第5話 恋するカレン①
その日もまた、夜桜カレンは告白されていた。一週間ぶり、僕が出くわすのは三回目だった。
「キミは本当にタイミングがいいですね」
両手にゴミ袋を握った僕の傍を通り過ぎて、玉砕した男子生徒が去って行く。その背が体育館の影に完全に消えてから、夜桜カレンは呆れたよう嘆息を一つ、小さく零した。
「タイミングが悪いの間違いだと思うよ」
「先々週もゴミ当番ではなかったですか?」
「先々週のは本当の当番。あとゴミ当番じゃなくて、正しくは週番。今日は、当番の人に変わってくれないかって頼まれたんだ」
現在の学校教育の現場では、校内の日常的な清掃は基本的に清掃ドローンが自動巡回して行っている。古くは生徒の役割だったという清掃活動は、今や初等学校で教育活動の一環として実施される程度だ。人の手が必要とされるのはゴミ箱のゴミ回収ぐらい。それも基本的には清掃員が行っているが、教室という生徒が支配する空間に関しては、週番が担当することになっている。
「当番の人は何か用事があったのです?」
太ももの裏からスカートを抑えながら、彼女は体育館脇の階段に腰を下ろす。スカートが汚れそうだと僕は思ったが、彼女は気にした様子もなかった。
僕は「さぁ」と答えた。
「聞いてないから分からない。でも他の子と一緒に出て行ったから、どこか遊びにでも行くんじゃないかな」
淡々とそんな憶測を述べると、彼女は何故だか顔をムッとさせた。膝の上に両腕で頬杖を突き、僕を見上げる。
「それは俗に言うパシリというやつではないのですか?」
「それは弱者が強者に命令されて行う行為でしょ? この場合は違うんじゃないかな。頼まれごとだし」
「じゃあ、『いいように使われてる』と言うことにします」
僕は反論しなかった。そうかもしれないと、他人事のように思った。
胡乱げな目が、立ったままの僕を見上げていた。
「なぜ断らないのですか?」
「……どうしてだろうね。断る理由がないからじゃないかな」
僕は部活をしているわけでもなければ、帰り道に遊びに行くような相手がいるわけでもない。でも授業の終わった学校にいる理由もないから、早々に帰る。けれど家に帰っても特段すべきこともなければ、したいこともない。だから放課後の掃除を引き受けても、問題はない。
「それに、否定するのもめんどくさい」
僕はゴミ袋を持ち直した。一週間分の燃えるゴミは、それなりに重さがあった。そろそろ腕が疲れてきた。
断るのは苦手だった。相手の言葉を否定するのも、めんどくさい。
拒絶の意を示せば、そこに対立が生まれる。
なぜ。なんで。どうして。そう尋ねる人もいる。
そこを何とか。頼むから。そう食い下がる人もいる。
解消するためには、理由を告げ、意見を述べ、戦わなくてはならない。
それがどうしようもなく、面倒に思えた。
「……やっぱりキミはいいように使われているだけです。面倒事を押しつけられているだけなのです」
夜桜カレンは、怒ったように呟いた。
「それでも構わないよ。下手に断るよりもずっと楽だ」
人と対立すること。あるいは、己の無為な時間と体力を消費すること。どちらかを選べと言われたら、僕は必ず後者を取るだろう。
僕は、そういう人間だった。
そこで「あ」と気付く。
――ただ一つ、気に掛けることがあるとすれば。
「何度も何度も、君が告白される場面を見てしまって悪いとは思うけど」
不思議な話だった。どうして僕ばかりがこうも、気まずい告白シーンに出くわしてしまうのか。
暗にそれを口にすると、彼女は「あのですねぇ……」と呆れた声を漏らした。見れば彼女はその可愛らしい面立ちに似合わぬ仏頂面で、僕を見ていた。
「大概の人は、こんな体育館裏に人がいたら何かあると察して、別の道からゴミ置き場に行くのですよ」
そう言われて、僕は思わず目を丸くした。
本当かとその目で尋ねれば、彼女は大きく頷いた。
「告白シーンだと悟って、なおも退かない無頓着者はキミぐらいなのです。しかもぼっ立ちでそれを眺めるなんて、鋼の心臓だとカレンちゃんですら思います」
彼女にそう言われるのは、なんだか変な気分だった。まるであべこべな道理を突きつけられた感じだった。
でも確かに、そうかもしれない。
ゴミ置き場へは、この体育館裏を通るのが一番近くて、分かりやすい道だ。けれどこうして彼女と長々話していても、ゴミ置き場に向かう人は誰も来ないし、逆にゴミ置き場から戻ってくる人もいない。それは彼女の言った通り、ゴミ置き場へ行き来する人がこの場所を避けているからなのだろう。
納得する一方で、意外だとも思う。それは僕が、彼女からそんな正論が飛んでくるとは思ってなかったからかもしれない。
「……無頓着者って言われたのは、初めてだ」
「カレンちゃんも、君ほどデリカシーのない男の子に出会ったのは初めてなのです」
そうは言うけれど、彼女は覗き魔に対して怒りを抱いているようには見えなかった。
だから僕は尋ねた。
「告白、見られて君は気にするの?」
「いいえ」
平坦な否定が、即座に返ってきた。
「だって隠したところで知られる時は知られますから。正しく伝わるとも限りませんが」
彼女はけろりとしていた。幾度となく告白を受けてきた彼女らしい答えだと思った。諦念というよりは、達観に近いものを感じた。
「それに」
と彼女が笑う。ふわりと柔らかく、温かく。
「キミは誰かが隠したいことを、無闇に言いふらしたりする人ではないでしょう?」
それは、信頼に満ちた眼差しだった。
言う相手がいないだけだよ、とは返さないでおいた。
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