氷と風鈴(沖田+近藤+土方)

 蝉の声を聞きながら、ごろりと寝がえりを打つ。


 思い通りにならない身体をもてあまし、無為な日々を送り始めて、何日目になるだろうか。

 寝ている間は何ともないのに、起き上って動き出そうとすると、調子を悪くするこの身体がもどかしい。


 元々、夏は嫌いではなかった。

 けれど、何も出来ずただ過ぎて行くだけだと、京の蒸し暑さは耐えがたく、蝉の声にかき消される溜息の数は、日に日に増えて行くような気がする。


(今日もこうやって、一日が終わるのを待つのかなぁ)


 二度目の寝がえりを打った耳に、嬉しい足音が二つ近づいてくるのを感じた。

 何も出来ずに過ごす日々の唯一の収穫は、傍を通るだけで隊内の誰の足音かが、わかる様になった事くらいだ。


 遠慮もなく、部屋の住人が寝ているかもしれないという配慮さえもなく、部屋と廊下を遮っていた襖が開く。

 現れたのは、病魔なんて吹き飛ぶ位のお日様みたいな笑顔と、必要以上に人を病人扱いして心配する、眉間にしわを寄せた優しい鬼の顔。


「総司! 起きてるか?」

「近藤さん……そんな大声出しちまったら、寝てるもんも起きちまうって」

「大丈夫、起きていますよ。どうしたんですか、お二人揃って」


 土方さんの声に立ち止まった近藤さんに向かって、布団から身を起して笑いかける。

 すると「しまった」と言いながら頭を掻く近藤さんと、呆れた様に窘めていた土方さんが、部屋の中に入って来た。


「どうだ、調子は」

「もう、随分良いんですよ。すぐにでも復帰できます」

「まだ駄目だ。ちゃんと休んでろ」

「土方さんは、心配しすぎなんですよ」

「いやいや、歳の言う通りだ。暫くは、休んでいるといい」

「近藤さんが、そう言うならそうしますけど……でも、本当にもう大丈夫ですからね」

「わかったわかった」


 寝込み初めの頃の様に、咳き込んで会話が成り立たなくなる事もなく、いつも通りの明るい沖田総司でいられたからだろうか。

 近藤さんだけではなく、土方さんの表情も、とても優しく嬉しそうだった。


 他の隊士から見れば、「どこがだ?」と問われる表情かもしれないが、自分にはわかる。

 そして同時に、二人にこんなにも心配をかけてしまった自分を、情けなくも感じた。

 早く隊務に復帰して、「本当に大丈夫なのだという所を、二人に見せたい」という気持ちばかりが募る。


「それより、何かありましたか? お二人でここに来るなんて、珍しいですよね」


 どんどん忙しくなって来ているだろうこの時期に、局長と副長が揃って休んでいる隊士の部屋に来る事など、通常では考えられない。

 何か大きな事件でも起こったのかと首を傾げたが、近藤さんは笑って否定した。


「俺がここに来る途中で、偶然会ってな。後で歳の所にも行こうと思っていたから、ついでに引きずって来たんだ」

「忙しいってのに、ついでかよ」

「いいじゃないか。どうせお前も、ここに来る途中だったんだろう?」

「なっ、何でだよ……」

「らしくもなく、総司の部屋の前で、まごついてたじゃないか」

「まごついてねぇ!」

「素直じゃないなぁ。歳は」


 照れる土方さんの姿なんて、久しぶりに見た。

 ということは本当に、土方さんも忙しい中、自分の様子を見に来てくれようとしていたのだろう。


 しばらく、昔の様に仲良くじゃれ合う二人のやり取りを、眺めていようかとも思ったけれど、助けを求める土方さんの視線に気付いてしまった。

 仕方なく、苦笑交じりで、会話の流れを本題へと向ける。


「では、近藤さんと土方さんは、それぞれ私に御用事なんですか?」

「そうだった、そうだった。総司、かき氷食いたくないか? こんな暑い中、一人で寝ていてもつまらんだろ」

「だからって、何でかき氷になるんだよ」


 自分の中に疑問が湧きでる前に、土方さんがそれを発する。


「実は、氷屋が発注量を間違えたらしくてな。あり余った氷を前に、困っていたものだから……」

「買い取ったのか!」

「い、いや全部じゃないぞ。俺だって組の懐具合は、知って……」

「買い取ったんだな」

「う……ま、まぁ。はい」

「近藤さん、うちは何でも屋じゃねぇんだぞ」

「……申し訳ない」

「あっははは。いいじゃないですか、凄く近藤さんらしい」

「笑い事じゃねぇ」

「でも、もう買ってしまったものは仕方ないですよ。私もちょうど「かき氷が食べたいなぁ」って、思っていた所なんです」

「そうだろう、そうだろう!」

「甘やかすな、総司」

「歳ぃ」

「……っ! わかった。今回はもういいから、今後そういう事は軽々しく行動してくれるなよ」

「あぁ、わかってるさ」

「……本当かよ」


 耳の垂れた仔犬の様な目で、近藤さんにじっと見つめられて、土方さんが勝てるはずもない。

 こうやって、近藤さんの我儘を許す土方さんの姿を、何度見てきた事か。

 だけど、二人がこうしていられる間は、新選組は大丈夫だと、そんな風にも思う。


「それで、土方さんは私に、どんな御用事ですか?」

「いや、大した用事じゃねぇんだけどな。見回り中に見つけたもんだから……」


 そう言って土方さんが懐から取り出したのは、ガラスで出来た綺麗な風鈴。


「風鈴か! それはいい、気分だけでも涼しくなるな」

「風鈴ってのは、元々病や魔を除けるためのもんらしい」

「そんな言い伝えを信じたんですか? 鬼の土方副長が?」

「うるせぇな! 近藤さんが言ったみてぇに、気分だけでも涼しくなれれば、それだけでもいいだろうが。ついでに病も、吹き飛ばしてもらえ」

「ふふ、はい。ありがとうございます、土方さん」


 一体どんな顔をして、土方さんは風鈴を買ってくれたんだろう。

 それを想像すると、とても可笑しくて、そして自分は何て幸せ者なのだろうと思った。


 土方さんから可愛らしくて綺麗なガラスの風鈴を受け取って、素直にお礼を言いながら微笑むと、ほっとした顔で頷き返してくれる。


「よし、どれ。俺が付けてやろう」

「お願いします、近藤さん」


 立ちあがった近藤さんが、その風鈴を縁側に吊るしてくれる。

 チリンチリンと、小さな音を奏でながら、風鈴が風に揺れ始めた。

 土方さんの祈ってくれた通り、きっと病もこの音と共に、何処かへ風が連れて行ってくれるに違いない。


「歳、お前ももう少し居るだろう? かき氷、持って来るからここで皆で食おう」

「俺もかよ」

「いいですね、きっと楽しいですよ」

「あー、わかったから。近藤さんは座ってろ、俺が行く」

「そうか? じゃあ頼む」

「ったく……」


 溜息をつきながらも、近藤さんと二人で放つ満面の笑顔に、土方さんが折れる。

 稽古さえ出来ずに満足に動かない身体を抱えて、ただじっと太陽を眺めるだけの夏なんて、嫌いになってしまいそうだったけれど。


(二人がこうして、変わらず傍にいてくれるなら……そう悪くもないかもしれない)


 風鈴の音と、かき氷を取りに去って行く土方さんの足音を、近藤さんと一緒に聞きながら、そんな風に思った。





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