12 心が死にそう

「志野谷!!」


 昼休み前の授業中。クラスに帰った僕は、教室の真ん中の席の志野谷へ怒鳴りつけた。そのままつかつかと歩み寄る。


「志野谷!! お前、お前……! よくも勝手なこと仕出かしやがって!! 一体どう落とし前つけるんだよ!? お前の仕出かしたことのせいで、僕が月乃さんに大嫌いって嫌われたじゃないか! 僕だって、お前のことなんか大嫌いだ!! 僕は、月乃さんのことが大好きなのに……!!」


 僕は、席に座って見上げる志野谷へ怒りをぶちまけた。

 すべて、お前が妙な企みをしたせいだ。

 怒りの言葉だけでは気持ちが収まらない。僕は右手を振り上げた。


「……!!」


 手加減せずに志野谷を引っぱたいた。まだ腹立ちは収まらない。


「いいか!? お前、これから絶対僕に話しかけるなよ! 死んでもお前となんか口をききたくない!!」


 逆上したまま、自分の席についた。こんなに怒りの感情が昂ったのは、生まれて初めてだ。


 ♦ ♦ ♦


 その後昼休みに、深見が事情を尋ねてきたけれど、言いたくもなかった。

 僕は深見を無視して、神田先輩へメールを送った。


『月乃さんが講義に来たら教えてください。他の月乃さんが出る講義も教えてください』

 

 そう書いて送信した後、改めて月乃さんへ誤解を解いてもらえるよう、メールを送った。



 月曜はこの間、神田先輩に必修講義があると聞いていた。

 多分その講義に月乃さんは出るだろう。

 机の上に、携帯と、月乃さんからもらった大切な腕時計だけを置いて見続けた。

 腕時計の黒文字盤を見つめて、月乃さんを思い出していると、メール着信音が鳴った。神田先輩からだ。

 僕はざっとメールを読むと、立ち上がって大学へ向かった。

 指定された教室の前で待ち構える。やがて、月乃さんと神田先輩が出てきた。


「月乃さん、話を聞いてください!」

「……月乃ちゃん、少しお話聞いてあげなよ」


 月乃さんに心の丈を打ち明けようと、必死に呼びかけた。

 神田先輩も心配してくれているようだ。

 しかしあっさり、月乃さんは神田先輩へ言った。


「今日の必修は終わったから、もう帰るわ。家から迎えも来ているし。じゃあね」


 僕達二人を残して、帰ってしまった。


「瀬戸くん……。これ」


 神田先輩が心配そうな顔をしたまま、メモ用紙を渡してきた。


「明日のこの能楽の講義。多分、月乃ちゃんは出ると思う。一応場所と時間は書いたから。高等部の授業で、時間があったら来てみたら?」


 能楽は、月乃さんが好きだった。『道成寺』や『清経』の話を楽しそうにしていた。能楽の講義は出るに違いない。


「……すみません。ありがとうございます。行ってみます」


 僕は教室へ帰った。帰ったとき、月乃さんから無視された憤りそのままに、志野谷を睨みつけた。

 次の日も、もしかしたら月乃さんからメールが届くかもしれない、一縷の望みに賭け、携帯を見つめ、腕時計も見つめた。

 神田先輩から渡されたメモの時間が来たので、立ち上がって教室を出た。


「月乃さん!」


 また待ち構えて、呼びかける。


「誰? 高等部の子? 月乃の知り合い?」


 月乃さんの友達らしき人が、訝しげに僕を見た。


「ううん。知らないわ。何か間違えているんじゃない? 次の講義は八号館だから早く行かないと」


 また月乃さんは行ってしまった。しかも、僕のことを知らないと言っていた。

 教室へ帰って、再び僕は志野谷を睨みつけた。

 僕が何回大学へ足を運んでも、月乃さんに無視されてしまう。

 金曜のゼミ室の前で待っていたら、とうとう月乃さんは怒りも露わに、僕に話しかけてきた。


「あのね、どういうつもり? こんなに頻繁に大学へ来て、高等部の授業はどうしているの?」

「授業は抜け出してきています」

「抜け出していいものじゃないでしょう。大体私達はもう赤の他人でしょ? 二度と顔を見せるなって言ったはずよ」


 赤の他人なんて、冗談でも言わないで欲しい。

 僕は月乃さんの顔が見たくて堪らない。それに、誤解を解きたい。


「僕は、月乃さんの顔を見たいんです」

「こんな平凡女の顔を見てどうするの。可愛い彼女さんがいるでしょう。ちゃんと、そっちを見なさいな」

「それなんですけど、話を聞いてください」

「私は聞く話なんてないわ」


 もう来るなと言われ、咄嗟に月乃さんの腕を掴んだ。


「お話を聞いてくれるまで、何度でも来ます」

「慰謝料の金額に関しては椎名さんとして。足りなければ後からいくらでも足すように、父に言うわ」


 月乃さんはまた行ってしまった。月乃さんに話を聞いて欲しい。慰謝料なんて手切れ金、死んでもいらない。月乃さんとの繋がりがなくなってしまう。

 また僕に優しく笑いかけて欲しい。婚約者に戻りたい。気が狂いそうだ。

 次の週も、心が死にそうな気分になりながら大学へ通ったけれど、月乃さんは一度たりとも僕を見ず、話もしなかった。

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