春(市村+土方+沖田)

「おはようございます!」


 元気いっぱい明るい声と共に、障子を遠慮なく開け放つ。


「うるせぇぞ、鉄」

「すすすす、すいませんっ。間違えました!」


 返された予想外の声に反射的に謝罪して、全開に開け放った障子を慌てて閉める。

 閉めた障子を見つめながら、どうして間違ってしまったのかと首を傾げていると、部屋の中から可笑しそうな笑い声が漏れ出してきた。


 それは間違いなく、本来訪れるはずだった相手の声。

 きょろきょろと辺りを見回し、やっと自分が部屋を間違ったわけではないという結論に行き着く。


 そろそろと、再び今度はゆっくり少しだけ、障子を開けて中を覗いた。

 するとそこには、不機嫌そうな副長の姿と、その副長の肩に額をあてて、必死に笑いを堪えて震えている、沖田先生の姿。


「あ、あの……」

「総司、笑いすぎだ」

「笑わせているのは誰ですか……苦しいんですけど」

「何の用だ」


 咳き込みながらも、笑いやまない沖田先生の背中をさすりながら、向けられる視線と言葉が痛い。


(やっぱり、僕が悪いのだろうか……?)


 部屋に入ることも、立ち去ることもできず、蛇に睨まれた蛙の如く、障子の隙間から中を覗き込んだまま、身体が固まってしまっている自分を助けてくれたのは、やはり沖田先生だった。

 というか、沖田先生以外に、この状況を打破できる人物もいないような気もするけれど。


「薬を、持って来てくれたんですよね? 鉄くん」

「は、はいっ」


 「入ってください」そう言って、優しく手招きしてくれる沖田先生に促され、そろそろと部屋の中に入る。

 居た堪れない雰囲気に、小さな身体をさらに小さくさせながら、お盆に乗せた薬と白湯、そして口直しのお菓子を差し出した。


「今日は、羊羹ですか。おいしそうですね」

「わゎ、駄目です。沖田先生、薬から飲んでくださいっ」


 いきなりお菓子から食べてしまおうとする沖田先生を、慌てて止める。

 ふと目に映った、日常的にもなってきたそのやり取りを見る副長の表情が、見たこともないくらい穏やかな事に、少なからず驚く。


(こんな顔も、出来るんだ)


「何だ」

「え!? いえ……、なんでもありません」


 思わず凝視してしまった視線に気付いた副長の顔は、いつも通りの不機嫌そうな顔だった。

 けれど、すぐに自分が気を緩めてしまっていた事に、気が付いたのだろうか。照れが混じったその表情に、いつもの様な近寄りがたい怖さは感じなかった。


「だが、どうして菓子なんか用意してるんだ? その様子だと、いつも持ってきているようだが」

「薬はとても苦いので……。少しでも、口直しになればと思って」


 沖田先生は、甘いものがお好きだと聞きましたので――――。

 続けた言葉に、副長の瞳が少しだけ驚いたように、見開かれた気がした。


「それは、誰かの指示か?」

「いいえ。僕が勝手にしていることですが……あの、いけなかったでしょうか」

「いけなくなんてないですよ。私はいつも、鉄くんの運んでくるお菓子を、楽しみにしているんですから」


 鉄くんは、美味しいお店をよく知ってますよね。今度一緒に甘味処に行きましょうね。

 そう付け加えながら、いい子いい子とでも幼子を褒める様に、沖田先生の優しい手が頭を撫ぜる。


 兄から子ども扱いされることは、あまり好きではないのに、沖田先生に同じ事をされても嫌な気分にならないのは、どうしてだろう。

 可愛がってくれていることがわかるから? でもそれは、兄からだって伝わってくる事だ。


 なんとなく、沖田先生と自分に、同じ匂いを感じるからかもしれない。

 なんて恐れ多くも漠然とした思いを抱きながら、向けられる笑顔に笑顔で返す。


「そうか……」


 その様子を黙って見ていた副長が、何かに納得したように頷いて立ち上がった。


「副長?」

「これからも、総司を頼む」

「なんですかそれは。私は、鉄くんにまで世話を焼かれる感じなんですか?」

「まぁ、そういう事になるな」


 さらりと言ってのけた副長は、口を尖らせて抗議する沖田先生の頭を楽しそうにぽんぽんっと叩いて、そのまま満足したように部屋を後にする。

 次々と、目の当たりにした、見たこともない副長の優しい表情や仕草と、重い病気なのに、いつも自分より周りの人を気遣う優しい沖田先生が、副長相手には我侭で困らせるような態度を取っていた。


 驚きというよりは、見たものを信じられない気持ちが勝って、呆然と副長の出て行ったばかりの障子を見つめる。

 なんだか、見てはいけないものを見てしまった様な。

 だけど、本当の二人を見れた嬉しさが入り混じった様な。

 複雑な感情が、心に渦巻く。


「じゃあ、行きましょうか」

「え? 行くって、どこへですか?」

「もちろん、土方さんに甘味を奢って貰いにですよ」


 「追いかけますよ」そう言って障子を開け、後ろを振り返った沖田先生が、手を差し伸べてくる。

 その手を咄嗟に掴んで立ち上がると、沖田先生が嬉しそうに駆け出した。


「沖田先生、走っちゃ駄目ですって」

「早くしないと、土方さんはすぐに仕事始めちゃいますからね。その前に、連れ出さないと」

「はぁ……」

「今日が非番だということは、調べがついてるんです。鉄くんは、右腕をお願いしますね」

「え、どういうことで……?」


 言い終わる前に、先ほど出て行ったばかりの副長の後姿を捉えた沖田先生が、駆け出した。

 その左腕を思い切り取り押さえる、というよりは抱きかかえるように絡ませて、副長の動きを止めた沖田先生が、嬉しそうに振り返る。


「鉄くん、早く」

「は、はいっ」


 呼ばれるままに駆け出して、もうどうにでもなれと、副長の右腕にしがみついた。

 両腕を掴まれて、身動きの取れなくなった副長がよろける。


「ちょ、おい。鉄! てめぇまで何しやがる」

「さぁ、行きましょう」

「す、すみません。副長」


 いつもの副長には、こんなことできないけど。いつもの沖田先生には、外出なんて許可できないけど。

 今日の二人なら、大丈夫な気がする。

 漠然と浮かんだそんな理由よりもただ、意外な二人の姿をもう少しだけ見ていたいと、そう思っただけなのかもしれない。


 春の暖かな日差しと、緩やかな風に包まれたこんな日が、たまにはあってもいい。

 澄んだ青色の空を見上げながら、副長の右腕に絡ませた自分の両腕に少しだけ力を込める。

 そして視線を、同じように副長に抱きついたまま離そうとしない、反対側にいる沖田先生に移した。


 そこには、春の日差しと同じくらい、暖かで優しい沖田先生の笑顔がある。

 視線を上げれば、諦めたような、それでいて包み込む風のように緩やかな、副長の顔も。


(いつまでも、こんな日が続けばいい)


 何故だか、そう祈らずにはいられなかった。





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