第16話 夏祭り②

 夕焼けはいつしか宵闇に変わり、空には夏の星座が投影される。

 夏祭り会場は案の定、人で溢れていた。


「わぁ~すごい人ですね。こういうのなんて言うんでしたっけ。『人がゴミのようだ』?」

「……ちょっと違うと思う」

「てか、そんなのどこで知ったんだよ」

「んー、古い映画で流行った言葉らしいです」


 ろくでもない言葉だなと思う。

 僕らははぐれないように、団子になって人の流れの中を泳いでいった。百合野トオルが先導して、僕がその後ろに続いて、夜桜カレンが僕の服の裾を掴んで最後尾を歩く。頭上にはLEDライトの入った提灯がずらりと吊るされて、薄暗いはずの境内を昼のように目映く照らしている。カランコロンと、下駄の音が喧騒の中に涼やかに響いた。


「うふふ、両手に花状態ですね、キミ」


 歩きながら、夜桜カレンが笑った。

 そういえばそうだな、と僕は思った。


 左手に桜、右手に百合。春と夏の花が揃っている。それも浴衣を纏っていて、華やかだ。

 僕の右手側、少し前を歩いていた百合野トオルが、呆れたように振り返る。


「両手に花って、あたしは百合ほど綺麗じゃないけどな」

「えー、トオルちゃんは綺麗ですよぉ? カレンちゃんは可愛くて、トオルちゃんは美人さんです」


 おくびもなくそう宣言する夜桜カレンに、僕も百合野トオルも、一瞬口をまごつかせてしまう。ようやくあって「あ、ありがとう」と返した百合野トオルの耳が仄かに赤くなっていたのは、人混みの蒸すような暑さのせいでも、提灯の赤い光のせいでもないだろう。


 辺りには、芳しい食べ物の匂いが充満している。参道の両脇を埋め尽くす無数の屋台では、クッキングヒーターの上で焼きそばやらお好み焼きが作られていた。イカ焼き、唐揚げ。それからカステラやわたあめといった甘い物もある。それらの匂いが空中で混ざり合って、嗅覚が忙しい。


 夜桜カレンは目を輝かせて辺りをきょろきょろ忙しなく見回している。もしかしたら、あまりこういう場所に来たことがないのかもしれない。


「プリンありますかね? プリン!」

「プリンはないだろ。さすがに。スーパー行った方がいい」


 訂正。多分、来たことがない。


「えー、じゃあ何があるんです?」

「……定番はリンゴ飴とか。ご飯ものが食べたければ、たこ焼きとか?」

「たこ焼き! あの関西区に行かなきゃ食べられないっていう!」


 食べましょう食べましょう、と夜桜カレンが僕の左腕に飛びつく。僕はたたらを踏みそうになった。


「……プリン、好きなんだ」


 ぽつりと零すと、夜桜カレンは「はい!」と元気よく返事をした。


「プリンはですねー、甘くてほろ苦、恋の味なのです。ちなみにカレンちゃんは、とろとろクリームよりもちょっと固めゼリーっぽいのが好きです」

「……レトロだね」

「あー! 今、古くさいって思いましたね! もしくは安っぽいとか!」


 頬を膨らませて、夜桜カレンが憤慨する。僕は「嫌いじゃないよ。固めプリン。食べ応えがあって」とそれをいなした。夜桜カレンは、僕から離れなかった。


 騒がしい夜だった。それから僕たちはいくつかの出店を周り、食べ物を買い集めた。子供の頃はごちそうに見えた屋台の品だったが、何故だか今ではどれもこれも値段の割に安っぽく感じた。だが今日の主役は、お宝を前にしたかのようにご満悦そうだった。


「にへへ、食べきれるか心配なのです」


 僕の拳よりも大きそうなリンゴ飴を囓って、夜桜カレンがふにゃりと笑う。随分と小さな一口だった。


「残ったらアタシが食べてやるよ」

「わーい! 頼りになるトオルちゃんなのです!」


 そう言って今度はさっきより大きな口で、リンゴ飴を囓る。荷物持ちの僕を挟んで、弾んだ会話が飛び交った。

 と、短い階段を上がり、社務所が見えてきたところで夜桜カレンが誰かに気付いた。


「あ、アカネちゃーん! カナデちゃーん!」


 僕の腕からするりと手を離した彼女は、ぶんぶんと手を振りながら、社務所の窓口に駆けていく。中には巫女服を纏った一人の少女、そしてその窓口の前には赤い三つ編みの少女が立っていた。


 夜桜カレンに気付き、二人が揃ってこちらを向く。どちらも教室でいつも見かける顔だった。


「……夜桜さん、百合野さん。……と」


〈四季〉の秋――萩原アカネ。巫女服を纏った彼女の榛色の瞳が、僕を捉えて止まる。けれど僕という存在について追求はなかった。彼女は窓口に身を乗せる夜桜カレンに向き直る。名前を呼ばれることがなかったのは、それが出てこなかったからだろう。僕も、自分の存在が彼女に認知されているとは思っていない。


「こんなところで会うなんて奇遇なのです。アカネちゃんはお仕事ですか?」


 窓口に頬杖を突いて、ニコニコと尋ねる夜桜カレン。


「……そう。あたしの家、第二にあるから。親が宮司さんと知り合いで。お正月とか、こういうイベントの時とか、手伝ってる。バイト代、出るし」

「わ~すごいのです! 偉いのです! あっ、そうだ! リンゴ飴食べますか? 美味しいですよ!」

「……いい、仕事中だし。あたし、人の食べかけって好きじゃないし」

「あっ、それは申し訳ないのです。えーっとえーっと、他に何か……」

「いいって。仕事中なんだから」


 祭りの喧騒の片隅に、夜桜カレンの楽しげな声が打ち上がる。


「……珍しい顔ぶれね」


 そう呟いたのは〈四季〉の冬――椿カナデだった。


「カナデは巡回か?」

「そうね。去年に引き続き、先生に頼まれて。こうも人が多いと、カメラのAI分析も意味も成さないから」


 百合野トオルの質問に、さらりと耳に髪を掛けながら応える。「まったく、学外のことは委員長の仕事ではないと思うのだけど」と、溜息一つ零さず彼女はぼやいた。


 そうして四人で話す姿を前に、僕はそっと階段脇の燈籠の影に移動した。四人の姿を遠目に見ながら、手提げ袋からたこ焼きのパックを取り出し、割り箸を割って少し冷めたそれを食べ始める。安っぽいソースの味は、空腹に染みて美味しかった。

 一つ二つと食べる。そうして三つ目を箸で摘まもうとした時だった。


「……あ」


 そんな間の抜けた声が聞こえて、顔を上げる。

 今しがた僕らも通ってきた、参道に続く階段。その一番上。

 そこに、見覚えのある男子が二人、立っていた。


「来て、たんだな」

「……うん」


 いつも制服を着崩している彼が、たどたどしく尋ねる。僕は頷いた。彼の隣ではもう一人の小太りな彼が唐揚げを口に運んでいた。


「意外だな、お前が〈四季〉と一緒なんて」

「……そうかな」


 僕は答えを探すように、一瞬だけ社務所の方を見た。

 クラスメイトなのだからあり得ないこともないと思ったし、一方で確かに珍しいことかもしれないとも思った。女子二人とこうして一緒に出かけるのは、初めての体験だった。


 僕らの間には、沈黙が流れた。何か話すべきな気もしたし、別にこのままでも言い気がした。

 そこへ萩原アカネたちとの話を終えたらしい。夜桜カレンと百合野トオルがやってくる。


「お待たせしたのです~。あっ、たこ焼き! 先に食べるなんてズルいです! カレンちゃんにも……」


 と言って、夜桜カレンの足が止まる。その背後からやって来た百合野通りの目が、険しいものに変わる。僕を向いていたはずの二人の視線は、自然と彼女たちを捉えていた。


「あっ、と……進藤くんと、小林くん……こんばんは、なのです」


 深々とお辞儀をして、夜桜カレンは僕と、僕の隣にスッと並んだ百合野トオルの背に隠れてしまう。怯えた小動物のような目が、視界の端に映った。

 進藤と小林というらしい二人は返事をしなかった。ただじっと僕らを見て、それからぽつりと零した。


「……仲、良いんだな」


 温度のない一言だった。

 僕にはその言葉に、どういう感情が込められているか分からなかった。


「……そんなこともないと思うけど」


 本当に、そんなこともないと思った。

 たまたま夜桜カレンと知り合って、彼女が心を傷める場面に遭遇してしまい、百合野トオルに協力を申し込まれ、特に理由もなかったからそれに応じた。


 ただそれだけだ。

 だから、そんなこともないと思うのだけれど。

 返ってくるのは、沈黙。

 僕はもう一度薄く、口を開いて、


「……ないよ。そんなこと――もっ!?」


 瞬間、左腕をぐいと引いた衝撃に、僕は思わず悲鳴を上げた。


「そうですっ! カレンちゃんたちは仲良しなのです!」


 僕は驚いて咄嗟に左脇を見た。そこに、ムッとした表情で僕の左腕を力の限り抱きかかえる夜桜カレンがいた。


 危うくたこ焼きのパックを落としそうになりながらも、なんとか踏み留まる。あまりにも予想外の行動に、呆然と口を開けて、夜桜カレンを見ることしかできなかった。

 進藤と小林はそんな僕らを見て、ぎこちなく笑った。


「……そうなんだな」

「……うん」


 相変わらず僕は、否定をしなかった。


「……じゃあ」

「うん、また。学校で」


 二人は応えず背を向けて、階段を降りていく。騒いだわけでもないのに、なんだか辺りが静寂に包まれたような気分だった。

 僕の腕を放した夜桜カレンはそんな二人の後ろ姿を見ながら腰に手を当て、胸を張った。


「一昨日来やがれなのです」


 勝ち誇ったように、鼻息荒く言い放つ。それからにししと歯を見せて、いたずらっぽく。その笑みに、僕は思わず目を瞬かせた。

 ――なんだかその笑い方を見るのも、随分と久しぶりのような気がしたのだ。

 それから僕らは、残ったたこ焼きをつつきあった。


「カレン、アタシにも一つ」

「はいなのです。トオルちゃん、あーん」


 あんぐりと開けた百合野トオルの口に、夜桜カレンがたこ焼きを運ぶ。その様子を見て最後の一個に箸を伸ばしながら、そういえばとふと僕は思い出した。


「どっちが進藤くんで、どっちが小林くん?」


 その質問に百合野トオルはたこ焼きをよく噛みもせず丸呑みして、夜桜カレンは割り箸を落としそうになった。


「……まさかですが……」


 白い目が、両脇から僕を見る。


「いつも一緒にいる人たちの名前を、知らなかった……んですか?」


 僕は前を向いたまま言った。


「顔は覚えてたんだけど」


 うわーと、呆れた声が揃って上がる。


「……ま、キミはそういう子ですよね」

「薄情もここまでくるといっそ清々しいな」


 盛大な溜息が境内に響き渡り、そうして祭りの夜は更けていった。

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