第23話 文化祭の前に②

「何が?」


 分かってて、彼女は尋ね返した。そんな不機嫌な声だった。だから僕も言った。


「クラスタのこと」


 空気が軋んだ気がした。けれど彼女が、僕に対して怒りをぶつけることはなかった。

 先月、ハンバーガーショップで件のSNSの投稿を見かけた時のことだった。

 画面を見たまま凍り付く萩原アカネの目の前で、次々と新しいメッセージが投稿されていく。その中には、先程の投稿に対する反応が多く含まれていた。



  :アズ > 四季って何なん?

   :リン > なんか四天王みたいな? 偉そうにしてる女四人。てかぼっちの集まり笑

    :ぴょこ > ぼっち草 嫌われ者じゃん

 リン > しかも理由がバイト。まじなくない? 協調性皆無だし社会不適合

  :シーナ > いるよな。空気読めんやつ。



 そんな批判と同意が次々と流れていく。

 萩原アカネは震える手で、ホロキーボードを叩き始めた。僕の前に画面を複製していることも忘れているらしく、僕の目の前で書いて、消して、書いて、文章ができあがっていく。


「ちょっと」


 それを見て、僕は気付いたら彼女を止める声を上げていた。


「なに」

「本当にこれを投稿するの?」



  :ユウヒ > 学校行事よりバイト優先とか金の亡者じゃんw



 それは、明らかに自分自身を貶める内容だった。

 僕の制止に、彼女は顔を歪ませる。


「じゃあ黙ってろっての? それとも擁護意見でも言えっての?」


 その抗議に僕はぐっと押し黙る。ここで反対意見を投稿すればどうなるか――それは出し物決めのクラス会議で既に知っている。

 爪弾き。集団の敵。村八分。


「……本音を言うばっかりが付き合いじゃないじゃん。それこそ……空気読まないと」


 だったらどうして、クラス会議の場であんな発言をしたんだと、内心で思ってしまう。バイトが外せないとしても、もっと穏便に済む言い方はあったのではないか。


「敵に回したくないの。除け者にされたくないの。みんなと、友達でいたいの」


 僕はもう、何も言えなかった。


 オンライン上の付き合いが、決して架空のものだとは思わない。彼女が属しているのはゲームを話題の中心としたSNS上のコミュニティのようだが、人に寄ってはVRでそれこそ視覚や聴覚では現実と変わらないコミュニティを楽しむ人もいる。でも――その先の思考を、僕は飲み込んだ。


 それから彼女とは直接話す機会を得ず、十月の今に至る。


「……話して、あんたにどうにかできるの?」


 苛立ちに満ちた一言だった。それが端的に、彼女が現在、よくない立場にいることを表わしていた。


「どうにかしなきゃいけない状況なの?」


 僕の返しに、余計なことを言ったと気付いたのだろう。彼女はぐっと押し黙って、それから以前と同じくホロディスプレイを僕の前に寄越してきた。ただし今度は複製画面ではなく、スクリーンショット画像だった。


 そこに書かれていたのは、文化祭に非協力的な萩原アカネを罵る、負の言葉の数々だった。係になったくせに、全く仕事をしない。他のメンバーに甘えてる。非協力的。それだけではなく、中には他の三人の〈四季〉に対するものもある。


 僕は顔を強張らせた。


「これ……もう誹謗中傷だよね? 警察には言ったの?」

「はぁ? 言うわけないでしょ。相手だってあくまで相手を特定できないように書いてるんだから。端から見たらただのリアルの愚痴だもん。愚痴アカみたいなものでしょ」


 そう言いながら萩原アカネは、次々にスクリーンショットを表示させる。その数は優に十枚を超え、なおも続いた。しかし途中で投稿内容の流れが明確に変わる。



 ユウヒ > 人の事情はそれぞれなんだし、気にするだけ時間もったい気がする。



 その正論が、引き金だった。

 そこからは返信機能を用いずに、けれど互いに宛てたと分かる投稿が行き交う。



 リン > は???? 愚痴も吐くなってわけ?

 ユウヒ > そんなこと言ってないんだけど

 ぴょこ > めっちゃ上から目線草w

 リン > 自分は嫌なこともスルーできる人間です~って言いたいわけ? こっちだって人間だし感情ぐらいあるんだけど?

 アズ > 急に冷静ぶってて笑う

 シーナ > お前だってこの間ガチャ爆死して発狂してたのにな



 投稿者『ユウヒ』は、萩原アカネだった。


 以降、彼女の投稿はない。完全に沈黙していた。けれど『クラスタ』の投稿は止まらなかった。揚げ足取りに、煽り。沈黙を貫いていることを始めとし、クラスタの彼女たちは次第に過去の話まで持ち出してくる。ゲーム内でのプレイミスや、推しキャラへの態度が気持ち悪いなど、最早この流れの発端とは無関係な罵詈雑言が並んでいる。


 全世界の人々が見られるオープンな場で、名指しはせずに、けれど分かる人には分かるように、言葉を選んで。巧妙なシステムの使い方だった。直接返答をしていないため、「これ私のことですよね?」と問い詰めたところで、「別の人に向けてです」と言われてしまえばそれ以上は追求できない。見た側の自意識過剰、気にしすぎで済まされてしまう。


 公共の場で行われるそれは、ある種の晒し行為でもある。


「……うざいじゃん。さすがに。自分のことじゃなくなって、そんなに毎日毎日愚痴ばっか見せられて」


 そうして場の鎮火を狙った一つの投稿は油となって、炎は一気に燃え上がった。後悔していること、この一件が彼女の心に暗い影を落としていることは、声音から明らかだった。


 どうにかできるの、と。

 彼女の不機嫌な詰問が、脳内に反芻する。


 問題そのものは『ユウヒ』と『リン』を中心とした、ただのケンカのようなものだ。けれど僕には、こういう時はどう対処すべきなのか分からなかった。僕には同じような経験もなければ知識もない。むしろSNS上の関係性については疎いほうだ。


 僕には、どうにもできなかった。

 分からないことだらけだった。


 こんな状況になってまでなおクラスタと繋がり続けていることも、誹謗中傷に近い投稿があると分かりながらも、それを見続けることも。

 理解できないことばかりだった。


「……どうしてそこまで」


 自分の余暇を全てバイトに当てることも、そのバイトで稼いだお金をゲームに注ぎ込むことも、対して仲良くない僕にまでお金を借りて、ゲームをプレイしようとすることも。

 僕の疑問が伝わったのかは分からない。けれど彼女は足を止めて、俯いて、黙り込んで、爪が食い込みそうなほど拳を握って――やがて呟いた。


「……ここしかないんだもん」


 駄々をこねる子供のような、コップの縁で張り詰める水のような、そんなかき消えそうな声だった。


 僕にできることは、何もなかった。

 それでも時間は流れ、秋は深まる。

 たとえそこに、実りがなくとも。

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