第4章③

 緊急会議という名目で強制招集されたわりには、その結論はなんとも心もとない、まったく根本的な解決になっていないものになってしまった。

 いいんだろうか。いやぜんぜんちっともよくない気がものすごくするのだけれど、マスター・ディアマンの決定は絶対である。いくら付き合いの長い幼馴染であるとはいえ、一女幹部、ただの派遣社員ごときに彼の真意が解るはずもない。

 ああ言ってはいたけれど、しろくんなりにそれなりに対応は考えている、のだろう。そうであってほしいと思うのは私のわがままだろうか。とりあえずレディ・エスメラルダのR18指定海賊版グッズだけはなんとかしてほしいな‼

 そんな希望的観測を抱きつつ、えっちらおっちらと弊社ビルの近くに居を構える自宅へとようやく辿り着く。

 よく言えばレトロな、悪く言えばボロい二階建てアパートは、大通りから離れた街灯の少ない裏道に、ひっそりと居を構えている。

 幸運にも二階の角部屋を、大家さんのご厚意で破格の家賃で契約できた私は、るんたったと軽い足取りで階段を駆け上る。今までだったら疲れ果てて帰宅するばかりで、この階段がトドメのように私のHPをガリガリ削ってくれていたけれど、今の私は違う。帰宅する私は無敵なのだ。

 深夜まで営業しているドラッグストアで買い込んだあれそれを詰め込んだエコバックを片手に、鍵を開け、そーっとドアを開ける。その途端、とたたたたっとこちらに駆け寄ってくる愛らしい足音が二つ聞こえてきた。

 もうこの時点で笑顔になるのを押さえられない。我ながらどうかと思うくらいに笑み崩れつつ、ささっと扉の中に身体を滑り込ませて、後ろ手で鍵を閉める。

 それからようやく、ぽいっと持っていたかばんとエコバックを放って、足元にすり寄ってきていた二匹を一度に抱き上げた。

 

「みたらし、しらたま、ただいま〰〰! みどり子さんが帰ってきましたよ〰〰!」


 どちらも片手で十分抱き上げられてしまうくらいに小さくてやわらかい、ふかふかでもふもふなかたまりを、そっと顔の高さまで持ち上げて、それぞれにちゅっと唇を寄せる。

 鼻をくすぐる甘い匂いがあまりにも気持ちよくて、ついついまとめて二匹の腹に顔をそのままうずめてしまう。

 どうしてこんなにもおいしそうな匂いがするのか、不思議で仕方ない。くすぐったそうに身をよじる二匹は、嫌がるそぶりも見せずに私の頬をそれぞれ舐めようとしてきたけれど、だめだめ、私の顔は今ファンデーションまみれなのだ。メイクを落としてからね、と、二匹のピンクの鼻先をツンとつついて、改めて両腕に抱き直す。

 ふなぁん、ごろごろごろ、と私の腕の中で喉を鳴らしているのは、最近迎え入れたばかりの私の家族――みたらしと名付けたオスの三毛猫と、しらたまと名付けた青と黄色のオッドアイを持つメスの白猫である。

 つい先日、弊社ビルの近くの公園で出会った朱堂深赤というイケメンから託されたのが、この二匹だ。動物病院に連れて行ったところ、生後六週間頃と見ていいだろう、とのお言葉を頂戴した。

 あの日から私の人生は薔薇色である。みたらしとしらたまがこの部屋で待っていてくれるのだと思うだけで、どれだけ精神的にきっついレディ・エスメラルダ業だって乗り越えられるし、山積みの始末書だって定時までに書き上げることができる。

 独身女が猫を飼い始めたら終わりだとかなんとか言う方々もいらっしゃるが、私からしてみれば「どうぞお好きにのたまいやがってくださいませ」というやつである。

 みたらしもしらたまもかわいい。かわいいにかわいいが重なってかわいいが大渋滞を起こし最終的にかわいいのゲシュタルト崩壊が起きそうなくらいにかわいい。

 その証拠に、私がカオジュラから支給されている連絡用のスマホのアルバムは、今やすべてみたらしとしらたまの写真で埋まった。どれもこれもがベストショット。

 たとえ残像しか映っていない写真であったとしても、「おてんばさん達だなぁ」とにこにこにっこりしてしまう。あまりにもかわいくてかわいすぎて、ついつい自慢したくなってしまい、今まで受信しかしていなかった、しろくんをはじめとしたカオジュラ幹部陣のグループ連絡網に、『今日のみたらし&しらたま』というタイトルを付けて写真爆撃を送り付けるほどになってしまった。

 仕事用の連絡網を私用に使うんじゃないと叱られるかも、と後から思ったけれど、しろくんは何も言わないし、橙也くんは遠回しながらも「もっと送って」と言ってくれているから問題ないはずだ。

 うん? 藤さんはって? あの人は最初に写真を見せた時に「どっちも高く売れそうでござんすね」ととんでもない暴言を言ってくれやがったので駄目だ。どこまでもとことん駄目だ。最初から引っ込んでいるか、もしくはせめておととい来てくれやがってください。

 腕の中でごろごろと喉を鳴らす愛らしい家族をいったん床に下ろすと、「もっとだっこ!」「だっこして!」とばかりに、みたらしもしらたまも、爪を立てて私の足をよじ登ってこようとする。毎度のことながらがっつり爪を立てられ、結構痛くてつらいのだけれど、それよりもまず笑ってしまう。

 

「ごめんね、二人とも。こらこら爪立てないの。ストッキングやぶれちゃうでしょ? まずはご飯にしようね」

 

 先ほど放り出したエコバックから、子猫用のペットフードを取り出すと、そのパッケージを既にばっちり記憶しているらしい二匹はぱっと私の足から飛び降りて、にゃあにゃあと大きく声を張り上げ始めた。ようやく空腹を思い出したらしい。

 はいはい、と笑いながらその小さな頭をそれぞれ撫でて、朝には山盛りだったけれど今はもう予想通り既に空になっている二枚の皿をきちんと洗って拭き、そこにペットフードを適量入れる。

 

「はい、どうぞ。こらこらみたらし、がっつかないの。しらたまは、好き嫌いはダメ……あ、これは当たりだった?」

 

 みたらしは基本的にどんなご飯も大好きで一気に食べてしまうけれど、しらたまはわりと選り好みが激しいタイプで、気に入らないご飯はすぐ残してしまう。これからまだまだ大きくなる、今こそが成長期なのだから、ちゃんと食べてほしいんだけどな。

 そのくせ性格はみたらしの方が繊細で、しらたまはわりと図太いらしい、というのがもう普段の行動から見て取れる。

 みたらしは、休日になると、私の膝の上で幸せそうにひなたぼっこをしてくれるけれど、私がお茶を取りに立とうとするとそれだけで「ぼく、じゃまだった……?」とそれはそれは傷付いた顔をする。だから「そんなことはございません‼」と私は全身全霊で彼のケアにいそしむことになるし、そんな私とみたらしのやりとりを「あなたたちよくやるわね」とばかりにしらたまをあくびをしながら見つめてきて、そんな彼女も私が改めて窓際に座ってみたらしを膝に乗せると、ちゃんと肩に飛び乗ってくる。どちらもあまりにもかわいすぎることがお解りいただけただろうか。

 いつだってそれぞれがそれぞれの最強のかわいらしさをいかんなく発揮する、今ははぐはぐとご飯を食べ進めるしらたまとみたらしの背中を、ご飯の邪魔をしないようにそっと撫でてから、その小さな丸い背中を見下ろす。

 うーん、つくづく不思議なものだ。まさか私が猫を、しかも二匹も、こうやって家族として迎えることになるなんて思いもしなかった。

 私に新しく家族ができるんだよ、なんて、きっと学生時代の私が聞いても信じなかったに違いない。「だまされてんじゃないの?」とか言いそう。我ながらすごい言いそう。

 思い返せば学生時代、まあまあなかなかに刺激的な毎日だった。盗んだバイクで走り出す、触る者みな傷付ける、ギザギザハートを掲げて生きる日々だった。

 ちなみにこれは婉曲的な表現であるとご理解いただきたい。とりあえず、しろくんがいなかったら、私は今こうして普通の生活なんて送ることはできていなかっただろう。

 

「……って、今が『普通』ってわけでもないよね、よく考えなくても…………」

 

 自分で言っておきながら、改めて考えるに、これは大変凹まざるを得ない現実である。

 あんなアホなセクシー衣装を制服にして、「おーほほほ」と高笑いしながら鞭をしならせ善良なる一般ピーポーを混乱のるつぼに叩き落すのが普通の生活を送りたい会社員のすることだというのならば世も末どころではない。どんな世紀末だ。ノストラダムスだってびっくりである。

 学生時代の私が今の私を見たら、「やっぱりだまされてんじゃん‼‼‼‼‼」と絶叫することだろう。かわいそうに。

 ついつい遠い目になりつつ、それにしても、と思い直す。

 カオジュラのパチモン、マスター・ディアマン達の言葉を借りればイミテーションズ、だっけ? あれ、本当に放置したままでいいのかな?

 ジャスオダに任せると言っても、ジャスオダだけじゃどうにもならないからこそ、“上”からウチにお達しがくだったんだろうに、しろくんはどっからどう見ても乗り気じゃない。あの優雅な美貌にでかでかと「ご勝手にどうぞ」と書いてあったぞ。

 昔からしろくんはそうだ。大体のことを完璧にこなすことができて、彼が望む大体のことは許され、叶えられてきたのが私の知るしろくんである。

 それはしろくんがただ単に天から二物も三物も与えられた、非常に恵まれた境遇にあるから……というのは、まあ確かにそうなんだろう。でも、あまり周りの人達は想像していないみたいだけど、だからこそしろくんは、彼が何を考え、何を思い、何をどう行動するかが、結果的に何を招くのかを、いつだって計算しなくてはならないのだ。

 小さい頃からずっと、ずぅっとそうだった。その弊害として、気付けばしろくんにとって大切なものは、年を経るごとにどんどんどんどん少なくなっていって、それにともなって周囲への興味もどんどんどんどん薄れていった。

 今回のイミテーションズの件がいい例だ。イミテーションズは、しろくんにとっては文字通り、どうでもいい、存在でしかないに違いない。カオジュラの名前をかたられて何をされようとも、カオスエナジーを集めるという目的さえ達成できれば、しろくんにとってはそれでいいのだ。

 その『それでいい』すら、いずれ『どうでもいい』と切り捨てて、“上”からのアレソレを一刀両断に切り捨てることになったって、それは決してありえない未来ではない。

 しろくんはすごくて偉くて強い人だ。たまに意地悪で怖いけれど、私にはちゃんと優しくて、それからきっと、とてもさびしい人だ。

 だからあの時、しろくんは私に手を差し伸べてくれたのだろう。あれから何年経っても私は、情けないことにしろくんのその手を離すことができなくて、彼の優しさに甘え、彼のさびしさを利用している。


「私、これじゃ本当に悪女みたいだよねぇ」


 目指せ傾国の美姫ってか。そんな馬鹿な。

 思わず溜息を吐き出すと、気付けばご飯を食べ終えていたみたらしとしらたまが、我先にとまた私の身体をよじ登り始めていた。だからストッキングやぶれちゃうって言ってるのに。

 さて、夕飯はどうしようかな。緊急会議でミートパイ食べたし、そんなにお腹すいてないから別にいっか。だったらさっさとメイクを落としてお風呂だお風呂。

 なぁんなぁんと口々に鳴き声を上げるみたらしとしらたまを片腕でひとまとめにひょいと抱き上げて、私は洗面所へと向かう。

 もちろんお風呂に入れるつもりはないのだが、私が家にいる時はなんだかんだで一緒にいたがるみたらしとしらたまは、お風呂場のガラス戸の向こうでいい子に待っていてくれるのだ。

 ふふふふ、うらやましかろう。もちろん自慢である――――とは、余談ではなく、まごうことなき本題である。私のみたらしとしらたまは宇宙一だ。

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