調べ(土方+近藤)

「歳、これをやろう」

「………は?」


 にこにこ笑顔の近藤さんから突然差し出されたのは、高級そうではないものの、良い音の出そうなものだとわかる、横笛。

 使い古されたものではないから、新しく購入したもののように思える。

 だがいくら考えても、何故それを近藤さんが持っているのかも、何故それを迷いもなく自分に差し出してくるのかも、さっぱり理解できなかった。


「多摩に居た頃は、よく吹いていたじゃないか」

「まぁ……そうだけど」

「少し吹いていなかったからって、突然吹けなくなる訳じゃないんだろう?」


 俺は、楽器にはとんと疎いから、難しさはあまりよくわからないが……。

 そう付け足しながら、ぐいっと押しつけられるように渡された横笛を、思わず受け取ってしまったのは、間違いだったかもしれない。


 いそいそと隣に座り込み、何か一曲聞くまでは帰らないつもり満々の、近藤さんの姿を見てそう思ったけれど、今更それを返そうにも、簡単には受け取って貰えない事は明白だった。


「どうしたんだよ、これ」

「刀を研ぎに出した帰りに、偶然通りがかった露店で、売ってるのを見かけてなぁ」

「……わざわざ、買ったのか? 近藤さんが?」


 まさか、近藤さんが楽器を買ってくるなんて、想像もしていなかった。

 剣術や兵法に興味はあっても、芸術に関しては範疇外のはずだ。

 露店で売られている楽器に目が行っただけでも珍しい事なのに、購入までしたとなると、天変地異でも起きるのではないだろうかと、疑ってしまっても仕方がない事のように思う。


「歳が以前、多摩の河原で吹いてくれたのを思い出したんだ。それに、お前に似合いそうだと思ったし……」

「俺に?」


 あまりにも、驚いた顔をしていたのだろう。

 まるで、言い訳でもするように頭を掻きながら、その経緯を重ねてきた。

 しかもその言葉からすると、この笛は自分に贈る為だけに購入されたらしい。


「最近忙しそうにしてるだろ? だからたまには、こういうもので息抜きをするのもいいんじゃないか?」

「…………」

「というのは、建前で。ただ俺が、歳の演奏を聞きたかっただけなんだが……もしかして、何か吹きたくない事情でもあって止めのか?」

「いや、そうじゃねぇよ」


 照れたようにどんどん言葉を重ねて行く度に、いろんな想像が湧きあがってきたのだろう。

 自分の言った事に慌て出した近藤さんを苦笑で制して、「そんなことはない」と、首を振る。

 そして、再び手の中にある横笛に視線を落とした。


 確かに多摩にいた頃は、手持無沙汰に吹いていた事もあったが、近藤さんの記憶に残る程の腕前ではなかった様に思う。

 もちろん、やるからには中途半端は嫌だったし、それなりに数曲吹けるようにはなっていたが、あくまで趣味程度のそれでしかなかった事は、否めない。


 けれどなんとなく、既に手になじみ始めているそれは、久しぶりに近いようでずいぶんと遠くなってしまった、多摩の匂いを思い出させる。

 図らずも近藤さんの言う通り、音を奏でてみようかという気持ちになってきた。


「吹いてみたく、なってきただろう?」

「……そうだな」


 じっと笛を見つめているのに気付いた近藤さんに、嬉しそうにぽんっと背中を押された。

 視線を上げると、そこには「さぁ、心おきなく聞かせるがいい」とでも言わんばかりの、変わらない笑顔がそこにあって、溜息に続けて思わず笑みが漏れる。


 確かに、息抜きの手段としては悪くない。

 ここのところ、休むことなく走らされていた筆を、少し置くのもいいだろう。

 何より、近藤さんの期待に満ちた眼差しを、これ以上かわせる自信もなかった。


 音を乗せる風を引きこむように、立ち上がって部屋の障子を開ける。

 そこに見えるのは、春と夏の間に訪れる、爽やかな風と新緑の匂い。

 笛の音が、透き通る気候だ。


「歳、こっちだ」


 部屋の外にある縁側に移動した近藤さんが、そこが定位置だとでも示す様に、胡坐を組んだその隣の床を、ぽんぽんっと叩いて呼び寄せてくる。

 青々とした木々を正面に、導かれるままに近藤さんの隣に腰かけると、いつの日か多摩で同じように、近藤さんと並んで笛の調べに身をゆだねた時を、ふと思い出した。

 恐らく近藤さんが、この笛を手にした時と、同じ思い出だ。


「……しばらく吹いていないからな。下手でも、笑うなよ」

「笑うものか。皆も呼びたいくらいだ」

「勘弁してくれ」

「まぁ今日は、俺が独占させてもらう事にしよう」

「近藤さんに聞いて貰えるだけで、十分だよ」


 久しぶりに、気を抜いて自然と頬を緩められた気がする。

 その表情を見た近藤さんが、自分以上に嬉しそうに顔を緩めるのを横目で見ながら、穏やかな時間を壊さないように、優しく流れる時間に寄り添う様に、手の中にある横笛にそっと口を付ける。


 そして、この空間に溶け合う様な思い出の調べを、ゆっくりと乗せ始めた。





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