藤花(土方+斎藤)

「あの……副長、何をされているのですか?」


 背後から、遠慮がちに掛けられた言葉に振り返る。

 そこには、声を掛けても良かったのかどうか、未だ迷っているかの様な表情で立つ、斎藤の姿。


 ふと影が差したように感じたのは、いつの間にか振りだしていた雨から、傘を差し出してこの身を守ってくれたかららしい。

 そんなに周りが見えなくなる程、目の前の事に集中しているつもりはなかった。


 屯所の中だということもあり、殺気以外の気配には無頓着だったかもしれない。

 だが、こんなにも近くで声を掛けられるまで気がつかなかった事に、相手が気配を殺すのに長けているからだという言い訳も出来なくて、苦笑だけが漏れる。


「斎藤か、どうした?」


 言葉を返した先で、困ったように傾げられる首。

 「それを聞きたいのは自分の方だ」と、言いたいのだろう事がわかる。

 確かにそれはそうだろうと納得し、引き続き苦笑を浮かべたまま、斎藤を手招きして自分の隣に招いた。


「暖かくなってきたとはいえ、雨に打たれていては風邪を引いてしまいます」

「心配かけちまったみたいだな。悪かった」

「……いえ」


 導きに応じて隣に並んだ斎藤は、真剣な表情で訴えかけるように、言葉を紡ぐ。

 髪を濡らしていたらしい雫をそっと拭われ、普段から寡黙なこの男に真っすぐ見つめられながらそう諭されると、何だがもの凄く悪い事をしたような気になる。


 心配をかけてしまうような状況で、見つかってしまった自分が悪いのだけれど。

 素直に詫びと、その気遣いへの感謝を込めた頷きを返すと、わかってくれたのならばそれで構わないとばかりに、ただ軽く応答があった。


 総司辺りに、同じ状況で見つかっていたら。

 恐らく延々と、心配なのか文句なのかからかいなのか判断のつかない言葉が、積み重なってきた事だろう。


 斎藤の、多くを問わない心遣いが、心地よくはあるけれど、あまりにも言葉少なすぎて、どれだけの事を我慢してしまっているのかと思う事もある。

 二人はそう変わらない歳であるはずなのに、この対応の差は一体何なのだろうかと、疑問を抱きたくもなろうと言うものだ。


 それぞれの良さだとも思うから、どちらに対しても、見習えとは言えないけれど。

 二人を足して割った位が、ちょうど良いと感じるのは、自分だけではないはずだ。


「俺に、何か用でもあったか?」

「あ、いえ……雨に濡れている所を、お見かけしたので……」


 重要な報告でもあるのなら、言葉を濁さずきちんと告げてくるから、どうやら今回はそうではないらしい。

 本当に、ただ偶然姿を見かけて、雨に打たれたまま動かない自分を、放っておけなかったという事なのだろう。


(小雨に振られたくらいで、体調を崩すとでも思われているのか?)


 疑問を浮かべた直後に、最近は夜遅くまで部屋に閉じ籠もりきりなのを見咎められ、つい先日にも仕事を頼んだ折、当の斎藤に「少しは休んで下さい」と半ば怒られたばかりだったという事を思い出した。

 自分では大丈夫だと思っているのだが、斎藤にはそうは見えていないのかもしれない。


「時間が流れるのは、早ぇもんだな」

「…………?」

「この間まで、桜が満開だと思っていたんだが……もう、藤の花が咲いてやがる」

「そうですね」


 目の前に咲く藤の花へと視線を向け目を細めると、隣で斎藤が同じように視線を藤へと移し、こくりと頷く。


 「早く、屋根の下に戻りましょう」と、そう急かす事もせず、ただ隣で雨に濡れる紫の花弁を、眺めていてくれる。

 もしかしたら斎藤には、自分にとってこのひと時こそが息抜きの時間なのだと、悟られているのかもしれない。


 「時間の流れがわからなくなる前に、休んでくれ」とでも、言われるかと思った。

 多分、心の中ではそう思っているのだろうことも、想像に難くない。

 けれど、それを言わないでいてくれるのが、斎藤の良い所で、同時に心配な所でもある。


 二人の頭上にある傘から、ぽたりと雫が落ち、藤の花を揺らす。

 時間の流れの速さと、そして今この時の穏やかさの両方を感じながら、自分だけでなく隣にいる斎藤にとっても、「この雨が癒しの雨になりますように」と願う。


 与えられた優しさを、藤の花に変えて。

 忘れずに、ずっと心に咲かせておけるように。刻んでおけるように。

 ただそっと、目を伏せた。





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