第24話 萩原アカネは秋に朽ち①

 文化祭当日は、雲一つない快晴に設定されていた。

 澄み渡った青空――ともすれば、ただ青色で塗り潰した映像を表示させているだけの空は、少し苦手だ。


 一面の青色は、遠近感が狂う。頭上を覆う天井がどこにあるのか、分からなくなる。視界に建物がないと、それが『空』という認識さえあやふやになってくる。その感覚は、どこかゲシュタルト崩壊にも似ていた。

 そんな空の下。ようやく開催を迎えた文化祭は、盛況を極めていた。


 普段の淡々とした学内とは一転。さして広くない敷地内には生徒の出した露店や、飲食の提供や盛り上げを目的として学校が手配した出店が並び、あちらこちらでホログラム看板を頭上に掲げた広報係の生徒が呼び込みを行っている。四方八方の扉が開け放たれた体育館から流れてくるのは、吹奏楽部や軽音学部、それに有志のバンドによる様々な音楽。そんな喧騒の中を、生徒や保護者、併設の小中学校の生徒やその他一般客が、各々の目的に従って、自らが喧騒と化しながら行き交う。


 そんな一瞬一瞬の時を刻みつけるような賑やかさの中、一人校舎周りを歩いていると、人混みの向こうから手を振って走り寄ってくる人影があった。彼女が一歩進む度に、人目がそちらを向く。それだけで誰か分かった。


「お疲れ様なのです~」

「お疲れ」


 夜桜カレンと、その後ろでゆっくりと歩きながらやって来た百合野トオルは僕の目の前で止まると、それぞれ温度の違う微笑を浮かべた。夜桜カレンは太陽のように、百合野トオルは少し冷たさを伴って。


 彼女たちの頭上には、ポップな字体で『3年A組 模擬喫茶(休憩にどうぞ!)』と描かれたお手製のホログラム看板が浮かんでいた。その周囲には時折小さな花火が弾けたり、小花が舞ったりしている。


「お疲れ様。看板、上手く動いてるみたいだね」

「おかげさまで! なのです」


 看板に視線を合わせると、リストデバイスに新規メッセージを知らせる通知が届く。それを確認すると、新規画面が立ち上がり、クラスで出している模擬喫茶の場所やメニュー情報が表示された。


 一応手伝った者として動作を確認し終え、顔を上げる。すると夜桜カレンが、期待の眼差しでこちらを見ていた。百合野トオルが、その背後で小さく頷く。


「うん、よくできていると思う」

「やったー! なのです! よかったですね、トオルちゃん!」


 そう言うと、夜桜カレンは百合野トオルと手を取り合って、飛び跳ねた。

 看板としては控えめな見目と内容だが、それを引っ提げているのは〈四季〉の中でも特に人目を引く二人だ。宣伝としては十分だろう。むしろ看板の存在が霞んでしまうかもしれない。

 事実、行き交う人々は皆、頭上の看板ではなく、その下で顔を綻ばせる彼女たちを見ている。

 ――大丈夫だろうか、と。そう思った瞬間だった。


「大丈夫ですよ」


 まるで内心を見透かしたような一言に、僕は思わず肩と心臓を跳ねさせた。見れば夜桜カレンが後ろ手を組んで身を屈め、僕を覗き込むように見ている。


「トオルちゃんも、キミもいますから」


 ニシシと歯を見せて、悪戯っぽく。その笑みに、僕は思わず目を瞬かせた。なんだかその笑い方を見るのも、随分と久しぶりのような気がした。


「……そっか」

「はい!」


 僕の淡白な呟きに、夜桜カレンは満面の笑みで頷く。

 それから僕らは、あまり立ち止まっているのも人流の妨げになると、ゆっくりと移動を開始した。


「今日はずっと校内を歩くの?」

「いえ、そろそろ疲れてきたので、一回教室で休憩しようかと」

「喫茶店、随分盛況で整理券配ってるらしいし」


 となると、あまり喧伝しすぎるのも良くないだろう。


「お昼ご飯もどうするか考えなきゃですしね~」


 それぞれがリストデバイスで連絡を確認する。僕もなんとなく端末を開いて、時刻を確認した。デジタル時計は、もうすぐ十二時になろうとしていた。


 食堂を除けば、学内で座って休めるところは少ない。その食堂も、飲食の持ち込みは自由だが営業自体は停止している。クラスで出している模擬喫茶は、飲食の持ち込みは不可だが、飲み物や軽食は提供される。足を休めて何かを食べたい。そんな人たちが集中しているのは、想像に難くなかった。


 ほどなくして校内に入り、一気に人が空く。屋内の出し物は文化部の展示が多い。屋外に比べ出し物の数自体も少なく、行き交う人も必然、少なくなる。


「何か食べたい物はありますか?」

「アタシはこれと言ってだけど」

「カレンちゃんはですね~、クリームたっぷりの甘~いクレープが食べたいのです」

「……それ、昼飯になるのか?」


 夜桜カレンと百合野トオルの他愛もないそんな会話を聞きながら、人混みとは無縁の階段を上がり、廊下を進んでいく。のんびりと、ゆっくりと。

 そうして教室近くにさしかかり、


「いい加減にしてくんない!?」


 突如耳を貫いた剣呑な声に、僕らは揃って声の方を振り向いた。

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