夏・第四章 逆ハーレム学各論・事例研究(カフェデート)

〈逆ハーレムもの〉と聞いて俺が思い浮かべるのは、自称どこにでもいる普通の、あるいは地味めの女子が、スパダリ、つまりはさまざまな属性の理想のイケメン(=スーパーダーリン。超彼氏。超旦那)たちに囲まれてちやほやされる、集団レイプと大差ない精液イカくさそうなシチュエーションである。

 ここで疑問が湧く。

「もしヒロインが妊娠したらどうやって父親を判別するのか?」

 という疑問である。最近では妊娠中でもほとんどノーリスクでDNA鑑定が可能になったとはいえ、一般的には七週目以降でないと不可能とされている。

 検査期間を含めておよそ二箇月間、父親不明の状態で過ごすというのだろうか──落ち着かなくね? 

 それとも、妊娠したら即断即決で堕胎するのだろうか──人の心はないんか?

 いやいやわたしピル飲んでるから──複数のスパダリをはべらすほどの有能女であればリスクマネジメントもそつなくこなすに決まっているのだから、この疑問は的を大きく外れているのかもしれない。

 ここで論理の破綻に気づく。

 複数のハイスペ男子から好意を向けられる主人公ヒロインは、果たして〈普通の地味な女〉と言えるのだろうか? 動物の雌としては勝ち組も勝ち組、上澄みの住民マイノリティーなのではないか?

 逆ハーレムものというのは、定義自体に本質的な欠陥を抱えているのではないか──先ごろ、逆ハーレムもの学会にて空気を読まずに提唱されたこの仮説は、ベテラン逆ハーレムもの研究者らの生暖かい苦笑を誘ったという。

 素人意見ですが、という枕詞の遣い手として界隈かいわいでは蛇蝎だかつのごとく嫌われている七十代の権威曰く、

「素人意見ですが、〈逆ハーレムもの〉とはある種のガラパゴス的な世界観を持つ、ファンタジー類似の概念であり、有機的な論理や生物学又は心理学上の妥当な結論は通用しないのです。その大前提を無視するのは、ふふ、いかにも、にわか。勉強不足かと愚推してしまいますねえ──ああ、すみません、素人の分際で講釈を垂れてしまいました。ふふふ」

 だそうだ。

 このエピソード(?)からわかるのは、研究者という生き物はとかく性格が悪いということと逆ハーレムものを鑑賞する際は知能指数を生殖器の位置まで下げたほうがいいということである。



 逆ハーレムものの恋愛映画『日替わり彼氏』があまりにも退屈だったため、逆ハーレムもの学会などという謎の学会で恋愛観と性欲をこじらせたオタクどもが蛙鳴蟬噪あめいせんそうな激論を交わすという意味不明な妄想をしてしまっていた。

 死にてえ──とはならないが、この映画の制作に携わったゴミどもを根絶やしにしたくはなった。監督辺りは磔柱はりつけばしらに縛りつけ、肛門こうもん又は膣口ちつこうやりを突き刺し、ゆっくりと内臓を掻き回しながら貫いてやりたい。

 なぜこんなニッチでエッチな愚にもつかない映画のために駅前の映画館まで出張っているのかというと、我らが親愛なる女王様こと春風彩来に誘われたからだ。

 土曜日の朝だった。甘いコーヒーを飲んでいたところにLINEが来たのだ。

『暇だよな?』

 いやに高圧的で断定的な文面は、春風の苛立ちを想像させた。『花凜に映画ドタキャンされたんだよ』

 ああ、そう、という気持ちだったが春風は、

『代わりに朝陽が来てよ』

 と彼女一流の論法によりそう要求してきた。

 やだよ、めんどくせえ、の途中まで打ったところで、

『カフェで抹茶スイーツ奢ったげるから』

 と来た。

 ばーっと文字を消去し、『どこに行けばいいんだ?』と送った。

『ちょれー笑』

 という文が見えたので、『うぜー笑』と返しておいた。

 ということなのだが、肝心要の映画のタイトルについては聞いていなかったのだ。それが失敗だった。聞いていたら、カフェだけでなく今日掛かる金のすべてを春風に負担させていた。

 やっとこさエンドロールが始まった。解放の時である。

 清々しい気分で映画館を出ると、昼を少し過ぎていた。春風のパーフェクトデートプラン(笑)では、次は駅から少し歩いた所にある隠れ家カフェに行くことになっているらしい。映えるランチや飲み物があると聞いたそうだ。

「承認欲求に支配されてんじゃん」

 春風の小さめのケツを追いかけるように歩き出しながら俺は言った。

 かわいい! 羨ましい! いいね!──これらの浅薄な賛辞に踊らされる女の哀れさといったら、性欲に支配されてソープ通いをやめられず、挙げ句、引きつった愛想笑いを浮かべる嬢にガチ恋する素人童貞のハゲデブチビに負けず劣らずである。

「あんただって抹茶スイーツに支配されてるでしょうが」春風は痛いところをいてくる。

「そのおかげで恋愛映画をぼっちで観なくてもよくなったんだから感謝しろよな」

 今日の春風は額が見えるように掻き上げるヘアセットをしていて、気弱な陰キャならにらまれただけですくみ上がりそうなオラオラオーラをまとっているが、まとっているだけで、実のところ彼女は良くも悪くも女らしい女でしかない。

「わたしのフォロワーが教えてくれたおかげで、新作の抹茶スイーツを食べられるんだから感謝しなさいよ」

「そりゃどうも」

 などと険悪と和やかのボーダーラインでワルツを踊るかのような会話を続けながら、土曜日の昼の駅前とかいう無差別大量殺人に適した空間を進む。

 恋愛映画を観た直後だからか、若いカップルが目につく。いつもより多いような気さえするが、映画のように女一対男七で歩いている光景は見当たらない。

「逆ハーってリアルだとどれくらいあるんかなあ」

 と尋ねていた。

「さあ、数字はわからないけど、たまにいるよ、そういう子。わたしの推してるモデルの子もそれでプチ炎上してたし」

「それって、彼氏公認のポリアモリーじゃなくて浮気でってことか?」

「具体的なことは公表されてないけど、たぶんそう」

「そりゃあ叩かれるわな」

「てか、ポリアモリーって何」

一途いちずになれない、あるいは自分しか愛せない人間の言い訳が概念化したもの」

 春風は思案げに眉間を隆起させる短い間の後、

「多夫多妻制を認める考え方ってこと?」

 と俺の顔色を窺うようにして聞いてきた。

「そんな感じで合ってる」

 褒められた小学生のような喜びの色を、色素薄い系グレーのカラコンを装着した目にかすかに浮かべた春風は、その内心を隠すように、「あんたはどうなの?」と尋ねた。

 どうなのとは? とまじろぎの刹那に考え、俺はポリアモリーなのか? と聞かれているのだと結論付け、

「束縛はされたくもないし、したくもない。そういう意味ではポリアモリー寄りかもな」

 と答えた。

「それじゃ逆ハーも許せるの?」

 春風の声には、どこか挑戦的な感情が含まれているようだった。

 何に挑んでんだか、とあきれつつ答える。「厄介事とかエグい性病を持ち込まないならお好きにどーぞってスタイルだな」

 えーないわー、と不満そうに声を発し、

「わたしって彼女なのかな──って言われない?」

「よくおわかりで」

「普通、愛情と束縛、あと依存はセットだからねえ」春風は困った子を見る母親のような顔になった。

「普通はそうでも俺は違うんだよ」

「それだと愛されてる感が足りないって。甘くない抹茶スイーツは嫌でしょ? 大半の女子もそうなんだって」

「嫌なら食べなきゃいいだろ。別に追わねーから好きな時に去ればいい」

「うわ、冷たー」言葉の割には淡白な口調だった。

「そっちはどうなんだよ」と攻守交替の気概で水を向けた。「お前も逆ハー願望があったりするのか?」

「ないよ、そんなの」そっけのなさは取り繕う気のなさを表しているようで、つまりは本心から言っているように聞こえた。

「春風ならがんばればできそうだけどな」

「できてもやらねーよ。彼氏側が気にしてなくても、芸能人はちょっと別枠だとして、リアルでやったら周りの子たちから嫉妬されてめんどくなるのは目に見えてるし、あとは警戒されて友達減りそうでもあるし」

「警戒?──『彼氏取られるかも!』『この女には近寄らんどこ!』ってことか」

「そう。ビッチは女の敵──とまでは言わないけど、気に食わない存在ではある」

「それを言うならお前もそうなんじゃね」

「どういう意味よ」春風は心外そうに声を尖らせた。「わたしは普通に一途だって言ってんじゃん」

「面がいいから嫉妬と警戒の対象になりやすいんじゃねーかってこと」

「あーまあなくはないけど」と春風は語気を緩め、「わたしってば、ほら、スクールカーストのトップじゃない? それくらいで表立って敵対してくる愚か者はなかなかいないよね」と細い顎を上げて得意そうなどや顔を見せた。

「女の顔面をぶん殴りたいと思ったのはこれで通算七十九回目だ」爽やかな笑顔を作り、「やるな、春風!」

「あんた、だいぶ危ない男ね」



 ビルの群れから離れ、住宅の建ち並ぶ閑静なエリアに差し掛かった所にその隠れ家カフェはあった。白い壁と西洋情緒溢れるランタン、レトロな看板には『COFFEE 純喫茶 ミヌゥ』とある──〈minouミヌゥ〉とはフランス語で子猫にゃんこや愛しい人を意味する。すなわち、言語を統一する気ゼロである。

 店内は外観を裏切らずアンティーク調のインテリアが揃えられ、静かに流れるジャズ調にアレンジされたクラシックが耳に心地よい。行ったこともないのにパリの下町に迷い込んだかのような錯覚さえもたらす。

「いらっしゃい……ませ……」

 ドアベルの音を聞きつけて現れた給仕が、挨拶の途中で言葉をつまずかせた。で、「ナッツ! に彩来も!」とマニュアルを放り投げて歓声めいた高い声を発した。

 エプロン姿の茜が働いていたのだ。

「お前、こんなところでバイトしてたのか」と素直に驚いてみせた俺。

「わたしはついでかよ」と不満そうでいて実際はそうでもなさそうな春風。

「二人きり? デート?」茜がおもしろそうに尋ねてくる。母性本能を刺激するらしい魅惑の笑窪も絶好調だ。

 口を曲げて肩を上げ、「男女二人で出かけるという意味なら、そうだな」と俺が答えてやると、

「友達に映画ドタキャンされちゃって。これはその代役」と春風が補足した。

「それならさ」と茜。「あとちょっとで休憩だからその時に聞いてほしい話があるんだけど──」いいかな、と上目遣いに俺を見て、次いで身長が高くはない春風には秋波しゅうはめいた眼差しをやった。

 春風は、うっ、とたじろぐように洩らした。ちらと俺に視線を寄越し、どうする? と目だけで尋ねてきた。

「俺は別にいいけど」

 聞くだけなら損はない。聞いたからには地獄の底まで付き合ってもらうぜえ! などというマフィア映画みたいな展開はあるわけないし。

 わかった、と小さくうなずいた春風は、「じゃあ待ってるから早く来いよ」と茜に言った。

「ありがとー」茜は明るい声で応え、「それにしても」とからかうように顔を綻ばせた。「長年付き合っていろいろと落ち着いたカップルみたいだね」

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