第28話 終わりの冬②

 椿カナデをそこで最初に見かけたのは、十一月の第二週。文化祭があった週末の、次の週のことだった。


 文化祭が終わると、学校生活は一気にイベントとは縁遠くなる。

 世間的に言えばクリスマスに正月、バレンタインとイベントが目白押しでめまぐるしい時期がやってくるわけだが、大人ほど金銭的、あるいは活動の自由がない学生にとっては、一大行事とは言いがたい。


 これからやってくるのはそんな、あとは過ぎるのを待つだけの冬。

 しかし一部の生徒にとっては、これからの時期がある種のメインイベントでもあった。


 受験だ。


 高校教育までは完全無償化されており、人口減少と少子化も相まって、高校進学を希望する生徒はほぼ全員が進学可能であるが、大学は違う。時代の変遷に伴い、小中高の教育機関の多くは廃止され、現在では一つのシティにそれぞれ一つの公立機関を残すのみとなっている。一方で、大学は未だ多くがその存在を残している。


 といっても、教育機関としての役割を未だ保っているところは少ない。大学とは名が付いているものの、正式な手続きを経て教育機関としての機能を廃止。研究機関としてのみ活動を持続させているところが過半数だ。大学進学を希望する生徒、全員を受け入れられるだけのキャパシティは、今この国にはない。


 それでも大学進学を希望する生徒は多い。必然、起こるのは椅子取りゲームだ。

 そのゲームに勝つため、文化祭が終わるや否や、多くの受験生たちが本腰を入れて勉学に打ち込み始める。


 そこまで真面目でもないが、僕も一応の受験生として、多少のことはやっておかなくてはいけない。

 そう思って訪れた放課後の学内図書館に、彼女の姿はあった。


 小学校から高校生までが使うこの図書館はそれなりの広さを擁している。勉強が可能なのは、平テーブルと片側に三つの椅子が並べられたフリースペースと、各席の間に仕切りが立てられた自習ブース。どちらで勉強するかは人の好きに寄りけりだが、椿カナデは後者だった。


 人影と仕切りの間から、鮮やかな赤い三つ編みが覗いている。

 それを横目に、僕もまた自習ブースの適当な席について、勉強を始めた。


 彼女は図書館の常連なのか、いつも同じ席に座っていた。そしていつも後からやってくる僕をちらりと見て、すぐに机に向き直る。僕も特に声を掛けることなく、空いている席へと座る。


 互いに認識はしているけれど、特に言葉も交わさない。

 そんな奇妙な関係が半月以上続いた、十一月下旬だった。

 その日、椿カナデは珍しくフリースペースの平テーブルで勉強していた。


 理由はすぐに分かった。

 自習ブースに足を向けた僕は、並んだ机の周りを一周して戻ってくることになる。席が全て埋まっていたのだ。おそらく、十一月末日に控えた後期中間試験対策のためだろう。普段、あまり見ない顔ぶれが多かった。


 大人しくフリースペースに戻ってきた僕は、空いていた椿カナデの斜め向かいに座り、リストデバイスから参考書の類いを展開する。網膜投影でもいいのだが、端末のメモリはある程度多い方が作業しやすいように、複数の画面を展開する場合は、網膜投影では見づらい。眼球では投影スペースが足りないのだ。


 それに、見られてまずいものを展開しているわけでもない。

 先日解いておいた過去問題集の結果を見て、不正解や理解度の低い問題を重点的に復習していく。そうして、幾ばくかの時間が流れた頃だった。


「あなたも受験組だったのね」


 椿カナデがおもむろに口を開いた。少し視線を挙げれば、斜め向かい――対面よりは少し距離がある位置に座る彼女は、僕と同じくホロディスプレイに参考書を展開し、しかし彼女は紙製のノートとシャープペンシルで勉強を進めていた。ノートの上には白い消しゴムと、黒い消しかすが散っている。


 僕は視線を画面に戻し、自分の勉強の続きを進めた。


「一応」

「どこを受けるの?」


 僕は大学名を三つ挙げた。それぞれ第一から第三志望の順番だ。

 彼女は僕がその順番で言った意図をすぐに理解したらしい。


「理工学系寄りね。本命、滑り止め、記念受験って感じかしら」

「そんな感じ」


 僕は内心舌を巻いた。一通り調べが付いていれば分かることではあるが、僕が述べた中には、そこまで有名ではない大学もある。大学や学部の数は減ったとはいえ、それら全てを調べて覚えているのは、なかなかできないことだと思う。


「君は?」


 聞き返されるとは思わなかったのだろう。ややあってから彼女は答えた。もしかしたら答えたくなかったのかもしれない。人によってはプライバシーだからと、希望大学や希望学部を伏せたがる人もいる。


 彼女は僕と同じように、志望順に大学を挙げた。学部は違うが僕の三番目が彼女の一番目だった。他の二つは、僕の希望にはない大学だった。


「頭良いんだね」

「当然でしょ、勉強してるのだから」


 無表情を崩さず、何の感慨もなく彼女は言った。

 数秒の間が空く。


「でもご飯はゆっくり食べた方がいいよ。早食いは身体にも良くないし」


 周囲の妨げにならないよう声量を絞り、返す。


「最近、ご飯一緒に食べられなくて夜桜さんが残念そうにしてた」


 なんの報告だろう。頭の片隅でそう思わなくもない。

 彼女の返事は、無感情的だった。


「そう」


 なんでもないかのように、言葉だけで応える。


「仕方ないわ。『人生の成功』のためだもの」


 その頃から椿カナデは、あらゆる時間を勉強に費やしていた。

 朝、登校してから始業までの間。授業の合間の休み時間。昼休みの余り時間。放課後は誰よりも早く教室を出て、図書館に向かう。

 図書館で顔は合わせるけど、言葉を交わすことはほとんどない。


 僕が彼女に再び話しかけられたのは、中間試験終わりの翌日。AIによる採点結果が返却された日の図書館でのことだった。

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