第4話 覚悟の一刀

 家を出た俺と望は、一つ塀を挟んで隣にある建物へと向かった。

 その建物は周囲の景観から大きく外れていた。白い土壁の塀に、木造の門。その門の先には、現代では珍しい引戸によって外界と切り離された土間がある。伝統的な造りであるこの日本家屋は、現在剣道道場として使われていた。

 そんな時代不相応な用途に使われている、時代不相応な見た目の建物に、俺と望は門を叩くことなく入る。


「懐かしいでしょ?」

「うん、まぁ……な」


 ここにはもう来ないと思っていたんだけどなぁ……。


「兄さん?」


 俺が何とも言えぬ顔で微妙な反応を示したからか、望は心配そうにこちらを気遣う。


「いや、俺が行くと決めたからな。男に二言は無い!」

「良く言った!」


 弟のものでは無い声が聞こえたのでそちらを見ると、道場の外周から剣道着姿の男がこちらに近づいて来ていた。


「牧さん……」

「牧先生、おはようございます」

「うむ。望君、おはよう。和也君も、おはよう」

「おはよう、ございます……」


 こちらに微笑みを向けるこの剣道着の男性の名は、まき 正流せいりゅう。弟が通っているこの剣道道場の師範代の一人だ。


「久しぶりだね、和也君」

「ええ、お久しぶりです」

「また戻って来てくれて嬉しいよ」

「あ、いや……そう言う訳じゃ無いんです。自分はただ、弟を送るついでに顔を出しに来ただけでして」

「そうか……。それでも私としては嬉しいよ」


 牧さんの言葉に安心と少しの驚きを受けた。

 てっきり迫害されるものだと思っていた。剣道から逃げた身で、無礼にもこの道場の門を再びくぐったのだ。嫌な顔をされると覚悟していたのだが、信用が足らなかったようだ。


「そうだ、兄さん。せっかくだから少し体を動かしていったら?」

「え? いや、でも……」

「どうせこれからリハビリをしていかないといけないんだから、少し動かす程度は良いでしょ?」

「……まぁ、少し。牧さん、お願いしても良いですか?」


 俺の急なお願いに、牧さんは喜んでと頷いてくれた。

 道場に上がり、牧さんの後ろを付いていく。道場内にはまだ俺たち以外の生徒と先生方は居なかった。道場の真ん中で、弟に借りた竹刀を握って中段の構えを取る。

 俺の正面に立った牧さんは何も言わない。取り敢えず竹刀を一振り。


「違う」


 牧さんはそう一言だけ発する。体勢を少し変えてまた一振り。


「違う」


 今度は竹刀を握っている俺の左拳をペシッと軽く叩いて一言。再び体勢を少し変えて一振り。


「違う。もしかして和也君、まだのか?」

「そんなことは無いです。けど、剣を扱える程では……」

「そうか。なら今日はここまでにしよう。剣を扱う以前に、自身の体が扱えていないならここで出来る事は少ない。まずは基本的な身体づくりからだね」

「はい……」


 恥ずかしかった。弟の見ている前でみっともない姿を晒してしまったことが、兄として恥ずかしく思えた。

 チラリと弟の方を盗み見ると、何故かとても嬉しそうな顔でこちらを見ていた。


「何だよ……」


 顔に熱が溜まるのを必死に抑えながら、にこやかに笑う弟に問う。


「別に。ただ兄さんが戻って来てくれて嬉しいなーって思ってただけだよ」


 弟の無邪気な笑顔と心に、更に恥ずかしさを感じた。


「何だよ……」


 そう独り言のように呟き、借りていた竹刀を弟に返す。


「継続は力なりと言う。師範も言ってただろ? これから取り戻していけば良い。大事なのは続けることだ」


 牧さんの言葉を受け取った俺は、今朝あったティースとのやり取りを思い出した。

 逃げる為に始めたゲームだったが、何だかんだ続けていた。楽しいから、遊びだからだけじゃない。何かを得ようとしてやり続けたんだ。

 得たものはあった。それは決して他人に誇れるようなものでは無いけれど、俺はそのおかげで人としての原型を留めていた。

 ティースの気持ちは痛いほど分かる。俺も彼女同様、自分たちの築き上げて来たものを勝手に利用されるのは不愉快だ。でも―――。


「それじゃあ、兄さん。また後でね」

「ああ、また後で」


 他の生徒や先生方と入れ違う様に道場を出る。彼らの怪訝な眼を捌きながら門を跨ぎ、ポケットに手を突っ込んだ。手に触れる携帯の感触を感じながら自宅へと向かう。ティースへの返事をしようと考えたが、未だに心が定まらないのだ。

 ふと、道場から聞こえた掛け声に釣られて、歩きながらつま先立ちで塀の向こう側を覗き込んだ。

 塀を挟んで向こう側に見た、望の一振りはとても美しかった。



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