第25話 萩原アカネは秋に朽ち②

 三年A組の教室前。そこに居たのは腕を組んで立腹する水野さんだった。彼女を先頭に、後ろには仲の良い友人の女子数人が佇んでいる。それぞれ怒りの表情を浮かべている子もいれば、不安げな顔をしている子もいる。けれどその視線は一様に、相対する一人の女の子に向けられている。


 ――萩原アカネ。


「……お客さん、見てるんだけど。迷惑だと思うけど」


 駆け寄る僕らの耳に、ぼそりとした彼女の呟きが届く。


 周囲の客たちは、何かトラブルでもあったのだろうかと遠巻きに様子を伺っていた。その輪に混じり、僕らは足を止めた。夜桜カレンが今にも飛び出して行きそうなのを、百合野トオルが肩を掴んで押さえる。教室にいたのか、出入り口には険しい顔をした椿カナデの姿もあった。


 教室前は萩原アカネたちを中心に、前後に人垣が生まれていた。教室前で言い争いをしているため、喫茶店を訪れた人も入るには入れず、中で休息を終えた人も出るに出られない状況になっている。

 しかし水野さんは指摘を意に介さず、「はぁ?」と顔を歪ませる。


「何? 逃げるわけ? 話し合いもできないの?」

「……逃げるって、何でそうなるわけ」


 頭に血が上っているのか、どうやら周りが見えていないらしい。彼女を止める人は誰も現れず、水野さんの口上はヒートアップしていく。


「逃げようとしてるでしょ。真っ向からケンカする度胸もないわけ? つか本当、係になったくせに何の準備もしない。今も一人で校内を自由行動ってさぁ、あんた、クラスの一員って自覚あんの?」

「……係に決めたのはあんたたちでしょ」


 静かに、けれど苛立ちを滲ませて、萩原アカネが反論する。


「たかが数合わせじゃん。あたし、用事があるってちゃんと申告したんだけど」

「係のあんたが協力しなかった代わりに、そこの眼鏡が手伝ってたんだけど?」


 すれ違いにも似たやりとりが続き、突然その矛先が僕に向く。ぶつかり合っていた二人の目がこちらを向いて、突如槍玉に挙がった僕は思わず身を強張らせた。


 萩原アカネの榛色の視線が、僕のそれとぶつかる。しかし彼女はどこかバツが悪そうに目を逸らし、僅かに顔を背けた。

 そんな彼女の様子に、水野さんが嘲笑を零す。


「反論すらもないわけ? 自分が悪いっての分かってんじゃん」


 萩原アカネがゆらりと顔を上げて、水野さんを見る。傍目にも分かる、暗い眼差し。ともすれば殺意にも似た色。それを押さえ込む理性の光。そこに普段の、どこか漫然とした穏やかな目はない。


「何その目、言いたいことあるなら言って見なさいよ、それとも何? 〈四季〉様は一般人と話す口も持たないって?」


 瞬間、彼女の取り巻きの何人かが、堪えきれないといったように噴き出した。クスクスという密かな笑いが辺りに響き、一方で何のことだか分からない一般客は首を傾げている。


 萩原アカネは口を真一文字に結んだまま、何も言わなかった。――言えなかった。

 無駄だと分かっていた。

 どうにもならないことなんて知っていた。

 できることなら、とっくにどうにかしていた。

 だから――


「〈四季〉だからって自分が特別だとでも思ってるわけ? なんの取り柄もない根暗のくせに」


 水野さんが腰に手を当てて、吐き捨てる。

 その中傷をただ、聞いていた。


「〈四季〉だからって調子に乗ってんじゃねーぞ、クズ」


 そしてその、いつかと同じセリフに、彼女の中で何かが切れた。

 観衆のざわめきが、耳を撫でる。

 水の中で燃えていた炎が、膨れ上がる。

 ハッと、零れる小さな嘲笑。


「なにそれ」


 瞬間、辺りがしんと静まり返った。

 それは相手への嘲りというよりは自嘲に近く、疑問というよりは諦念に近く、怒りというよりは悲しみに近く。


「いつあたしたちが、〈四季〉だなんて名乗ったの」


 そんな、そんな秋風のような呟きだった。

 笑っていた水野さんの取り巻きが一斉に口を噤む。囲いの中の少女を見る目には、怯え。けれど彼女たちの主は、気付かない。怪訝な顔をし、変わらぬ怒りの矛先を獲物に向けている。


「〈四季〉だなんて、あたしたちが、いつ」


 笑う。嗤う。薄く。笑んで。


「答えてよ、ねぇ」


 けれど返ってくる答えはなく。


「どうして」


 囁きが、廊下の静けさに反響する。


「答えろっつってんでしょ!!」


 そうして怒りが、悲しみが、やるせなさが、疑念が、それまでに溜め込んだあらゆる感情が、弾けた。


 それは暴力的な響きを持って、人々を打った。事の行く末を見守っていた観客たちは肩を震わせ、小さな子供は泣き出し、親はそんな子供を連れて急ぎ足に場を離れる。

 水野さんもまた大きく身体を跳ねさせて、萩原アカネを見ていた。目の前の少女は誰だと、まるで信じられない物を見るような目だった。


 息を吐いて、静かに、静かに彼女は呟く。


「あんたたちが勝手に呼び始めたんでしょ。カレンがいて、カナデがいて、トオルが加わって、あぁみんな花の名前が入ってるね、もう咲かない花だねっなんて。あんたたちが、誰かが」


 どこからともなくそんな話が上がって、広まった。

 最初は皆、独りだった。


 校内一の可愛さを持ち、けれど風変わりな性格の夜桜カレン。

 成績優秀ながらも、勉強ばかりで人付き合いの悪い椿カナデ。

 そして陸上で脚光を浴びていたが、怪我でリタイアした百合野トオル。


 人目を集めながらも、関わりづらい三人にあったのは、季節の花。

 春と夏と冬。失われた季節の象徴がそこにあることを面白がって、揶揄して、いつしか生徒たちは足りない秋を探した。


「秋がいれば完璧だなんて、なにそれ」


 あぁあるじゃないか、なんて見つけて。


「爪弾きにして、まとめて、そこに組み込んで」


 そうして〈四季〉はできあがった。


「あたしが何をしたっていうのよ」


 世界の全てを呪うような声だった。


「カレンみたいに可愛い? 頭緩い? トオルみたいに足速い? 悲劇のヒロインぶってる? みんな腫れ物みたいに扱ってさ。カナデみたいな勉強馬鹿じゃないし、あたし、あそこまで愛想ないつもりもないんだけど」


 夜桜カレンが、百合野トオルが、椿カナデが、それぞれ小さく息を呑む。


「ただ普通の、勉強も運動も普通な、ちょっとゲームが好きな、ただそれだけでしょ」


 特別なものなんて、彼女には何もなかった。


「何が、いけなかったわけ」


 ただ彼女には、秋の花があった。

 ただそれだけで、彼女は〈四季〉の秋となった。

 それだけで彼女は、普通ではないとカテゴライズされた。


「あんたたちが、あんたたちがあたしを〈四季〉に組み込んだんでしょ」


 普通ではないから、普通に扱わなくて良いのだと、誰もが〈四季〉を特別視した。

 頼って、擦り寄って、爪弾きにして、何かあれば集団の敵と見なして、時には嘲笑の対象にして、面倒を押しつけられる都合の良い存在にして、ストレスの捌け口にして。

 それはかつてこの国にあったとされる、『村八分』という文化を思い出させた。


 独白にも似た彼女の問いかけに、応える者は誰もいない。

 酷薄な笑みと共に、呟きが零れ落ちる。


「〈四季〉なんて呼んで、線引きしてるのはあんた達じゃない」

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