13 誤解は解けたけれど
土曜は学校が休みだ。月乃さんの講義もない日だ。
僕は自室の机の椅子に座って、手で顔を覆っていた。
僕の心が死にそうになっているのを、家族は知っている。だって、いつも『大好きな月乃さん』の話をしていたからだ。
荒んだ生活を送っていた。ほとんど食事も摂らなかった。あまり眠れなかった。
そのときいきなり、メール着信音が響いた。見てみると、驚いたことに月乃さんからだった。
『出来たら明日、お話しませんか』
僕は即、返信した。
『いつでも、何時でも、どこでも構わないから話し合いたいです』
やがて、再びメールが来た。明日レストランの予約を取ったので、指定時間に、月乃さんの名を名乗って入ってくださいとのことだった。
レストランの場所も詳細に記してあった。
急に何故かわからないけど、これでようやく月乃さんと話が出来る。
明日の為に、減退した食欲を宥めて少し食事を摂り、仮眠した。
♦ ♦ ♦
次の日の日曜日は、指定時間よりも大幅に早くレストランへ来てしまった。
出迎えてくれたウェイターに、虹川月乃さんの連れですと名乗った。
すぐに個室へ通されたので、僕は早く月乃さんの顔が見たい気持ちでいっぱいになりながら、じりじりして待った。
しばらくして、さっぱりとしたワンピース姿の、優しい笑顔の月乃さんが来た。
……やっぱり何回見ても優しいし、綺麗だし、可愛い笑顔だ。
こんな笑顔を見られるのは、どのくらいぶりだろう。それだけで少し胸が満たされた。
挨拶をして、ウェイターに注文する。僕はあまり食欲がないので、コーヒーのみを頼んだ。月乃さんは紅茶と軽食のセットだった。
月乃さんが軽食のサンドイッチを一つ食べ終わったところで、訊いてみた。
「……それで、お話って」
「昨日私の家に、あなたのクラスメイトの、深見くんと志野谷さんと山井さんが来たわ」
「深見と、志野谷と、山井……?」
山井は志野谷の隣の席の女子だ。話を訊いてみると、三人で志野谷の仕出かしたことの説明と、謝罪に来たらしい。志野谷は思った通り、婚約話を壊せば、僕と恋人になれると考えていたようだ。山井がキスに見える写真を撮ったらしい。
僕が怒ったので、反省して、月乃さんと虹川会長と会ったとの話だった。
「今まで瀬戸くんの話を聞こうともせずにいたこと、本当にごめんなさい」
月乃さんに深く頭を下げられてしまった。いや、月乃さんが謝る必要はない。
悪いのは、勝手なことを仕出かした志野谷だ。
「いえ、誤解が解けたなら、それでいいです」
本当に誤解が解けて何よりだ。また、優しい月乃さんになってくれた。
「でもちょっと訊くけど、本当に志野谷さんとキスしてないの? 婚約解消の後に笑い合っていたりとか」
何だかやけに拘って疑ってくる。何故だろう。
「婚約解消された後、誰とも笑っている余裕なんてありませんでしたよ。それに本当に、志野谷とキスなんてしていません。僕は、月乃さんとしかキスしたことがないです」
拘ってくるので、念を押した。当たり前だ。強引にしたけど、月乃さんの唇は柔らかかったので、またキスしたくなる。
「誤解が解けたところで、また婚約していただけるんですか?」
「いいえ。一回正式に婚約破棄してしまったから、そんなまたすぐなんて、厚かましいことは言えないわ。慰謝料もお渡ししたし、そちらのご両親にもご迷惑をおかけしていて、申し訳ないわ」
「じゃあ、両親は僕が月乃さんのことを好きなことを知っているし、慰謝料をお返しすれば、何の問題もないですね」
やった、これでまた婚約者になれる!
「……ねえ、本当に私のことが好きなの? 例えばどんなところが?」
「そんな、月乃さんの好きなところなんて、簡単に数え上げられません。可愛いし、綺麗だし、すごく優しいし、お料理もお菓子作りも上手だし、気配りやさんだし……言い足りません。今日もすごく素敵ですよ」
月乃さんの良いところなんて語りつくせない。早く僕にも好きって言って欲しい。ワンピース姿も大人っぽくて綺麗だ。
「……誰か、別人の話をしているんじゃないかしら。私はそんな、大層な人じゃないわ」
「いいえ、勿論月乃さん本人のお話です。ねね、またすぐ婚約してくれるんでしょう?」
「しないわよ」
「……えー……?」
断られてしまった。何故だろう。誤解は解けたはずなのに。
「どうしてです? 条件には合っているんでしょう?」
「そうね。資質は多分、瀬戸くんの右に出る人はいないと思うわ。ただね、了承もなく強引にキスしてきたり、女の子を引っぱたいて優しく出来なかったり、生活態度や授業態度が悪い人は願い下げだわ。それにね、私あなたのこと婚約者として好ましく思っていたけど、婚約者じゃなくなったら、自分の気持ちがわからなくなっちゃったの」
すごい勢いで言われて、言葉が返せない。確かに色々やったけど、かなり自分の気が狂いそうな感じで、あまり周囲に構っていられなかった。
「……僕にもう望みはないんですか? 月乃さんのことは絶対諦められない……」
月乃さんを諦めるなんて無理だ。また心が死んでしまいそうになる。
そう落ち込んでいると、不意に優しい声で、月乃さんが提案してきた。
「望みがあるかないかとかの、話じゃなくて……。さっき言った悪く思っているところ以外は、瀬戸くんのことは好ましく思っているの。前に言ったように、格好良いし、優しいし、気遣ってくれるし、私の方が釣り合わないわ。お話していて楽しいし、良かったら、お友達になってもらえないかしら?」
『お友達』? 『婚約者』から随分離れているけれど?
「……お友達、ですか?」
「うん。出来たら私とお友達になってくれたら嬉しいわ」
「悪いところはすぐに全部直しますから……せめて彼氏、とか」
『お友達』より『彼氏』の方がまだ、色々なことが月乃さんに出来たり……。
かなり下心満載だけど。
「悪いところをすぐに全部直す、お友達が欲しいわ。そうね、私が自分の気持ちに気が付いたら……、お友達が、彼氏になるかも」
「月乃さん……ずるいです。そんな言い方されたら、お友達になってくださいって言うしかないじゃないですか」
「あら、他人でもいいのよ?」
他人だけは、絶対嫌だ!
「お友達になってください! お願いします!」
月乃さんが、それはそれは楽しそうに笑った。
「こんな格好良いお友達が出来ちゃった。悪いところがなければ、きっとすぐに好きになってしまうわ。そうしたら『付き合ってください』って告白しちゃおう」
月乃さんからの告白はすごく憧れるけど! でもここは僕から言う!
「じゃあすぐに付き合ってください、月乃さん!」
「ああ、私の方が先輩だから、虹川先輩って呼んでね。に・じ・か・わ先輩ね。勿論仲良しのお友達よ?」
『月乃さん』呼びまで禁止されてしまった。僕のこともずっと『瀬戸くん』だし。ここは何としてでも。
「是非、とーっても親密な仲になりましょうね、虹川先輩。お友達から結婚まで持ち込みますから、覚悟していてくださいね」
「まあ、こんな素敵なお婿さんが来てくれたら嬉しいわ。父も喜ぶわね」
必ず『虹川征士』になってやる!
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