第12話 百合野トオルは夏に燃ゆ②
百合野トオルの後を追って、僕は学校から少し離れた商業区域を歩いていた。
「自宅謹慎中じゃなかったっけ?」
揺れるポニーテールを見ながら尋ねる。彼女はパーカーのポケットに手を突っ込んだまま、振り返らずに答えた。
「バレなきゃいいんだよ、バレなきゃ」
「でも謹慎中はGPSのログを取られるんじゃ……?」
「家に置いてきた」
あっけらかんと言って、彼女は追い詰められた犯人のように両手を挙げてみせる。その手首に巻かれているはずのリストデバイスは、影も形もない。僕は自身の左手首に装着された端末を見た。
一見ただのリストバンドにしか見えないこのウェアラブル端末は、電話やメッセージ機能搭載しているのはもちろんのこと、身分証明書や電子決済端末としての役割も兼ねている。ほぼ全ての国民が装着しており、バイタルのモニタリングやチェックまで行ってくれる生活必需品だ。だが一方で罪を犯した場合や有事の際には、その各種データは公的に利用することが法的に可能となっている。
GPS情報もその一つだ。百合野トオルのその情報は現在、ちゃんと謹慎しているか法律に則りシステムにチェックされている――はずなのだが、まさか自宅に置いてくるなんていう、あまりにも原始的で簡単な抜け道があったとは。意外とずる賢いというか、なんというか。
そう感心する傍らで僕は、あれ、と気付く。
ということは、彼女はどうやって学校まで来たのだろう。
「アタシの家、一応セントラルにあるから」
その疑問を見越したかのように、彼女は先んじて答える。
なるほどと僕は納得した。
中核都市を中心に、日本各地に建設された新たな街『シティ』は、中枢となる最大直径五㎞の巨大なメインシェルター・通称『セントラル』とその周囲に建設された小型のサブシェルターから構成される。メインには行政機能や商業施設が集約され、サブは主に居住区としての役割を持つ。学校があるのもセントラルで、多くの生徒がサブからリニア鉄道で通学していた。僕もその一人だ。通学の場合、運賃は国から支給されているためタダ乗りができるが、代わりに身分証明が必要となる。
僕の疑問はそこから生じたものだった。だがセントラルに住んでいるとなれば話は別だ。
――ということは、彼女はそれなりに裕福な家庭なのだろ。セントラルは地価も賃料も桁違いだ。
そんなことを思いながら商業区域を抜け、マンションの建ち並ぶ住宅街へ足を踏み入れる。やがて見えてきた小さな公園に、彼女は入っていった。
「そこのベンチ、座って」
彼女に促され、僕は二人がけの金属製のベンチに腰を下ろした。彼女は隣には座らず、少し離れたところに並んで置かれていた、もう一つのベンチに座った。
「時間、大丈夫だったか? 連れてきといて、あれだけど」
たどたどしく彼女は言った。僕は「大丈夫だよ」と答えた。
「別に用事とかないから」
「そうか」
「うん」
僕らの間には、しばしの沈黙が流れた。天井の空はいつの間にか夕焼け模様に変わっていて、赤い光が僕らの上には降り注いでいた。公園には就学前とみられる数組の親子連れがいて、砂場や遊具で遊んでいる。時折、小さな子供特有の甲高い歓声が上がった。
「アイツ、どうなった?」
ぽつりと彼女は口を開いた。
「あいつ?」
「東条」
あぁと僕は思い出したように返事をした。
「厳重注意と反省文の提出だって」
僕は東条アキラの処遇について、端的に話した。
百合野トオルとのケンカで、彼は一切手を出していない。しかし生徒への聞き込みや、監視カメラに残っていた音声から、そもそもの原因が、公衆の場における彼の夜桜カレンへの侮蔑的発言にあるということが明らかになり、そのような行為を学校側としては放置できるはずもなく、処分を下すに至ったらしい。
これも人伝に聞いた話だった。――と言っても、こちらは東条アキラ本人が周囲に愚痴をこぼしていたらしいので、確度の高い話だが。
「これで夜桜さんのことを悪く言う人も少しは減るんじゃないかな」
少なくとも、東条アキラが処分を受けたことで、公には言いづらくなっただろう。
「……そうか」
そう呟いた彼女の横顔に、怒りはなかった。ベンチの背に体重を預けて真正面を見ている。
「確認なんだけど、噂、流したの。アンタじゃないんだよな?」
一瞬何のことか分からず、僕は仄かに目を丸くした。その様子を見て、彼女は付け足す。
「カレンがあのクソ男にフラれたって」
そこまで言われて理解する。どうやら、玉砕の噂の出所が僕じゃないかと疑ったらしい。
「流してないよ。それで信じてもらえるかも分からないけど」
彼女がそう考えるのも当然だった。僕は当事者として、夜桜カレンが不登校になる前日、彼女と共にいて全てを見聞きしていたのだ。どこから煙が立ったかと考えた時、真っ先に浮かぶのは火元だ。
その意図が伝わったのかは分からない。けれど彼女はチラリと横目で僕を見て、
「まぁそうだよな」
と零した。
「アンタ、教室で友達といてもあんまり喋んないし」
そう言われて、僕はどう返していいか分からなくなる。唯一分かったのは、百合野トオルは案外と周りを見ているということだった。
それからまたしばらく、僕らは無言になった。ただただ少しずつ暗くなっていく人工の太陽光だけが、時が止まっていないことを証明していた。
「薄情者」
そうしてようやく吐き出された百合野トオルの声は、まるで血反吐を吐くかのようで、あまりにも唐突なその言葉の意味を僕は一瞬、理解し損ねた。
「……僕が?」
「アンタ以外に誰がいるんだよ」
ベンチから背を離して、前のめりに僕を睨み付ける。その青い瞳は、冴え冴えとした光を放っていた。
「仲良くしてたんだろ、カレンと。なのに、なんで何もしないんだ」
それは呪詛にも似ていた。
「なんであの時、逃げなかったんだ。なんで東条のクソ話を、ただ聞いてたんだ。逃げてくれても、良かったじゃないか。カレンを連れて。それぐらいできただろう」
恨み辛みだった。
「あんたが、傷心のカレンになんて言ったか分からない。でもアンタは、カレンが学校に来なくなっても、平然としてる。何もしない。アンタは、何とも思ってない」
徐々に俯いていく彼女から発せられる言葉は怒りに震えていて、今にも泣き出しそうにも感じられた。
「薄情者」
もう一度、彼女は言った。子供たちに帰る時間だと報せる夕鐘の音が響き、長い長い余韻が、夏らしくない空気の中に消える。
僕は言った。
「……だって僕は彼女の何でもないじゃないか」
意外にも、平坦な声だった。
百合野トオルが弾かれたように顔を上げる。驚きに満ちた表情が、そこにはあった。それが、徐々にくしゃりと歪んでいく。
「アンタ……アンタって奴は……!」
立ち上がる。握られた拳が、彼女の激情を表わしていた。
僕は、ただのクラスメイトだ。
夜桜カレンの家族でもなければ、彼氏でもない。彼女に恋慕しているわけでもないけれど、敵愾心を持っているわけでもない。僕らの付き合いは偶発的で断片的で、その間柄を友人と称するのもなんだか違う気がした。
僕は彼女を、好きでもなければ嫌いでもない。
僕は、ただのクラスメイトでしかない。
百合野トオルは僕から少し離れたところに仁王立ちして、憤怒と哀愁の交じった視線を向けていた。
「逆に聞きたいけど」
気付けばそんな言葉が、僕の口を突いて出た。
「どうしてそんなに怒っているんだ? いくら君と夜桜さんの仲が良くても、所詮他人だろ」
そう、僕はただの『他人』なのだ。
「アンタは……!」
百合野トオルが一歩を踏み出す。けれど彼女を動かした衝動が、僕を殴ることはなかった。
彼女は握った拳を解いて、だらりと身体の脇に両腕を垂らした。それでも僕を見る瞳は揺るがない。
彼女は真っ直ぐに僕を見つめて、呻くように言った。
その時の顔を、僕は覚えていない。直視することが出来なかったからだ。
「他人のために怒ることの何が悪いんだ」
その一言は、美しくない夕焼けに染められた公園に虚しく響いた。
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