11 涙

「それで月乃さん。どうして急に婚約を解消するなんて言ってきたんですか?! 前に絶対婚約解消しないって言ってましたよね!」


 二人きりになったところで、僕は苛立ちながら尋ねた。


「どうしてって……。瀬戸くんが一番わかっているでしょう?」

「わかりませんよ! この一週間考えていても、婚約解消される意味がわからなかった! 何か気に障るようなことを、僕はしたんですか?!」

「気に障るも何も……。虹川の家が強引に婚約を持ちかけて、縛り付けるような真似をして……瀬戸くんには悪いことをしたって、私も父も思っているわ。ごめんなさい」


 月乃さんはとても深く頭を下げた。僕はそんな月乃さんは見たくなくて、両肩を掴み、無理矢理顔を上げさせた。月乃さんの優しい、綺麗な、笑顔が見たい。


「それは弁護士さんにも散々謝られました。でも月乃さんにも、月乃さんのお父さんにも、弁護士さんにも謝られる心当たりが全くありません。僕が、何をしたって言うんです?!」

「だって……」


 だって? だって、何? 早く教えて欲しい。


「だって瀬戸くん。好きな人が出来たんでしょう? それなのに私と婚約しているなんて……。辛かったんでしょう? だから婚約を解消しようって思って……」

「好きな人が出来た? 僕の好きな人なんて一人しかいませんよ! 誰のことを言っているんですか?!」


 僕が大好きなのは、中等部一年から月乃さんただ一人だ。その月乃さんと婚約解消なんて、全部間違っている。


「だからそれは、志野谷依子さんなんでしょう?」


 ……驚愕した。何故志野谷を知っている。何故フルネームまで知っているんだ。


「…………志野谷? どうして、ここで志野谷が出てくるんです。志野谷はただのクラスメイトですよ?」

「キスまでしておいて、ただのクラスメイトじゃないでしょ。志野谷さんも瀬戸くんと好き合っているって言っていたし」

「はあ?! キスした? ふざけないでください! 身に覚えがありません!」


 キスなんて誰ともしたことはない。僕がキスしたいのは月乃さんだけだ。

 すると月乃さんは、鞄から手紙を取り出した。僕に突きつけてくる。不思議に思って封筒を開けると、中には写真が入っていた。


「何ですか、これ……。って、ああ、志野谷が何でか顔を近づけてきたとき! 何でこんな写真があるんです?! それに僕がパスケースに入れてなくしていた写真! 探していたのに、どうしてここに、こんな千切れてあるんですか?!」


 つい先日、高等部の池へ案内してくれと頼んできた志野谷は、どうしてか急に池で顔を近寄せてきた。確かに志野谷とキスしているように見える写真だ。

 それに随分前に、パスケースからなくした写真。部屋中引っくり返しても出てこなかった。何でここに、こんな破れた写真が存在する?


「白々しいわね。私と別れたいから、送りつけてきたんでしょ。宛名も差出人も、瀬戸くんの字じゃない」


 僕は呆然として、封筒の字を眺め回した。僕の筆跡に見えるけど、少し字が震えていて不自然だ。


「僕はこんな手紙、送っていません。誰かが僕の字を真似して、何か企んでいる奴がいるはず……」

「企むも何もないでしょう。志野谷さんはきちんと話してくれたわ。瀬戸くんと好き合っているから、あなたを自由にしてくださいって。遠回しにこんな手紙で別れたいなんて言わないで、志野谷さんみたいにはっきり話してくれる方が好きだわ。きちんと婚約解消の心構えが出来るじゃない」

「…………志野谷と好き合っているなんて……。志野谷がそんなことを……」


 信じられなくて、束の間言葉を失った。志野谷が月乃さんに話した? 僕が好き合いたいと願っているのは、目の前の人のみだ。写真も志野谷が何か企んで送ったに決まっている。


「確かに志野谷から、何回も付き合ってくれって言われていました。でも、僕には父親経由で決まっている婚約者がいるって、ちゃんと断っていました。月乃さんへ送られた写真も、志野谷が話した内容も、全部でっち上げです!」

「嘘よ!」


 嘘!? 何でそんなに強く否定するんだ。


「嘘なんかじゃありません! 僕が好きなのは、昔から月乃さんだけです!!」


 心臓が飛び出しそうなくらいに叫んだ。こんな形で好きと言う気持ちはなかった。


「はあ? 私のことが好きですって? 見え透いた嘘はやめて頂戴!」


 どうして僕のことをこんなにも信用してくれないんだ。僕は、月乃さんへの気持ちを隠そうともしなかった。嘘なんかではない。


「とにかく好きな人がいるならば、遠慮なくそちらへどうぞ。慰謝料ならばいくらでも払うわ。言い値でいくらでも。無理な婚約を押し付けて悪かったわ。これで満足でしょう」


 月乃さんがそう言い捨てて、教室から出て行きそうになったので、焦って腕を掴んだ。引き寄せて、ボディーソープの良い香りがする身体を抱きしめる。大好きな気持ちを伝えようと、すべすべの顎を持ち上げて、月乃さんの柔らかい唇に口付けた。


「…………!」


 月乃さんに突き飛ばされた。月乃さんは出口まで走ってから、僕に向かって泣きそうな顔で叫んだ。


「大っキライ!! 二度と顔を見せないで!」


 月乃さんはそう大声で言うと、教室から出て行ってしまった。

 僕は床に膝をついた。


「…………」


 何も考えられない。頭がぼうっとする。

 ……月乃さんが、僕を、大嫌い……? 顔も、見せるな……?

 僕の眦から、涙がこぼれた。


 ……僕の大好きな人は、月乃さんだけだ。その月乃さんに、大嫌い、顔を見せるなと言われた。僕はいつだって、月乃さんの顔が見たい。

 月乃さんと、いつも一緒にいたい。おしゃべりして笑い合いたい。お弁当を作ってもらいたい。名前で呼び合いたい。……また、婚約者に、なりたい。


 項垂れて考えている内に、段々と志野谷に怒りが沸いた。

 志野谷のせいだ。あんな写真を月乃さんに見せて企んだんだ。僕と好き合っているという、でっち上げまで月乃さんに話したんだ。

 優しい月乃さんは、いつも僕に、僕が他に好きな人が出来たら婚約をやめると言っていた。そこを利用された。志野谷はいつも僕と付き合いたいと言っていた。だから、婚約解消をするよう企んだんだ。

 志野谷を許せない。

 怒りに震えた拳を握り締め、僕は教室から出ていった。

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