第3話 始まりの春②

 夜桜カレン。それが彼女の名前だった。


 一クラス約三十人、一学年三クラス。全校生徒約二百七十人のこの公立高校で、その名を知らぬ者はいない。名は体を表わす、なんて古い人はよく言ったもので、その名の通り可憐な学校一の美少女だ。彼女の入学以降、彼女へ告白する人は先輩後輩、後を絶たず。その数は入学から二年で、優に三桁は越えるという。


 すごいことだなぁ、と僕は思う。


 告白するということは、彼女を好いているということだ。真偽のほどは不明だが、彼女が多くの人に好かれているのは、紛いもない事実と考えられる。それだけの数の人に好かれるというのは、稀有ですごいことだ。


 ただ、僕にとってはそれ以上でもそれ以下でもない。すごいと思うが、ただそれだけだ。

 同じ三年A組のクラスメイト。ちょっと変わった女の子。〈四季〉の一人。それが僕の認識だ。


 僕とは同じ世界に住む別世界の住人あることに、変わりはなかった。

 ――変わりはなかったけれど、巡り合わせというものはあるものだ。


「夜桜が好きなんだ。彼女になってくれ!」


 その日、体育館裏の用具倉庫に備品を取りに来た僕は、またしてもそんな告白シーンに出くわしてしまった。


 告白を受けているのはもちろん、夜桜カレンだ。告白をしているのは、同じクラスの男子生徒。背が高く、体つきが良い。運動部に所属しているのだろうか。見覚えのある顔ではあったが、名前は浮かばなかった。期待と不安が入り交じった顔で、彼は夜桜カレンを見つめていた。


 二人とも同じ、学校指定のジャージを着ていた。僕も着ている。僕らは体育の授業中だった。僕は先生に言いつけられて備品を取りに来たが、二人は人目を忍んで抜け出してきたのだろう。いつもは施錠されている用具倉庫の扉が開いていることに気付いてなければ、その中に僕という存在にも気付いた様子もない。


「ごめんなさい」


 体育館裏というのは、告白場所の鉄板なのだろうか。なんとなく息を潜めてしまった僕は、いつかと全く同じ断り文句を聞きながら、そんなことを思う。


 近代建築家が設計したという僕らの学校は、内部こそ教育機関側の要望を受けて平凡な造りをしているが、その見た目は無駄にギラギラとした存在感を放っている。体育館も例外ではなく、流線型のデザインはまるで何か巨大生物の巣を思わせた。しかしその人工美に対して、体育館裏には用具倉庫がある以外は、枝葉の先が枯れた古い樹が数本と幾ばくかの雑草が乾いた地面に生えているばかりの、廃れた光景が広がっている。すぐ傍のフェンスの向こう広がっているのは、隣接する公立小学校の体育館裏だ。お世辞にも、決してロマンチックな場所とは言えない。


 しかし昔の小説や漫画、幾千の物語において、体育館裏で告白というのはよくある話だった。一方でもっと古くは、不良の溜まり場や決闘場所として描かれることもある。それを考えると校舎裏という場所は、人目に晒したくないことを実行するのにはうってつけな、秘密の詰まった場所なのかもしれない。


 そんなことを考えていると、男子生徒の少し苛立った声が僕の意識を現実に引き戻した。


「どうしてダメなんだ! 俺のこと、嫌いじゃないだろ」

「嫌いではないです」

「だったら――」

「でも、好きでもありません」


 食い下がる男子生徒の声を遮って、夜桜カレンが言った。どこかで聞いたことのあるような言い方だった。

 キッパリと言い放った夜桜カレンを前に、男子生徒は硬直していた。


「なので、カレンちゃんはキミの彼女にはなれません」

「す、好きじゃないって……で、でもほら……、付き合ってみるうちに互いを知って、好きになることだってあるだろ? それじゃダメなのか?」


 戦慄く唇から必死に説得を紡ぎ出し、男子生徒が食い下がる。よほど、夜桜カレンが好きなのだろう。


「あるかもしれません。でもそれは、お友達やクラスメイトとして接して知っていくのではダメなのですか?」

「そ、それは……」

「好きではなかったら、付き合わないのはおかしなことですか?」


 夜桜カレンが放つ怒濤の質問に、男子生徒は口籠もってしまう。大きな背が、大きさ以上に小さく見えた。そんな彼に向かって、夜桜カレンは告げた。


「それにカレンちゃんは、キミのことを好きになれません」


 嫌な予感がした。その予感は当たった。


「だって、好きの反対は無関心らしいので。カレンちゃんは、キミのことを好きでもなければ嫌いでもないのです。ということは、カレンちゃんはキミに興味がないということになります」


 興味がなければ、知りようがない。知らなければ、好きになりようもない。

 そういうことだった。


 男子生徒が自ずと、身体の両側で拳を握る。その拳が、全身がわなわなと震えだし、マグマにも似た感情が噴出するのに時間はかからなかった。


「黙って聞いてりゃ好き勝手言いやがって……お高くとまってんじゃねぇよ! このクソ女が!」


 天を貫くような怒声と共に、男子生徒が岩のような拳を振りかぶった。夜桜カレンは驚きも恐怖もなく、ただきょとんと目を丸くして、眼前に迫り来るその拳を見ている。


 殴られる――だが、拳が柔い肉と頬を打つことはなかった。ガタンと物音が響く。男子生徒はピタリと動きを止める。

 それは僕が予想外の大声に驚いて、傍にあった備品を蹴ってしまった音だった。


 壁に立てかけてあったハードル走のハードルが、ガラガラと派手な音を立てて倒れていく。慌てて止めようとするが、絶妙なバランスで静止を保っていた数十本のハードルは、自身の重みであっという間に床に広がっていった。その様子は以前に映画の中で見た、『雪崩』という現象を彷彿とさせた。


 土埃と共に静寂が倉庫内に満ちて、僕はそろりと外を窺う。拳を振り上げたままの男子生徒と夜桜カレンが、驚愕の目でこちらを見ていた。


 顔を出した僕を見て、男子生徒がハッとしたように拳を抑える。怯えた様子で周囲を伺っているのは、人目を気にしてのことではない。監視カメラの存在を思い出したのだろう。


 学校が社会から隔離された空間であるというのは、既に昔の概念だ。今の時代、犯罪抑止や治安維持を目的として、街の至る所に監視カメラが設置され、AIによる犯罪行為の自動判別が常時行われている。それはもちろん教育現場も例外ではない。トイレや更衣室などプライベートな空間を除き、教室や廊下、あらゆるところに取り付けられたAIの目が、生徒や教職員を見ている。イジメ行為を始め、教師による理不尽な指導や体罰も今は自動で摘発され、アウト判定されればすぐさま連絡を受けた学校関係者や警察官がやってくる仕組みだ。


 しかし周囲は授業中の静けさを保ったまま、誰かが駆けつける気配はなかった。ということは、彼の行為は『機械的に』許された――ギリギリ犯罪とは見なされなかったということだろう。


 男子生徒は夜桜カレンを一瞥すると、恐る恐る後退り。それから僕を一睨みし、逃げるように体育館裏を去って行った。

 後には夜桜カレンと僕と、静寂が残った。


 僕は倉庫内に戻り、倒れたハードルに手を伸ばした。重なったハードルを再び壁に立てかけるには、一つ一つ起こしていく必要があり、なかなかに面倒だった。

 そこへ夜桜カレンがやってくる。彼女は何も言わず、ハードルを元に戻すのを手伝い始めた。


「ありがとう」


 お礼を言うと、夜桜カレンは首を傾げた。


「どうしてですか? だってキミは、カレンちゃんが殴られそうになったから、驚いてハードルを倒しちゃったんですよね? カレンちゃんが殴られそうになったのはカレンちゃんのせいだから、キミがハードルを倒したのもカレンちゃんのせいだと思うのです」


 そう考えるのがさも当然のように彼女は述べる。彼女の理屈はなんとなく分かる気もしたし、なんだか違う気もした。

 だから僕は「そうかな」と口を開いた。


「僕が驚かなかったらハードルを倒すことはなかったから、驚いたのは僕の責任で、だから君が手伝う必要性はないんじゃないかと思う。だから僕は、手伝ってくれる君に感謝すべきだと思う」


 それに、と僕は言う。


「君が殴られそうになったのは、アンガーマネジメントが出来なくて暴力という安易な手段に出ようとしたさっきの彼のせいだ。だから、君には何の責任にもない」


 反論のつもりはなかった。彼女も反論だとは思わなかったらしい。

 ただ一瞬きょとんと呆けた顔をして、それから歯を見せてニシシと笑った。


「キミは面白い子ですね」


 それは美少女に似つかわしくない、いたずら少年みたいな笑みだった。

 そんなことを言われたのは、初めてだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る