第14話 百合野トオルは夏に燃ゆ④
後日、僕と百合野トオルは再び体育館裏に集まって、『夜桜カレンを元気づけよう』対策会議を開催していた。
「やっぱり、どうして学校に来たくないかは、夜桜さんに直接聞くしかないと思う」
この前と同じく階段に斜めに並んで座り、開口一番そう言い切った僕に、百合野トオルは顔を歪めた。苦虫を噛み潰したどころではない。何かゲテモノ料理でも食べて吐き出すかのような顔だった。
「アンタ、ほんっとデリカシーないのな」
「それ、夜桜さんにも言われた」
平然と返すと、彼女の顔の歪みが一層酷くなる。僕はそんなにまずい発言をしただろうかと考えるが、多分、そんなに美味しくない発言なのだろう。
「原因が分からなきゃ、解消しようもないし」
夜桜カレンが学校に来なくなって、早一ヶ月と少し。それが何か問題かと言われたら、正直、何も問題はない。体調不良を始めとし、心身の都合で授業が受けられない場合は、学校の許可を取った上でリモートで授業を受けることができる。百合野トオルも昨年、怪我で入院を余儀なくされた際にその制度を使っていたはずだ。
つまり究極的には、一日も学校に来ないで卒業できる制度が完備されている。
だからこれは本人が言った通り、百合野トオルの完全なエゴだ。
ハァと、彼女が大きな嘆息を吐き出す。
「まぁそりゃそうだけどさぁ……じゃあアンタ、今からカレンに電話しろよ」
「えっ」
あまりに唐突な命令に、僕は狼狽えた。まさかそう来るとは思わなかった。
「なんで僕が」
「既読スルーされてるアタシがかけたって無視されるかもしれないだろ」
だからって僕がかけたところで出るとも限らないと思うけど。
「ほら、やるなら早く。連絡先はクラスで共有されてるだろ」
急かされて僕は、渋々リストデバイスを起動した。クラス名簿を出して、一覧をスクロール。『夜桜カレン』をピックアップする。プロフィールカードに映る無表情の彼女は、なんだか新鮮だった。
「じゃあ発信するよ」
メニューから発信を選ぶと、呼び出しのコールが流れ始める。僕は百合野トオルにも聞こえるように指向音声からスピーカーモードへ切り替えた。
余談だが、諸連絡のために共有されているこの名簿を悪用したり、連絡先を始めとした個人情報を、当人の許可なく私的に使用したりするのは禁止されている。僕も使うのは、この学校に入ってから初めてだった。もしかすると小中学校を合わせても初めてかもしれない。今回は私的に連絡先を知っている百合野トオルから教えてもらうのと大差のない行為のため、まぁ――セーフだろう。
そんなことを考えているとコール音が途切れた。画面に一人の少女の顔が映し出される。
『も、もしもしなのです?』
応答は何故か疑問形だった。
「もしもし。僕だけど」
『は、はい。び、びっくりしたのです。キミからかかってくるなんて、思わなくて』
オロオロしながら応じる彼女は、部屋着と思われるもこもこの可愛らしい服を着ていた。自室だろうか。背後にはぐしゃぐしゃになった掛け布団と、いくつものクッションが見える。なんだか見てはいけないものを見てしまったような気がして、僕はホロディスプレイから少し視線を逸らした。
そんな僕の背後に、百合野トオルが回り込む。
『と、トオルちゃん……』
「……や、久しぶり」
『お久しぶり、なのです』
僕の肩越しに映り込んだ百合野トオルを見て、夜桜カレンは力無く笑う。その笑みがぎこちないのは、連絡を無視し続けた気まずさがあるからだろうか。
そんな友人を見て、百合野トオルはフッと表情を和らげる。
「……元気? 飯は? ちゃんと食ってる?」
『元気ですよ~。ご飯もちゃんと食べてます!』
「どうせ定期契約のデリバリー弁当だろ。カレン、料理できないんだから」
『あー! 今デリバリーを馬鹿にしましたね!? いいですか、昨今のデリバリーは手作りよりもお金がかからないし、栄養価も完璧に計算されていて――』
「はいはい。授業は?」
『リモートでばっちりです。担任の先生とカウンセラーの先生の許可もいただいてますし、分からないところはちゃんと質問して教えてもらってるのです』
「そっか。不便がないならよかった。……その、大丈夫? カレン、お母さんと揉めたり、してない?」
その質問に、一拍置いてから。
『大丈夫ですよ~。お母さんはいつも通り、お仕事か彼氏さんの家なので』
「……ごめん。聞いて」
『いいのですよ~、いつものことですし。むしろ顔を合わせなくてカレンちゃんは気楽なのです』
夜桜カレンは、画面の向こうでひらひらと手を振って、気の抜けた笑みを浮かべている。少し歯を見せて、いたずらっぽく。いつも通りの彼女にも見えたし、無理して笑っているようにも見えた。
『トオルちゃんこそ大丈夫なんですか? その、アキ……東条くんと、ケンカしたって』
「……やっぱり聞いたんだな」
渋い声を漏らした百合野トオルに、夜桜カレンは「はい」と頷く。
『カウンセラーの先生から聞きました。……謹慎になったって』
そこまで知っているということは、おそらく東条アキラの処分も聞いているだろう。僕らは思わず口を閉ざしてしまった。
ケンカの発端は、そもそもが東条アキラの発言にある。関係者どころかある種、当事者である夜桜カレンに学校側が話を聞き、それに際し事情を説明しただろうことは想像に難くなかった。
『……ごめんなさい。カレンちゃんのせいですよね』
「そんなことない!」
謝罪を否定する声が、校舎裏に響き渡る。
「アタシが……アタシが許せなくて勝手にやったことだ。カレンは何も悪くない」
苦渋の思いを絞り出すような百合野トオルに、夜桜カレンは苦笑する。
『でもそれはカレンちゃんを思ってくれてのことですよね? だから、ありがとうございます、トオルちゃん』
そこで、ありがとう、と言える。
夜桜カレンは、そういう女の子なのだ。
「……学校、もう、来ないのか?」
恐る恐る尋ねる。そんな百合野トオルに、夜桜カレンは眉をハの字にして笑った。笑って、迷って、しばらくして、困り顔でようやく答える。
『カレンちゃんは怖いのです』
その声は、震えていた。
『噂だから、本当のカレンちゃんは違うから、気にしなければいいと思ってました。でも、そうじゃなかったのです。本当のカレンちゃんがどうでも、みんなはその噂でカレンちゃんを決めるのです。本当のカレンちゃんなんて――みんなにはどうでもいいのです。人がみんなそんな風なのだと思ったら、そんな人たちの中にいるのが、カレンちゃんは――』
怖くて怖くて仕方ないのです、と夜桜カレンは言った。
僕は何も言えなかった。
噂が怖い。人の目が怖い。それは僕には、どうしようもできなかった。
火のないところに煙は立たない。人の口に戸は立てられない。一方で、人の噂も七十五日とも言う。人は一番自分が大事だ。どうでもいい他人への興味など続かない。
時間だけが唯一の薬なのかもしれない。このまま学校に来ないで卒業できるのなら、それが夜桜カレンにとって最も平穏な解決方法なのかも――と。
僕がそう思った時だった。
「じゃ、じゃあさ! 夏祭り! な、夏祭り行こうよ、カレン!」
「え?」
『え?』
あまりに突拍子のない提案に、僕と夜桜カレンは同時に呆けた声を上げた。
『な、夏祭りですか?』
「そ、そう! 夏休みに入ってすぐ、第二サブの神社であるだろ? 家にばかりいても気が滅入るだけだし、気分転換しようよ!」
七月の第四週の日曜日だったか。確かに第二サブシェルターにある神社で、毎年恒例の夏祭りが開催される予定だった。
『それはそう、ですが……で、でも……人が……』
「カレンのこと知ってる人なんてほとんどいないよ。学校の奴らに出会っても、アタシが蹴散らしてやるよ。そうだな……変なこと言うなら、『アンタも東条のクズと同じなんだな』とか言ってさ」
『く、クズ……』
その台詞は半分以上脅迫が入ってないかと思ったが、言わないでおく。咄嗟にその台詞が出てくるのだから、百合野トオルは運動のみならず、頭もかなりいいのかもしれない。
『……トオルちゃんを巻き込みたくはないのです』
「アタシはカレンがいない毎日の方がつまらないし寂しい」
そう言い切れる百合野トオルの真っ直ぐさは、少しだけ羨ましく感じた。
夜桜カレンは明らかに迷っていた。
確かに、衆目の中に出ることは、人目が怖い今の彼女にとって訓練の一つとなるだろう。しかしいくら何でも、いきなり人混みの中――お祭りとは荒療治過ぎやしないだろうか。
そう考えていると、
『き、キミも来ますか?』
「えっ、僕?」
ひっくり返った声が聞こえ、僕は思わず聞き返してしまった。
『い、行くなら……キミも一緒がいいのです。だって、その……』
何故か口澱む。
やがて口を開いた彼女は、画面越しでも分かるほど顔を真っ赤にさせていた。
『キミは、と、友達……ですから』
友達――友達。
その言葉が、脳内に反芻する。
そうか、と思う。
――夜桜カレンにとって僕は、友達なのか。
「いいよ、分かった。僕も行く」
『ほ、本当ですか!? やったーなのです!』
今の彼女からすれば、誰が自分を偏った認識で見ているか分からない以上、僕のような存在でもありがたいのだろう。僕も特に予定はないし、断る理由もない。夜桜カレンがベッドの上で飛び跳ねて喜ぶ。
後ろから意外そうな目で僕を見る百合野トオルがワイプ画面に映っていたが、僕は気にしないことにした。
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