第2話 始まりの春①

「好きです! 付き合って下さい!」


 高校三年生の四月だった。放課後の体育館裏に響いた一世一代の告白に、通りすがりの僕は思わず足を止めた。


 半ば反射的に声の方を向けば、ブレザー姿の男子生徒がカーディガンを羽織った女子生徒に頭を下げ、右手を差し出している。どうやら返事がイエスならその手を取って欲しいということらしい。なんとも奥ゆかしいというか、古風な告白風景だった。


 しかし、男子生徒の手が取られることはなかった。


「ごめんなさい」


 女子生徒が両手を揃えて、丁寧に頭を下げる。腰まである艶やかな黒髪が、さらりと揺れた。

 大きくないが真摯なその声は、少し離れたところに立っている僕のところまで届いた。鈴を鳴らしたような、可憐な声だった。


 男子生徒はそんな彼女を見下ろして、何か言葉を返そうとした。けれど、少女がじっと頭を下げ続けていたからだろう。やがて「ありがとうございました」と小さく一礼して、踵を返した。振り返ってすぐ僕の存在に気付いた男子生徒がぎょっと目を剥いて、しかし居たたまれなかったのか足早に通り過ぎていく。そんな男子生徒の背をなんとなく見送って、視線を戻す。


 そこで、目が合った。


 黒目がちな大きな目だった。女子生徒はカーディガンの袖に半分隠れた手を後ろに組み、覗き込むように身をかがめてにんまりと笑う。首元に飾られたチェック柄のスクールリボンと、それと同じ柄のプリーツスカートが微かに揺れた。


「覗き見ですか? それともキミもカレンちゃんに告白です?」


 それは彼女がいつも見せているにこにこ顔とは随分と違う、いたずらっぽさに満ちた笑みだった。

 どっちでもないよ、と僕は言って、両手を塞いでいるビニール袋を持ち直した。


「僕は今週の当番なんだ。ゴミを捨てに来ただけ」


 右手に一つ。左手に二つ。右手の袋にはパンパンに燃えるゴミが詰まっていて、左手の二つはそれぞれペットボトルが袋半分ぐらいと、空き缶と空き瓶が少しずつ入っている。空き缶の半分ぐらいは、身体に悪そうなエナジードリンクの缶だった。週番である僕はこれらを、体育館裏を抜けた先にあるゴミ置き場へ持って行かなくてはならない。


 自身を『カレンちゃん』と呼んだ少女は僕の回答に目を丸くすると、足取り軽く近づいて、じっと僕の顔を覗き込んだ。


「キミはカレンちゃんが好きじゃないです?」


 すごい台詞だなと僕は思った。まるで誰も彼もが彼女のことを好いているのが当然と言わんばかりの言い方だった。

 しばらくしてから、僕は答えた。


「好きではない。でも、嫌いでもない」


 その答えに彼女はパチパチと瞳を瞬かせて、それからぴょんと一歩で僕から遠ざかった。頭のてっぺんから爪先まで、黒曜石のような瞳がじろじろと無遠慮に僕を観察する。

 やがて彼女は笑みを浮かべた。


「そっかぁ」


 どこか弾んだ声でそう言って、鉄臭さを帯びたぬるいそよ風に髪を靡かせながら。


「そうなんですね」


 今はもう消えてしまったその花の名のように、笑う。

 それが僕と〈春〉を冠する彼女の、最初の会話だった。

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