第15話 夏祭り①

 夏休みの意義とは、なんだろう。

 暑くて勉強に集中できないから。それが元来、夏季休暇が導入された理由だという。


 しかし、夏は三十℃を超えれば暑い――なんて言われていたのは、百年も前の話。夏の平均気温の上昇に伴い、日本の教育現場は夏休みを迎える前も、過ぎ去った後も体温を超えるような熱波に見舞われるようになった。当然、教育現場にも空調設備は必須のものとなり、二十一世紀初頭から公立学校では徐々に設備が完備された。学生たちは夏の間も快適な環境を手に入れたのだ。


 だがそれも、過去の話だ。

 人々は夏と共に過ごし、夏を克服し、夏と別れた。

 シェルターという文明の力で、季節を忘れることを選んだ。暑くて勉強できない夏は、もうどこにもない。夏休みの意義は一つ消え去ってしまった。


 ――夏休みなんてものは最早、文化的な名残でしかないのではないか。

 僕は人でごった返すセントラルのターミナル駅前に佇みながら、ぼんやりとそんなことを考えていた。


 迎えた夏休み、最初の日曜日の夕方だった。夏祭りに向かうため、僕はここで百合野トオル、それから彼女が連れてくる手筈になっている夜桜カレンと待ち合わせをしていた。


 確か夜桜カレンは、第三に住んでいると言っていたか。

 僕は駅の中をチラリと見た。


 複数のシェルターから構成されるシティだが、実のところ、サブシェルター同士を直接的に行き来する手段は存在しない。シェルター同士を結ぶリニア鉄道はセントラルにあるターミナル駅を基点として放射状に敷設されており、サブからサブに行くには一度セントラルを経由しなければならない。もちろん他のシティに行く高速鉄道の路線もセントラルにしかない。


 故にターミナル駅は、常に人で溢れている。

 今日は特に多い。僕らと同じく夏祭りに向かうのか、女性を中心に、浴衣を纏った人たちの姿もちらほら見かける。


 小学生の頃、家族でこの祭りに出向いたことがあるから分かる。これだけの人数が、あの小さなサブの一画である神社に集中するのか。そう思うと、少し憂鬱な気分になった。いくら日本の総人口が一世紀前に比べ半減したとはいえ、それ以上に人間の活動領域は狭まっているのだ。


 そう気持ちが沈んでいくのを感じていると、メッセージが届いた。百合野トオルからだった。どうやら到着したらしい。


『今行く。動くな』


 僕は百合野トオルを検索対象に設定し、顔を上げた。すると端末から網膜投影で、対象の人物の場所が表示される。人混みの上に、黄色いカーソルが表示されていた。


 今より人口も多かった時代。この技術がなかった昔の人は、どうやって待ち合わせ相手を見つけ出していたのだろうと思ってしまう。

 向こうも同じ機能でこちらを見つけていたのだろう。人の流れを掻き分けるように黄色いカーソルが近づいてきて、


「よ、待たせて悪かったな」

「……お、お待たせしたのです」


 片手を上げる百合野トオルと、ぺこりとお辞儀をする夜桜カレン。

 僕は二人の姿に、思わず目を丸くした。


 二人は浴衣を着ていた。


 百合野トオルは白地に藍色の草花模様が入った物を。対照的に夜桜カレンは、紺色の生地にグラデーションのある白色の花が描かれた物を着ている。手にはそれぞれ巾着袋を提げている。百合野トオルはいつも通りの髪型だったが夜桜カレンはその長い黒髪を器用に結い上げていて、細い首筋が露わになっていた。


 まさか浴衣で来ると思っていなかった。僕は面食らって、身長差のある二人を交互に見てしまった。


「なんだ~? 見惚れて声も出ないってか?」

「……あ、うん。いや、びっくりして」

「どっちなんだよ、張り合いがないな。なぁ、カレン?」


 悪戯めいた笑みから一転。呆れ顔で百合野トオルが隣を見る。夜桜カレンは袖を少し持ち上げて、浴衣姿を披露した。


「えへへ、トオルちゃんがお下がりを着せてくれたのです。どうですか? 可愛いですか?」

「……カレンちゃんは世界で一番可愛いんでしょ?」


 可愛くないわけがない。暗にそう言うと、夜桜カレンは百合野トオルの袖を掴んできゃーきゃーぴょんぴょんと飛び跳ねる。


「ありがとうなのです、トオルちゃん。後で洗って返しますね」

「いいよ、そのまま持って行って。どうせあたしはもう着れないし」

「あーっ! 高身長アピールですか? 低身長は大変なんですよ! あと三センチあればとどれだけ思ったことか」

「高いのも高いので大変なんだぞ。女物は基本丈が足りなくてつんつるてん状態だしな。それでもいいなら分けてやるぞ」

「うーん、可愛い服を着れないのは困るのです」


 そう首を傾げる夜桜カレンは、五月の終わりに見た彼女と何ら変わりないように見えた。少なくとも、表面上は。今のところ、この人混みに不調をきたしている様子もない。

 僕は端末で時刻を確認した。


「あ、もうそろそろ移動しないと、列車に遅れるかも」

「じゃあ行くか」

「はいです!」


 僕らは、駅の中へと向かって歩き始めた。

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