夏・第三章 高嶺の花を摘んで売ったら五百万円になった話

 泡高の学食の人気メニューの一つに〈ドレス・ド・マウンテンオムライスとデラックスハンバーグの欲張りワンプレートランチ(シェフの気まぐれスープ付き)〉というのがある。一日二十食限定で税込五百円ポッキリ。一円当たりのカロリーを考えると菓子パンに匹敵するのではないかというとてつもないコスパである。これで味もいいんだから人気なのもうなずける。

 当然なかなか食べられないのだが、今日は潮のやつが獲得に成功した。うおっしゃあ! とガッツポーズを決める様はまっすぐな少年そのものという風情で、周囲のほほえみを誘っていた。

 隅のほうの席を陣取り、幸せそうな顔でその黄色と茶色のモンスターを攻略している潮を眺めながら〈大葉の天ぷらだけ天丼(税込二百五十円)〉をかじっていると、そこそこ離れた席に泡高のミスコンを二連覇中の例のクールビューティー──七条先輩が座るのが見えた。以前見たアニメ声の先輩もいる。ガチ美人に付きまとわれてかわいそ。

「ん、どしたん?」話聞こうか? と続けそうな口調で潮が言った。

 嫌な想像に顔をしかめつつ俺は、「あれだよ」と顎先で七条先輩を指した。

 潮の首が回り、「お、七条先輩!」と喜色を浮かべた。「ツイてるぅー!」

 潮の背中側のテーブルでは、何の因果か、いまだに片思いから抜け出せていない綴がこちらに背を向けて座っていた。彼女は似たような雰囲気の、つまりは活字に恋していそうな地味眼鏡女子と〈ドレス・ド・マウンテン(以下略)〉──ドレス・ド・マウンテンって言うと紅葉した山みてえだな──をシェアしているんだが、潮が七条先輩の名を口にした瞬間、その小さな背中全体が耳になった。そんなに気になるなら早いとこゲロっちまえばいいのに。

 七条先輩は、にこにことどこでも金の取れそうな笑みをアニメ声の先輩に向けている。一方のアニメ声の先輩も、にこにこと場所を選べばそれなりに稼げそうな笑みで応えている。

「はあ~」潮はうっとりと溜め息をついた。「やっぱ美人だよな、七条先輩」

「そうかい」

 と冷めた相づちを打ったものの、七条先輩が人気者になる要素をコンプしていることは俺も認めている。

 七条先輩のロングストレートの黒髪──今は結っているが──は月光の降り注ぐ深閑な夜のようで、処女雪を思わせる純白の肌とのコントラストは聖人にさえ仄暗ほのぐらい官能を抱かせるだろう。日本人には珍しい蒙古もうこひだのない平行二重の大きな瞳は聡明そうめいな光を宿し、高めの鼻梁びりょうにより横顔も芸術的なシルエットを描いている。

 身長も、男子の平均よりはわずかに低いが女子にしてはかなり高く、当然のように八頭身。制服の上からの判断ではあるが、胸もあるほうに見えるし、そこから腰、臀部でんぶ、脚への曲線も女性的な美しさを帯び、否応いやおうなしに男どもの視線を集める。

 容姿だけでもお腹一杯なのに、これに加えて特別進学コースの文系クラストップの偏差値、俺と同じ帰宅部のくせに俺とは違ってスポーツ万能、ピアノもバイオリンも弾けて歌唱力もあり、しかも誰にでも分け隔てなく接する潔白な人格、それでいて幼い少女のような天真爛漫てんしんらんまんな笑みさえ搭載している。さらには、家は旧華族で、父親は参議院議員という徹底ぶり。

 バケモンすぎ。天は気に入った人物にだけは二物も三物も与えるものだとはいえ、露骨に依怙贔屓えこひいきしすぎである。昨今勢いづいている、差別主義者を差別する自称平等主義者が全員憤死したらどう責任を取るつもりなのか。ごみ掃除のつもりかよ。

 七条先輩の魔性にやられて、

「あーあ、世界が改変されて朝起きたら七条先輩が俺の彼女になってる神展開、来ねえかなあ。モーニングコールで起こしてもらいてえよお。何なら隣の幼馴染み化もありだ。朝からいちゃつきてえなあ。ラッキースケベはよ、おはようのモーニングフェラはよ」

 などと頭の沸いた妄想を大衆の場かつ聞き耳を立てている脈ありまくり女子のすぐ近くで垂れ流す猿顔の被害者(加害者)だっている。

 その公然わいせつなモンキーファンタジーをぶち壊すために俺は口を開く。「でも、あの人、誰とも付き合う気ねえみてえじゃん。告るやつらはことごとく斬り伏せられてるんだろ?」

「釣り合う男に出会えてないんだろ」潮は、ナイフを使わずにスプーンで雑に切り分けたほろほろハンバーグを口に放り込んだ。そのせいでくぐもったような声になりながらも、「七条先輩は自分の価値をよおくわかってんだよ。焦って安売りする必要もないだろうしな」

「ふうん、本当にそうなら自信過剰でうざくね? 勉強できて運動できて音楽できてスタイル良くて性格良くて超絶美人で家柄がいいだけで調子乗るなよって思わん? 酒と賭博と女にだらしないDV男にズブズブに沼ってボロボロになればいいのに。女を金づる兼オナホとしか思ってないホストにハマって風俗堕ちも可」

 そしたら客として行って時間一杯説教おじさんごっこを楽しんでやる。

 潮は不思議そうにまじまじと俺を見て、「夏目、何か七条先輩に当たり強くね? ああいう人、嫌いなのか?」

「ああいう人が嫌いなんじゃなくて七条先輩が嫌いなんだよ」

「何でさ。何かあったんか?」

 潮の野郎、マジで話を聞く態勢になりやがった。そういうのはSNSに湧くかまちょメンヘラクソビッチ相手にやれよ。

「あ、わかった」潮はスプーンの先をこちらを向けて、「さてはお前、七条先輩に振られたな」そして、にやっとした揶揄やゆの笑いを頬に浮かべた。

「ちげえよ、馬鹿」

「じゃあ何で嫌いなんだよ?」

 はあ。言わなきゃ終わらなそうだな。潮の向こうの綴の背中まで知りたそうな気配を漂わせている──もうお前らもこっちのテーブル来れば?



 俺と七条先輩の因縁(?)は、そう、あれは俺が小学五年生、七条先輩が六年生だった夏の日までさかのぼる。

 ここ、街田市の街田文化交流センターでは毎年八月に〈街田カラオケ大会 ~地元最強ボーカリストは誰だ?!~〉などと銘打った、街田市内に住所を有する人限定の、内輪ノリのいきすぎたバーのように極めて排他的なカラオケ大会が開かれる。

 つっても、優勝賞金もすずめの涙ほど、賞品も聞いたことのない謎のメーカーの、数回も使えば飽きて物置の肥やしになるのが目に見えている家電(流しそうめん器やホームベーカリーなど)で、俺は何の魅力も感じていなかった。

 ところが、その夏は違った。どこの変人が口を出したのか、優勝賞金が十万円まで跳ね上がり、賞品も一流メーカーの最新のドラム式洗濯乾燥機へと目覚ましい進化を遂げたのだ。ついでにアニメキャラらしき変なフィギュアもしれっと賞品として掲載されていたが、これに釣られる人はほとんどいなかったはずだ。

 大会宣伝用のウェブページを見たうちのおかんは言った。「この洗濯機いいわね。今度あんたの好きな抹茶アイス買ったげるから、ちょっと取ってきて」

 そして、おとんも言った。「実は父さん、この前競馬で負けてしまってな。それがちょうど十万円なんだ──頼むっ、朝陽っ! 昼飯代百円生活はもう嫌なんだ! 優勝して父さんの栄養状態とうちの家計を助けてくれっ!!」

 以上のことからうちの両親が等価交換の概念をまるで理解していないことがわかるのだが、それはそれとしてこんなふうに俺に頼んできたのは、ひとえに俺の歌唱力が高いからだ。

〈好きこそものの上手なれ〉という言葉がある。

 我思う、故に我あり、すなわち自分の存在そしてこの宇宙のあらゆる事象について疑いはじめた三歳のころから、歌、特に洋ロックにいかれていた俺は、ごく自然な流れで自分でも歌うようになり、気がつけば歌が得意になっていた。

 絶対音感らしきものも高精度の相対音感もあるし、当時は声変わり前ということもあって低音は無理だったが、それでも歌に使える音域は広いほうだった。カラオケで点数の出る機械好きのする歌い方も、人が聴いて楽しめるライブ感のある歌い方も自由自在。正直、地元の小規模なカラオケ大会なんて楽勝だと舐めくさっていた。

 そのころ、そろそろスマホ買い替えてえな、と思っていた俺は、ここらで一つポイント稼ぎしとくか、と交渉材料をこしらえるつもりで両親の頼みを承諾。いざカラオケ大会へ、と突撃したわけだ。

 で、そこで立ちはだかったのが七条先輩だった。

 その年のカラオケ大会は一丁前に予選と決勝戦の二段階方式で、予選ではカラオケ機の採点、決勝戦では大会運営が用意した、日本の深刻な高齢化を象徴するような審査員三名の採点により勝者が決められる。

 予選、高音域のミックスボイスとファルセットが特に得意な俺は〈Maroon 5マルーンファイヴ〉の『Sugarシュガー』を歌い、加点込みで九十七点代を出してトップ通過──ではなく、二位での予選突破となった。

 七条先輩だ。

 彼女が当時流行はやっていた〈米津よねづ玄師けんし〉の『ピースサイン』をキー六つ上げながらほとんど完璧に歌い上げ、あわや満点かという九十九点代を叩き出したのだ。

 やべーな、と思った。決勝もこの調子を維持されたら勝てないかもしれない、ガチるしかないのか、クソだりいな、もう帰って寝ようかな。

 決勝戦進出者は四人。

 一番手のチビの兄ちゃんは〈バルーン〉の『シャルル』をそつなく歌い、会場を沸かしていた。

 たしかに上手かった。安定した無理のないクリアハイトーンは誰の耳にもすんなりと入っていくだろう。才能の暴力というよりは、おそらくは努力の賜物たまもの。プロの歌手としてやっていくほどの魅力はないものの、ボイストレーナーやガイドボーカル程度ならできるのではないか。総合的に見て印象は悪くない──はずだった。

 しかし、審査員たちは彼に辛めの点数をつけた。

 まさか、と片眉が吊り上がった。隣のパイプ椅子に座る七条先輩をちらと見やると、彼女も何かを思案するような顔。俺と同様の思考に至ったようだった。

 ──けど、断定するにはサンプルが足りない。

 二番手は、「あたしも昔はワルでさ」とか言いそうな、顔つきにやんちゃの面影がある三十代ぐらいの茶髪女だった。

 何を歌うのかと見ているとステージのスクリーンに映し出されたのは、『津軽海峡・冬景色』の文字。

「演歌かい?!」というツッコミが観客席から聞こえた。

 茶髪女はすかさず観客席の一部に鋭いガンを飛ばし、そして酒焼けした声で歌った。

 無論、下手ではなかった。遊びのカラオケなら無双できるレベルではある。が、先ほどの兄ちゃんと比べると細かいところでミスが多く、特にブレスコントロールが甘い。無駄に息を使いすぎだった。そのせいで若干、音程が不安定になっていたし、歌声に余裕がなくなることもあった。感情を込めようとしていたのかもしれないが、確かな技術に裏打ちされない表現では伝わるものも伝わらない。

 総評としては、〈花街の歌姫〉といったところか。すべてが素人レベルとは言わないが、間違っても歌だけで食べていける出来ではなかった。

 俺だったらたいした点数はやらないが──、

「おお!」

 感嘆の声がホールを揺らした。

 審査員どもがトータルで九割近い点数をつけやがったのだ。

 案の定かよ、と内心で頭を抱えた。

 やつらは自分の好みを点数に反映させていた。あるいは、彼ら三人の平均年齢──パッと見、七十手前ほど──を考えるに、ボカロには詳しくなかったがゆえに正しく審査できなかったか、だろう。

 選曲は事前に伝えてあるが、変更したほうがいいかもしれない──俺はそう考えはじめた。だって、予定では〈My Chemical Romanceマイ・ケミカル・ロマンス〉の『|Welcome To The Black Parade《ウェルカム・トゥ・ザ・ブラック・パレード》』を歌うつもりだったから。ジジババ受けしなそうだもん、明らかに。

 しかし、問題があった。俺のレパートリーにちょうどいいのがなかったのだ。邦楽でちゃんと歌えるのは『ムーンライト伝説』ぐらいだ。かといって、洋楽でもふさわしいのはないように思われた。

 次は七条先輩だった。彼女はパイプ椅子から立ち上がると、一瞬、俺に意味不明な視線を送ってから大会スタッフの下へ小走りに向かった。

 見ていると、七条先輩は一言二言しゃべり、ぺこりと頭を下げた。そして、少ししてからステージへ。

 で、七条先輩の選曲は何だったかというと、

『天城越え』

 であった。

 俺はどん引きした。先ほどのスタッフとの会話は曲の変更をお願いしていたのだろう。それはいい。だが、いくら何でも露骨にびすぎである。〈石川いしかわさゆり〉が正解と知るや否やこの対応。何て女だよ、と半ば感心さえしていた。

 結果? 大会荒らしに認定されて出禁になってもおかしくない圧巻のパフォーマンスだったよ。どんな恋愛をしてきたらその年で『天城越え』を情念たっぷりに歌えるんだよ。ありえねえ。

 審査員も満場一致の満点。もう優勝は七条先輩のもので確定。はい、解散解散ー! お疲れー!

 ……でも、せっかく来たわけだし、観客席にはまだ俺を応援している馬鹿もいるし──俺はみっともなく悪足掻きすることにした。

 ふと、チェスで最強の駒、クイーンの王冠のギザギザが脳裏に浮かんだ俺は、〈Queenクイーン〉の『Don't Stop Me Nowドント・ストップ・ミー・ナウ』へ曲を変更。レパートリーの中では古い部類に入るしワンチャンあるかも、なんてお気楽には考えられなかったが、とにかくガチった。ヤケクソとも言う。

 まあ当然なんだが、一歩及ばず準優勝に終わった。

 両親からは、「いつも偉そうに批評してるくせに、何、負けてるのよ」「肝心な時にこれなんだもんなあ、流石は俺の子だ」などとさんざんあおられたし、賞品は図書カード二千円分のみ! 優勝者以外は例年どおり! バランス考えろよ!

 というわけで、俺は七条先輩が嫌いだ。俺のドラム式洗濯乾燥機と十万を掻っさらいやがってよ。けっ。

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