蒼い鳥(山南+土方)

 籠の外に広がるのは、蒼い蒼い自由な空。

 とっくの昔に籠は開け放たれていたのに、飛び立つ勇気が持てなくて。羽ばたく羽根が、背中に見当たらなくて。籠の中の生活が、ほんの少しだけ心地よくて。


 自分から、籠を閉めてしまったから。

 憧れ続けたその空を、とうとう掴む事は出来なかった。



*****



「いつもその場所で、奇麗事を言っていて欲しい」

「え?」

「頼む」


 どんな顔をして、そんな台詞を自分に対して発しているのか、背中を向け振り返ろうともしないその姿からは、確認する事は出来ない。

 自分に頼み事など、普段ならするはずもない相手に、突然呼び出されたかと思えば、思わぬ言葉を投げかけられて、一瞬困惑する。


 けれど、その背中を見つめているうちに、どんな気持ちでその言葉を紡ぎだしているのか、何となくわかってしまった。

 だから、いつもなら理由をちゃんと聞いた上で、吟味してからゆっくりと返すはずの回答を、その場ですぐに出す。


「……わかった」


 周りの隊士達には、自分たちの関係は良くないものだと思われている事は、理解していた。

 仲が悪いと見られている事がわかっていても、改善しようとするどころか、目を見てじっくり話すことも、隣に並んで歩くことさえ、京へ出て来てからした事がない。


 それでも背中を向けたまま、突拍子もない頼みを語る目の前の男が、自分の事を信頼してくれている事を、好きでいてくれる事を、知っている。

 それは決して自惚れなどではなく、確信。


「悪ぃ」

「出来れば、理由を聞かせてもらっても良いかい?」


 答えが返って来ない確率の方が高いとは知りながら、それでも自分の感じ取ったものが正解かどうか、答え合わせをしておきたくて投げかけた質問に、背中を向けたまま一度も振り返ることなく、その場を立ち去ろうとしていた、その足が止まる。


「……多分俺は、お前の正論や奇麗事を、全て否定しても進む」

「うん」

「それでも、人として正しい事を言ってくれる存在が、俺には必要だ」


 新選組という組織が、ただの殺人集団にならない為に、操り人形にならない為に、目的を見失ったりしない為に、暴走する力を止める理性であって欲しい。

 芹沢という大きな存在を失った今、皆を導くたった一人の男が、後ろを振り向かず前だけを見て歩いて行ける様にする為ならば、きっと自分は何でもやってしまうだろう。

 いや、やらなければならない。


 だからこそ、後ろを振り返る時間は不要なものであると同時に、不可欠なものであるのだろう。

 だけど遠くない「いつか」、その余裕がなくなってしまう予感がする。

 その役目を、頼みたい。「今」に引きずり戻す、その役目を。


 ぽつりぽつりと、それでも本心を隠すことなく語る、その言葉に「嘘はない」と、そう思えた。

 答え合わせは、全問正解といったところだろうか。


 そして、心の内をなかなか見せようとはしないこの男が、素直に気持ちを話してくれた事、自分を頼りにしていてくれる事を、光栄に思う。

 相手が自分を信頼し、好きでいてくれるとわかる理由は、お互い様だからこそ、なのだから。


「了解したよ、土方君。私はいつでも、君を引き止める鎖でいよう」

「よろしく、頼む」


 しっかりと頷いた気配を感じたのか、安心したように僅かに頭を下げて、結局最後まで背中を向けたまま、今度こそ去っていくその後姿を見送り、蒼く透き通った空を見上げた。

 二人の決心を、見届けたその空の色を、きっと一生忘れない。


 籠の中で生きていくことを選んだ、その瞬間。

 自由と引き換えに、そこには確かに、かけがえのない幸せがあった。



*****



 疲れた、とか。もう人の命を奪うのは嫌だ、とか。

 そういう気持ちが、ほんの少しもないと言い切る事はできない。

 けれど、隊を出て来たのは、そんな個人的な理由からじゃないのだけは確かだ。


 ましてや皆が噂するように、「名ばかりの肩書きだけで意見が通る事がなく、局長や副長に蔑ろにされている」など、そんな事を不満に思った事は、一度もない。

 自分の存在意義は、ちゃんとわかっているつもりだし、それこそ今更な話でもある。


 本当はずっと傍で、理性の鎖として、役目を果たしてあげられたら良かったのだけれど。

 どうやら最期まで生きて、その役目を遂げられそうにない。


(だから、この命をもって、鎖となろう)


 組の為に、真っ直ぐ曲がらない道を示すために、必要な事。

 この選択に、後悔はない。

 それでも、近藤さんの悲しむ顔と、何より土方君が悲しみを我慢して、きっと自分を責めるその顔が浮かんでは、自分の力不足だけが悔やまれる。


 願わくば。

 もう長い間合わせていない目を、真っ直ぐに見つめて、笑って逝けます様に。

 最期のその一瞬が、鎖として完成させる役目を果たせますように。


 それだけを願って、見上げた空は、あの時と同じ。

 自由に羽ばたくその羽根を見守る、蒼く透き通る幸せを運ぶ色。

 

(きっと最期の瞬間にも、この空は頭上にあるだろう)


 そんな予感に少しだけ笑っていたら、たった一人でどう見ても捕まえに来た風ではなく、捜す気など皆無とでも言いたげな、追っ手の姿を見つけた。

 このまま自分が黙っていたら、何食わぬ顔で「見つかりませんでした」と言って、帰ってしまいそうな表情をしている。


 だからこそ、捕まる為に。捕まえてもらう為に。

 何より心地よい幸せの籠の中へ、自ら戻っていく為に。

 穏やかな気持ちで、軽く手を振りながら、自ら声をかけた。





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