笑顔(山崎+土方)

 最初は、冷たい氷のような人だと思った。

 冷徹で、聡明で、他人に厳しいけれど、それ以上に自分にも厳しい人。


 近寄りがたい、誰からも恐れられる存在だったその人の笑顔を、初めて見た時。

 あまりにも衝撃的で、予想外に温かいその手に、この人に、付いていこうと決めた。


「……以上です」

「ご苦労」


 隠密活動の、結果報告。

 内容が内容なだけに、報告書などは存在せず、その情報伝達方法は口頭のみ。

 だからこそ、自分の意見が少しでも入ってはならない。

 ほんの少しの情報の偏りが、致命的な誤差を生んでしまう。


 自分の仕事は、見聞きした事をありのまま一言一句違えずに、この頭の回る上司に伝えるだけ。

 ただそれだけの仕事だけれど、「ただそれだけの仕事」の難しさは十分理解しているし、誇りも持っている。


 表面に出る仕事ではないから、周りの人に評価されることは皆無と言って良い。

 どんなに危険な場所を乗り越え、有力な情報を手に入れて来ようとも、感謝される事もなければ、特別な手当てを貰えるわけでもない。


 その情報をうまく使ってもらえなければ、自分の行動は全て無意味なものと化す。

 隊内の事を探る仕事ももちろんあって、他の隊士から疎まれることはあっても、好かれることは少ない。


 損な役回りだと、自分でも思う。

 けれどそれでも、この人の役に立つという事が、この人の夢を手助けできているのだという事が、自分を突き動かす原動力になっているのは紛れもない現実だった。

 自分の能力を最大限に使ってくれる、この人の人間性に惚れた自分の負けだ。


「失礼します」

「あぁ……。ちょっと待て」

「はい?」


 いつものように報告が済んだ後は、何か思案を巡らせているこの人の邪魔をしないように、そっと気配を消して部屋を出ようとする。

 普段なら、自分のことは気にもとめず、そのまま机に向かっているはずだ。なのに今日は、何の予兆もなく突然呼び止められた。

 それが意外で、少し裏返ったような声が出てしまう。


「この間の池田屋の件だがな、今日お上から褒賞が出た」

「そうですか」

「分配の対象者は、池田屋に踏み込んだ者にのみ、だ。副長であっても、例外はない」

「はい」


 それは体調が悪かったにもかかわらず、屯所の守りを勤めていた山南副長や、長く時間をかけて情報を探り、提供した自分には「何も手当てを出さない」。

 ただ付いて行っただけで、全く役に立たなかった平隊士でも、現場に出てさえいれば、大金を与える。

 そういう事に、相違なかった。


 この采配だけを聞けば、きっと誰もがこの人を「冷たい人だ」と言うだろう。

 だけど、今のこの時期。新撰組にとって、これ以上の采配はないと思う。


 誰の目からもわかるよう、民衆達が見ている公の場所で、命を懸けて働いた者だけが、それに見合った報酬を受け取る権利を得る。そこに、地位も身分も関係ない。

 だからこそ、きっとこの先、隊士達は我武者羅に頑張るだろう。

 これは新撰組のために、必要な処置だ。


 そう思ったからこそ、頷いた。本当にそれでいいと思ったし、納得したから。

 自分は、金が欲しいわけではない。

 ただこの人に、認められたいだけなのだ。


「……それだけか?」


 けれど、どうやらこの人にとって、その回答は正解ではなかったらしい。

 困ったように頭を掻いて、わずかに首を傾げる。


「副長の、お決めになった事ですから。それに、そのご判断は正しいと思います」


 迷いもなく答えると、呆れたようにしばらく絶句した後、くすくすと可笑しそうに笑い出した。

 忘れもしない。これがこの人の、演技などではない素の笑顔を見た、最初だった。


 馬鹿にしたような笑みでもなく、自嘲的な顔でもなく、作り笑いでもない。

 厳しい顔をして本当は優しいこの人の、きっと親しい人にしか見せた事がないような、明るい笑顔。


 あまりにも素直な表情を前に、一歩も動けずその笑顔に釘付けになっていた手に、立ち上がったその人から、そっと何かを握らされた。

 我に返って手の中にある物に視線を落とすと、和紙で丁寧に包まれたそれは、紛れもなく金とわかる。

 しかも、一隊士が手にするには余りある程の、かなりの厚みがあった。

 驚いて顔を上げると同時に、労るように肩をぽんっと叩かれる。


「これは俺個人からの、お前への手当てだ。ご苦労だったな」

「戴けません。俺は、池田屋へは行っていませんから」

「だから、俺個人からのだと言ってるだろうが。隊費としては発生してねぇから、安心しろ」

「いや、そういう事やなくて……」

「お前には、これを受け取る権利がある。ぐだぐだ言ってねぇで、受け取っときゃいいんだよ」

「せやけど」


 思わず敬語が抜けて、地の言葉が出る。

 更に言い返そうと言葉を紡ごうとした所で、この話は終わりだとでも言うように身を翻して、その人は再び机の前に座ってしまった。


 握らされた金を返すタイミングも、素直に受け取るタイミングも逃して、どうしたらいいのかと立ち尽くしていると、溜息混じりに指令が下る。


「ぼーっと突っ立ってねぇで仕事しろ。総司の具合がよくねぇ、後で診に行ってやってくれ」

「……はい。ありがとうございます」

「お前の仕事は、信用してる。これからもよろしく頼むぜ」


 部屋から出ようとした際にかかった、その最大の褒賞を受けて深く頭を下げ、この手にある包みよりも重いその言葉を、ずっとこの胸に刻み込む。

 「これからもこの人の役に立てますように」と、切に願った。





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