明日(永倉+原田)

「近藤さん!」

「…………」


 自分でも、かなり必死な声だったと思う。

 けれど、流れたのは長い沈黙だけ。いくら見つめてみても、もう答えが変わる気配もない。

 だからと言って「はいそうですか」と、自分の意思を覆せるほど、簡単に出した言葉や行動でもなかった。


「……わかった。じゃあここで、お別れって事だな」

「致し方あるまい」

「俺はまぁ、あんたを嫌いじゃなかったよ」


 喧嘩別れの台詞としては似つかわしくない言葉を残して、けれど乱暴に部屋を飛び出す。


(そう。俺は決して、近藤さんを嫌いになった訳じゃない)


 確かに気に食わない事もしばしばあったが、それを許容できるだけの人柄も、確かにあったから。

 ただ、ほんの少し譲れない何かが、ずれてしまっただけだ。


 ここまでずっと一緒に戦って来たのだし、たった一言「すまなかった。考えを改める」そう言ってくれさえすれば、またいつものように戻れる。

 その準備だって、出来ていた。


 出来ていたから、聞けなかったその簡単な一言が、とても遠い。

 もうこれで、俺と近藤さんの重なっていた道は、完全に分かれてしまった。そして、もう二度と交わらない。


 自分で選んだ事だから、後悔はない。

 だが、次々と湧き出てくる悲しみだけは、どうしようもなかった。


「八っつぁん」


 溢れてしまいそうになる涙を零すまいと、高く澄んだ江戸の空を見上げる。

 すると、背後から気遣うような自分を呼ぶ声が聞こえた。

 それは昔からいつも味方してくれる、一番安心できる声。


 張り詰めていた気持ちが、解ける。

 振り返った自分の表情は、きっと泣き笑いだっただろう。

 そう、さっき見たばかりの近藤さんと、同じ様な。


「左之、俺はここを出て行く事にした」

「そっか」


 「何故? どうして?」こういう時、左之は一度もその言葉を投げて来た事がなかった。

 引き止めもしなければ、背中を押すこともない。けれど、責める事もなければ、優しくする事もない。

 ただ、いつもの通り、笑って頷くだけ。


 それは冷たいようで、俺にとって一番温かい行動である事を、左之自身は知っているのだろうか。

 それに甘える様に、単なる独り言だと言い訳しながら、ぽつりぽつりと呟く。


「あんな泣きそうな顔してるのに、なんで何も言わないんだよ」


 本当は、わかっていた。

 近藤さんが何も言わない理由。何も言えない理由。


 幕を下ろすつもりなのだ。

 きっとすべて、一人で背負って。


 昔からの仲間だから、巻き込みたくない。信じる道があるのなら、付いて来なくてもいい。ただ真っ直ぐに、進んで欲しい。

 一言でも、引き止める様な言葉を発すれば、皆が付いて来てしまうと知っているからこそ、突き放すしか選択肢がなかったのだ。


(現に俺は、そうするつもりだった)


 俺をわざと怒らせようとしていた事も、思ってもいない言葉を吐き出した事も、すべては、仲間の為。

 わかっている。わかっているからこそ、悔しい。

 守られたいんじゃなくて、頼られたかった。それなのに何も出来ない、出来なかった自分自身が。


「出発は?」

「明日の朝、早くにでもと思ってる」

「わかった。じゃ、俺も準備しとく」

「……? 見送りなんていらねぇぜ」

「違ぇよ、ここを出る準備」

「何言って……って、もしかして左之、一緒に行ってくれるつもり、か?」

「行くよ。当たり前だろ」


 思いもよらなかった台詞を、ものの見事にさらりと言われた。

 そりゃ、左之が一緒に来てくれるのは有難いし、心強い。願ってもない事だけれど、でも。


 今回の事は、俺と近藤さんの間に生まれた溝が一番の原因で、自分の意思や信念に揺るぎはないが、それに左之を巻き込むつもりは毛頭なかった。

 確かに、近藤さんに直談判する前に、愚痴を溢したり相談を持ち掛けたりはした。


 けれど、左之はいつだって、ただ話を黙って聞いてくれていただけだったはずだ。

 一緒に、近藤さんに訴えようだとか、もしどうしようもなくなって、ここを出ることになったら、一緒に来てほしいだとか、そんな約束は一度だってしていない。

 それなのに、左之はまるで、そうするのが当然だとでもいうような顔をしていた。


「何で……」

「あれ? 俺が一緒にいると、邪魔?」

「んなわけ、ねぇに決まってる」


(あるわけない。けど、左之は? 俺と一緒にいることで、左之の人生を狂わせる事に、なるんじゃないのか)


 誰よりも熱くて、豪快。

 切腹の傷跡、率先して戦場へ飛び込んでいく姿。自分の背丈よりも長い槍を振り回す、大きな背中。

 一見優男にしか見えない、整った顔からは想像もつかないくらい、豪胆で男らしい。


 みんなは、左之のことを喧嘩っ早い、短気な男のように思っているかもしれない。

 だが、そうではないのだと気づいたのは、いつ頃だっただろう。

 それは下らない争いを終わらせる為の、最短行動でしかない事を、逆に必要な喧嘩には、絶対に手を出したりしないのだという事を、本当は誰よりも平穏で平凡な暮らしを望んでいるのを、俺だけは知っている。


 左之はただ、戦う必要などない平和な世の中で、武器など持たず貧しくても愛する人と慎ましく暮らしていけたら、それで満足するような男なのだ。

 きっとそのために、今。武器を持っている。


 共に行く事で、もしかしたら……いやかなりの確率で、その生活からは遠ざかってしまう。

 どんなに先が暗くても、俺はこのまま戦いを諦めるつもりなど、ないのだから。


「じゃ、いいだろ別に。俺も行くよ」

「無理、してないか」

「俺は、嫌な事は嫌だって言うし、したくないことは、しない主義だけど?」

「そりゃ、わかってるけどよ」


 同情とか義理とかそういう事だけで、意思を曲げてまで、この先の人生を決めるような奴じゃない事を、一番知っているのは自分だったはずだけど。

 それでも、情に厚く義理堅いその性格を、一番知っているのも自分だった。

 予想外の状態に、素直に喜べないでいる俺の肩を、左之がぽんっと叩く。


「大丈夫、俺は八っつぁんの言ってる事のが、正しいと思った。だから、一緒に出て行く」


 まっすぐに視線を合わせて、「ちゃんと、自分で決めた事だから心配するな」と、いつもは決して言わない理由を告げてくれる。

 そこに嘘は一つもなく、これ以上疑うほうが失礼だと思った。

 だから、固めた決意を逸らさない様に、その目を見つめ返して、ただ頷く。


「そんじゃ。これからも、よろしく頼むぜ」

「こちらこそ」


 そうして笑い合った後、笑みが自然と溢れたのは、とても久しぶりだったと気付いた。

 俺が笑顔を忘れていた時間、いつだって傍で笑っていてくれた左之に、どれだけ救われていたかを、今更理解する。


 きっとこれからも、そうやっていつの間にか支えられて行くのだろう。

 もちろん俺だって、支えられているばかりでいるつもりはない。


(対等、だからな)


 それが俺達の昔から変わらない、立ち位置。

 そう、いつか。俺と左之の道が分かれる、その時まで。

 いや、きっと分かれたその後も、約束など交わさなくても揺るがない、それは言うなれば決定事項。


 左之と一緒なら、悲しみの向こう側に、きっと明日は開ける。

 確かにそう思えた。





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