンナイトの関係、たった四ヶ月で破局した天川先輩じゃ師匠の居場所は分かんないっすよね~」


「さすがに挑発行為だと受け取るけど?」


「事実を述べたまでっす~」


 こわい! こわいよ!


 なんで女の言い合いってこんなに迫力あるの⁉


 ここはモンスターハウスなのか?


 怯えを隠すように枕に顔を埋めると……グッドスメル‼


 恵莉奈特有のシトラスの匂いと、柔軟剤の香り。恵莉奈の『女の子』を一気に吸い込んで、彼女を意識してしまう。


 よく考えるとすごい状況だ。


 元カノ二人がいる部屋で、旧元カノのベッドに潜ってその匂いを嗅いでいる。


 そう意識した途端、倒錯感のせいか五感が敏感になる。


 匂いはもちろんだし、やたら柔らかい布団や可愛いシーツ。そのすべてが恵莉奈の女の子っぽさであるのだ。


 そして敏感になったのは五感だけではない。第六感、つまり危機感だ。


 今からここが危険地帯になるのだと、察してしまった。


 だが、文字通り逃げ場はない!


「まあ、島崎くんがここにいるはずないものね」


「うーん? それはどういう意味っすか?」


「だって島崎くんは元カノの私に一ミリくらい冷たいじゃない?」


「そうっすね。天川先輩の定規壊れてると思うっすけど」


「だから、同じく元カノの神原さんの部屋にいるはずないかなって」


「あれ~? もしかして同列扱いっすか~?」


「まさか。私より下でしょ?」


 どうしよう、八王子が爆心地になっちゃう。最終戦争が始まっちゃう!


 そう怯えていたのだが、俺をさがす時間が無くなることを気にした天川が手を引いてくれることになった。


「それじゃあ、お邪魔したわね」


「まじ邪魔っす」


「そうよね。せっかく元カレと二人きりの時間だったものね」


「き、気付いてたっすか?」


「男の子連れ込むときは、スリッパまでちゃんと隠さないとダメよ?」


そう言い残して天川は部屋を出て行った。


「し、師匠。もう大丈夫っす」


「お、おう……」


 布団から出ると、ベッドのわきに脱ぎ散らかしたスリッパを履きなおす。


「するどい観察眼っすね、天川先輩」


「伊達にインプットインプット言ってるわけじゃないな」


 まあ、それはそれとして……。


「師匠はあたしで童貞捨てなかったすけど、天川先輩とはしたんすね。やっぱり、つらいっすよ……」


 恵莉奈の目は不安に揺れていた。


 そして改めて言われるとちょっと気まずい。


「なんでっすか。あたしが誘った時は断ったのに。そんなに女として魅力なかったすか?」


「そ、そういうことじゃない! 恵莉奈は可愛いと思う。でもあのときはまだ高校生でさ、するわけにはいかなかったんだ」


「あたしが欲しかったのは常識なんかじゃないっす。師匠の好きって気持ちっす」


「……ごめん」


 いつもなら「いいっすよ」と返してくれる恵莉奈も今日ばかりはそうもいかなかった。


「あたし、あのときすごい勇気出したっす。でも断られて……女の恥っすよ、あんなの」


 天川との接触が増えて、恵莉奈は過去の自分と比較してしまっている。すこし敏感になりすぎているのかもしれない。


「恵莉奈のこと、本当に好きだったよ。……今でも好きだ」


「じゃあ、なんでっすか! なんで天川先輩とはできて、あたしとはできなかったんすか! なんで師匠は常識選んじゃったんすか! 未成年飲酒もしてたくせに! 常識なんて大嫌いだって言ってたくせに!」


 俺は常識を言い訳に使って逃げたんだ。好きという感情が分からなかったから。どう扱えば正解かわからなかったから。


「師匠があたしを大事にしてくれたのは分かるっす。ただ性欲のはけ口にされてるんじゃない、大切にされてるんだって分かって嬉しかったっす」


 でも、と言葉を続ける。


「じゃあ、エッチしちゃった天川先輩とは愛があったんすか?」


「そ、それは……」


「それとも天川先輩はオナホだったんすか?」


「そ、そうじゃない!」


 それだけははっきり言えた。天川のことが好きだったのも、恵莉奈のことが好きだったのも本当で。いまも好きで。


 でも、好きの形も価値観もどんどん変わっていく。恵莉奈と付き合ってたころと、天川と付き合ってたころ、そして今の俺は別人と言っていいだろう。それは恵莉奈も頭でも分かっているはずだった。


「ごめんなさいっす。ちょっと意地悪言ったっす」


 だからこそ、その言葉が出てきた。


「でも……あたしは師匠のこと、今でも好きっす」


「ありがとう」


 俺だけじゃない。恵莉奈にも恵莉奈の形の『好きの呪い』があるのだと知った。

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