第29話 終わりの冬③

「ねぇ、教えて欲しいところがあるのだけれど」


 テストも終わったことだし、自習ブースも空いているだろう。もちろん彼女もそちらにいるはず――その予想を裏切ってフリースペースに座っていた椿カナデは、遅れてやって来た僕の前に堂々立ち塞がってそう申し出た。いつもと変わらぬ淡々とした声音だった。


 どうやら待ち伏せしていたらしい。突然のことに僕は目を白黒させて、自身を指さす。


「今日の返却、あなた、物理と数学はほぼ満点みたいだったから。覗き見みたいなことして、悪いのだけれど」


 あぁと僕は合点がいった。どうやら今日の帰り際、ショートホームルーム時に一斉送信された成績を、見られていたらしい。


 現代において、成績は非常にプライバシー性の高い個人情報として扱われる。

 今世紀初頭の定期考査では総合点数に順位付けがされ、時にはその結果を公然としている学校が少なくなかったという。生徒同士を競争させ、学力向上を図るためだったとか。


 しかしその後、個人情報やプライバシーの保護が急速に問題視され、成績の開示は行われなくなった。数十年が経過した今でもその考え方は変わっておらず、むしろ個々人の能力は順位付けをして計るものではないとして、順位付けそのものも廃止されている。


 故に、友人知人の成績を知りたければ直接、相手に聞くしかない。それでも誰が大体どの程度の学力なのかというのは、なんとなく分かってしまうのが学校という場所なのだが――

 一方でもう一つ、相手の成績を知る方法がある。


 それが成績確認中の相手の画面を盗み見るという原始的な方法だ。


 本来であれば他人の画面を盗み見るのは褒められた行為ではないが、ホロディスプレイの性質上、視界に入れば見えてしまう。見られる状態で成績を確認していた僕も悪い。僕の成績を気に掛ける人なんていないと思っていた。

 それに見られて困るかと言われたら、「別に」。僕はそう答えるだろう。


「目がいいんだね」

「そうね、遺伝のおかげかしらね」


 子供が近視になる可能性の高さは、親の遺伝子が大きく関わっているとか。もちろん環境要因も大きいが、人に寄っては全く近視にならないという。椿カナデもそのタイプなのか、毎日の猛勉強に反して、彼女は眼鏡もコンタクトレンズも着用していなかった。


「勉強、構わないよ。僕も復習になるし」

「よかった。感謝するわ。私、理数科目はそこまで得意じゃなくて」


 そう言って彼女が椅子を引く。テスト期間中に僕が座っていた彼女の対角の席ではなく、二つ隣――三つ並びの椅子の真ん中を置いた端の席だった。僕は椿カナデに一度視線を向けてから、そこに荷物を降ろす。


「意外?」

「少し」


 内心を見透かしたような一言に、僕はややドキリとした。


「素直なのね」


 彼女は自席に戻り、椅子を引く。

 僕は何故か、以前デリカシーがないと言われたことを思い出した。言ったのは、夜桜カレンと百合野トオルだったか。素直なのとデリカシーがないのは両立するのだろうかと少し考えてしまう。


「君は一人で黙々と勉強するタイプだと思ってたから」


 実際、彼女が他の生徒――〈四季〉の面々と一緒に勉強しているのを、僕は見たことがない。

 彼女はそれまで広げていた参考書の画面を閉じて、答案結果を展開する。


「使えるものは使う主義なの」

「……人生の成功のため?」

「そうね」


 彼女は迷いなく頷いた。


「人と一緒に勉強することにメリットがあるのは知ってるわ。教えてもらうこともできるし、さっきあなたも言ったとおり、教えることで自身の復習になる。でも教えたら、教えてもらわなくては平等じゃないじゃない」


 それに、と。


「みんなにはみんなの考えがあって、やりたいことがあるもの。わざわざ私に合わせる必要もないわ」


 その論でいくと、僕は彼女に合わせられる人間で、教えたら教え返してもらえる平等な人間ということになる。つまり彼女の一方的なお眼鏡に適ったわけだが、それを喜んでいいのかは、また分からないところだった。


「気を害したかしら」

「別に」


 僕は頷きもせず、首を振ることもなく応じた。


「分かりやすくていいと思う」


 世の中は持ちつ持たれつギブアンドテイク

 少なくとも「善意で」「無償で」「あなたのために」なんて。耳障りのいい言葉を並べるられるよりは、余程納得できる考え方だった。


「数学と物理以外に得意は?」

「地理と情報科目はそれなりに」

「苦手は?」

「英語と歴史、あと化学」

「全部暗記系じゃない」


 仄かに彼女が笑う気配がした。けれど隣を見ても、彼女は無表情のままホロディスプレイを操作している。

 僕もまた、返ってきたばかりの答案データを引っ張り出した。


「それが苦手なんだ」

「理論で覚えるタイプなのね」

「そうかもしれない」

「私とは正反対だわ」


 彼女は僕とは反対に、文系科目のほうが得意なタイプだった。普段の冷静沈着な彼女のイメージからは意外だが、そちらを教えてもらえるのは、僕としても率直にありがたかった。


「不思議なものだわ。同じシティに生まれて、同じ教育を受けているのに、こんなにも違うんだもの」


 ぽつりと彼女は零した。同じ年に、同じシティに生まれ、同じような教育を受けて。同じような道筋を歩んでいるのに、どうして差が生まれてしまうのか。

 それが人間の個体差といえば、そうなのだろう。


「本質的には、似た者同士かもしれないけどね」


 僕らは同じ工場の、同じ生産ラインに乗せられている。

 結局のところ、その点では大きな違いはない。


「……そうかもね」


 彼女は頷いて、僕に自身の答案結果を渡す。僕はそれを自身のものと比較して、彼女にどう解説していいか、即座に頭の中で組み立て始める。


 利害の一致。


 僕と椿カナデの協力関係は、そこから始まった。

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