案内されたのは窓際のテーブルだった。白い格子付きの窓から木漏れ日のような光が差し込んでいて、たとえマスターににらまれたとても素知らぬ顔で居座りたいと思わせる魔力が漂っていた。

 春風の前にはタワー状のラザニアとキューピッド──カルピスのコーラ割りだそうだ──が、俺のほうにはスパゲッティ・アッラ・ナポレターナ──トマトソースを使った、ナポリタンとは別のパスタだ──とオーソドックスなダージリンが並べられた。

 料理はイタリアンが主らしい。何という多国籍カフェ。非常に節操がなく、日本らしいといえば日本らしいのかもしれない。

 配膳した茜が厨房ちゅうぼうに戻り、春風の撮影タイムが終わると、ようやく〈待て〉が解除された。あえてフォトジェニックとは対極にあるような地味なメニューを選んだのに、彼女は俺の分まで撮りたいと言い出したのだ。曰く、「ナポレターナとかお洒落じゃん云々うんぬん」。鼻を鳴らし、「イタリア語ならゴキブリでもお洒落って言いそうだな」と返したら、「死ね」とキレられた。〈scarafaggioスカラファッジョ〉はお呼びではなかったらしい。

 ともすればジェンガのように派手に崩壊してしまいそうで絶妙に食べにくそうなラザニアを器用に切り分けて口に運ぶ春風に感心するでもなく、ナポレターナを巻く。

 味については普通にうまいという感想しか出てこない。値段は高めだが、雰囲気代込みで考えると妥当なところだろうとは思えた。

 パスタを食べおえたころに俺の目的の品である〈濃い焦がれるイタリアン抹茶プリン〉を茜が持ってきた。金属製のトレーにはフォカッチャサンドらしき物体と湯気の立つ白いマグカップもある。自分の昼飯なのだろう。

「お待たせー」と椅子を引く茜の気安い態度は元クラスメイトの風格に溢れていて、給仕としては間違いなく失格である。

 マグカップの中身はホットミルクだったようで、茜はそれをすすると、「それでさ、さっきの話なんだけど」と口を開いた。「少し前から来るようになった変わったお客さんについて、二人の意見を聞かせてほしいんだ」

「変わった」「お客さん?」俺と春風の声がきれいにハモった。

「うん」と茜は顎を引き、「そのお客さんは二十代前半ぐらいのきれいな女の人なんだけど、初めて来た時は背が高くて筋肉質のアスリートっぽい男の人と一緒だった。ナッツと彩来みたいな距離感で仲良さそうにしてたから恋人同士なんだろうなと思ってたんだけど、数日後には今度は銀縁眼鏡のいかにもインテリですって顔した男の人と来店したんだ。そのインテリ男とも恋人みたいな雰囲気だった」

「浮気ってこと?」春風が律儀に尋ねた。

「それがよくわからないんだよね」と曖昧に答えて茜は、「とりあえず最後まで話させて」

 どうぞ、とばかりに春風が手のひらを向けると、茜は再び語りはじめた。

「でさ、更にその数日後には別の男の人と二人きりで来店した。ちょっと影のあるイケメンで、女のほうも美人だから並ぶと絵になる感じでさ、その人とも彼氏彼女の空気感だった。

 だからさ、これは三股に違いないってマスターと話してたんだ。マスターは、同じ街でデートするなんて警戒心が足りないなってあきれてた」

「あきれるとこ、そこなんだ」思わずという様子で春風がつぶやくように言った。彼女のほうこそあきれているようだった。

「うちのマスター、不倫が原因で離婚してるから。それも三回も」

 茜は噛み合っているようで全然噛み合っていないことを言い、話を戻す。「その後もその三股美人さんはちょくちょく来てくれてたんだけど、今から一箇月ぐらい前にアスリート男とインテリ男と三人で来店したんだ」

 修羅場ね、となぎの湖面のように平静ながらどこかわくわくとした声音で春風が相づちを口にした。しかし茜は、

「──と僕も思ったんだけどね」と否定の言葉。「三股美人さんはアスリート男に腕を絡ませていたのに、インテリ男は特に不機嫌そうでもなくてさ、和気藹々わきあいあいって言うの? そういう空気だった。

『アスリート男が本命で、インテリ男が隠れてしてる浮気相手だろうね』ってマスターは言ってた。たしかにそうかもってその時は僕も思ったんだけど、一週間後ぐらいにインテリ男とイケメン男の三人で来店した時には、インテリ男と腕を組んでいたんだ。イケメン男もニコニコはしてなかったけど棘々とげとげしい感じじゃなかった。

『つまり、三股美人氏の中では一番がアスリート男で、二番がインテリ男、最後がイケメン男という格付けがなされているというわけだ』なんてね、マスターは訳知り顔で解説してた。

『なるほどー、流石は浮気の常習犯ですねー』っておだてながら心の中では、それは違うっしょって思ってた。だって、イケメン男だよ? メンに男なんだよ? 男のダブルトッピングで一番男子力が高いのは彼なんだから、論理的には彼が本命じゃないとおかしいんだ」

 そうでしょ? という目で見られても、おかしいのはお前の頭だ、という返答しか浮かばない。

「顔だけの男の価値なんて高が知れてるからねー」などと春風が平らかにさらりと言う。「顔だけじゃなくて能力も性格も全部なきゃ駄目」

「の割にはナッツなんだ」茜がディスってくる。しかし、こちらもさらっとした口ぶりで、悪意も何もなく、ただ純粋に疑問を口にしているだけという様子だった。

「いやだから」「そういうんじゃないって」また春風と発言が重なり、俺の片眉が不可抗力的に曲がる。

 茜は、あはっ、とシャボン玉がはじけるように相好を崩した。「おもろー」

 うるさいぞ、と抗議してみたが、茜は応えた素振りもなく、「ごめんごめん」と緩い笑窪をたたえたまま言い、「ええと、それでね」と再び本題に戻る。「とにかく僕はマスターの彼氏格付けには納得いってなかった。何とかイケメン男本命説をマスターに認めさせたいなー、なんて思ってたところにまた三股美人さんが現れたんだ──今度はイケメン男とアスリート男を連れて、ね」

 と、そこまで聞いて俺は思わず、

「で、その女はイケメン男に引っ付いていて、アスリート男は怒るでもなくスポーツマンらしい暑苦しくてうざい殺意の湧く笑みを見せたりしていた、と」

 と先回りして尋ねていた。

「え、何でわかったの?」茜は目を丸くした。

 論理立てて説明するとしたら、

〈茜は「意見を聞きたい」と言っていたが、それは容易には判断がつかないようなイーブンな状況だからだと推測できる。アスリート男といちゃついているようならマスターの説が優勢、すなわちイーブンとは言いがたくなる。逆に、イケメン男にデレてるようなら一見、茜の説が優勢に思えるが、インテリ男とイケメン男の組み合わせのときのことを考慮すると三人の男は三竦みジャンケンの関係になって順位がつけられない──つまり、こちらのほうがイーブンだと言えるからこのパターンだと推理した〉

 となるが、今の俺の舌は怠い解説をするためではなく、狙いすぎててしんどい名前の抹茶プリンを味わうために存在している。なので、

「話の流れ的にそう思っただけだ」

 と答えるにとどめ、クリーミーなチーズの風味と抹茶のビターな甘味のマリアージュを満喫する。

「いい勘してるね」と茜が感心の声を出し、

「たぶん嘘だけどね」と春風が無慈悲に訂正した。「今のこの人、目の前の抹茶スイーツを世界の中心だと勘違いしてるから、それ以外のことは省エネモードなのよ」

「愛を叫んでもいないのに?」茜がどこかひょうきんな口調で言った。

 何それ、と春風が当惑の顔をした。

「『世界の中心で、愛をさけぶ』って昔の小説があるんだよ」俺は答える。「映画化もしてる」

「おもしろいよ。マジ泣ける」などと茜が偏ったことを言うので、

「クソほどつまらなかったが」と反対意見も述べてアンフェアにならないようにする。「よくある、しょーもないお涙頂戴ストーリーだよ。毒にも薬にもなりゃしねえ」

「ふうん、今度チェックしとく」嘘かまことか、春風がそう言ったところで、

「ナッツは僕の聞きたいことも、もうわかってるんだよね?」

 と核心に迫るよう催促する言葉を寄越した。

「まあだいたいは」俺は推測を口にする。「その女と男たちの関係を推理しろって言うんだろ?」

「うん」茜はうなずいた。「どんな関係か気になってろくに女遊びもできないってマスターが嘆いてるんだよ」

「答えを知らないほうがいいんじゃないの」春風があきれ果てたような顔で小さく洩らすのを聞きながら、

「ほかに情報はないか?」

 と俺は茜に聞いた。「アスリート男と腕を組んでる日はこういう特徴があって、インテリ男との日はこうで、みたいな」

「あるよ」茜は迷うことなく首肯した。が、「でも偶然かもしれないしなー」とためらう。

 いいから早く教えなさいよ、と春風がせっつくと、茜はもったいぶるでもなく、

「腕時計が違ったんだ」

 と答えた。「アスリート男の彼女のように振る舞ってる時はシンプルな革ベルトのアナログ時計、インテリ男の時はSFちっくなデジタル時計、イケメン男の時は鎖みたいなベルトの細身のアナログ時計だったんだ」

「たしかに気分で替えてただけでたまたまって考えるのが一番自然な気はするけど──」春風が俺に視線を寄越す。「どう? 何か思いついた?」

「一応は」と中途半端に肯定しつつ俺は、皿に残った最後の一欠片を口に入れた。

「何々、教えて」茜は身を乗り出した。

「そんな大層なことじゃねーよ」ダージリンを口に含み、香りをしむ。「結論から言ってしまえば、その女が三つ子だからなんじゃねーか?」

 茜が、「あー」とも「おー」ともつかないような、日本語にはない英語の母音めいた声を発した。

「つまり、一人の女が三人の男の相手をしていたわけじゃなくて、女三人と男三人の三組のカップルだったってことよね?」春風が聞いてくる。

「ああ、そう考えると状況をすっきりと説明できるだろ? 腕時計が違ったのも、それぞれ別の人間が自分の腕時計をしていただけで、何のことはない、別人の所有物なんだから違うのは当たり前だ」

 なるほどね、と春風は別段賢くもないのに賢そうな顔になった。

 茜のほうは、「ってことは僕もマスターもてんで見当違いだったってことじゃん」と落胆の色をにじませている。

 と、弛緩した場の空気をドアベルの音が控えめに震わせた。ちりんちりんの余韻が店内を満たすジャズに溶けてゆく。

 入り口を振り返った茜が、「あ」と声を零した。顔をテーブルに戻し、声を落として、「あの人だよ」と言う。「今日は一人みたいだけど、あの人が三股美人さん」

 ほう、と興味を惹かれ、目だけを入り口へやった。

 丸みのあるボストンのサングラスをした背の高い女を、茜と同じエプロンをした彫りの深い顔立ちの男が応対しているところだった。

「あれがうちのマスターね」と茜。

「あれがバツ三の懲りない不倫男ね」とでも、いつもなら言いそうな春風は、入り口のほうを見やったまま呆気に取られたように口をぽかんと開けていた。

 どうした? と俺が問うよりも、

「朝陽、あんたの推理、間違ってるよ」と春風が断定口調で言うほうが早かった。

 ということは、「あの女を知ってるのか?」

「ええ」春風は尖った顎を自信ありげに引いた。

「嘘ー」茜は仰天の表情。「世間狭すぎでしょ」

「別に知り合いってわけじゃないよ」春風は言った。

「ほえ」茜はコミカルな鳴き声を洩らした。「どゆこと?」

 春風は茜から俺へと顔の向きを変えた。「ね、朝陽、ここに来る途中でわたしの推しモデルの話、したじゃん?」

「おいおい」俺の頭におびただしい、マジかよ、が生まれる。それが押し出されるように、「マジかよ」と口から出てきた。

「残念ながらマジっすね」春風はおどけるように肯定した。「彼女は一人っ子だから間違いないわ」

「ちょっとちょっと」茜の抗議の声。「二人の世界に入ってないで僕にもわかるように説明してよ」見れば、ぷくっとむくれていた──あざといやつめ。

「ごめんね」春風は苦笑の響きのまじった声音で言い、「あの女の人は現役モデルなのよ」

「へー、美人だもんね」と茜は薄味の反応を見せ、「でも、それがどう関係するのさ?」

「彼女ね、この前、複数の男と付き合ってることが発覚してプチ炎上してたの」

「……」茜は言葉の意味を考えるように数秒ほど沈黙し、「ん? ってことは」と口を開いた。「やっぱりあの人は三つ子なんかじゃなくて、一人で、それでそれで、それなのに彼氏が三人もいる?」

 うん。そう。俺と春風はうなずいた。

「しかも、彼氏公認の三股?」

 イエス、シー、ダズ。やはり俺たちの答えは肯定。

 ──ふぁわあぁ。

 茜は浮き輪から空気が抜けていくような、文字どおり一息に緊張が解けるような声を出した。そして、一言。

「逆ハーじゃん!」

「だなあ」遠くを見つめて俺は言った。今日観た映画が走馬灯のように脳裏を駆け抜けていく。

「ナッツさんよぅ」茜が半目を向けてくる。

「何だよ」その鬱陶しい目をやめなさい。

「『そう考えると状況をすっきりと説明できるだろ?』とかもっともらしく言って、まるっきり違うじゃん」

「いや、まあ、そういうこともあるって」かゆくはないが、気がつけば人差し指でこめかみを掻いていた。「まあ、あれだ、一卵性の三つ子の生まれる確率は二億分の一とも言われてるし、ポリアモリーの逆ハー女って考えたほうが統計的には現実的だわな」

「今更、確率とか言い出してもかっこつかないよ」母性本能云々の笑窪はどこへやら、茜はすげなく言った。

 ふふ、と春風が、そよ風のささめくような笑みを洩らした。「朝陽のそういう三枚目なとこ、わたしは好きよ」

 さいでっか、どーもありがとーごぜーます。

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