第四話 理解②
「まったく、行儀良く支部にいただけだってのに、なんで俺が……」
半ば強引な形で新人研修を押し付けられ、支部長への愚痴を呟くアダムと一緒に、僕は仕事の一つ、パトロールに出かけていた。アダムは室内ではしていなかった不織布の白いマスクをつけて、両手はポケットに突っ込んでいる。
「パトロールって一日にどれくらいするものなんですか?」
会話がないのも気まずいので、半歩先を歩くアダムに僕は尋ねる。
「そんなにしないよ。普通は二,三日に一回。事件が起きて、逃走中の特定の哲学者を追っているときはパトロールって名目じゃなくなるし」
「そうなんですね」
案外少ないのだな、と思っていると、アダムもそれを察したようで、
「俺たちが街中を四六時中歩き回っても、事件の場面にばったり遭遇することは稀だからさ。基本的にはデルニエが現れたって情報が入ってから現場に向かったり、事前に情報を得て、張り込みをしたりすることがほとんどなんだけど」
「へぇ」
「じゃあなんで効率の悪いパトロールをするのか、わかる?」
「少しでも、事件を未然に防ぐためとか、抑止力のためとか?」
「その意味合いも少しあるけど、大部分はアピールだね」
「アピール?」
「そ。ちゃんと仕事してますよーってアピール。こうでもして何か仕事してる姿勢を見せないと、穀潰しだと思われる。俺らの支部の管轄、デルニエ関連の事件は少ないから」
「そうなんですか」
僕はあまりに正義感のない発言に拍子抜けする。ただ確かに、僕は上京してきてからずっと第六支部の管轄の地域で暮らしてきたが、デルニエに襲われたのは数日前の一回きりで、そもそも知り合いから哲学者の話が出ることすら稀だった。
「……ムサシ県は地域によってデルニエの犯罪件数が顕著に異なる。一番安全なのは本部のある県中心部。次に第一、第六支部が件数が少なくて、第三、第四、第五、第七支部が横並び、第二、第八、第九支部が特に酷いって感じ」
自分が哲学者になるまでは、どこの地域がデルニエの被害が多いかなど、気にしたこともなかった。それだけ、自分事として考えていなかったということだろう。
「君が第六支部に配属されたのは、捕獲したのが俺らっていう理由の他に、その理由もあるんじゃない? 新人を育てるのには充分すぎるほど時間が有り余ってるから」
「そ、そんなに事件が少ないんですか」
事件が少ないことは喜ばしいことではあるのだが、肩すかしを食らったような気持ちになる。
「組織の中には、無能の第六支部って言うやつもいるくらい」
「それは……、酷いですね」
「そもそも、うちの支部は人員が戦闘向きじゃないからね。忙しい支部からそう思われるのは、まぁ仕方ない」
戦闘向きじゃない? 僕はその言葉に疑問を覚える。僕はハンナと一度手合わせをしてもらっただけだが、あれだけ慣れた戦い方をしているハンナでさえ戦闘向きではないのだろうか。
「でも最近、うちの支部の管轄でも不思議と最近、デルニエの目撃情報が増えてるんだ。君を襲った哲学者、『カール・マルクス』もその一人」
僕はそこで初めて、自分を襲った人物の名前を知った。
「あいつ、そういえば捕まったんですか?」
「まだ。他の支部の管轄の地域に逃走した形跡があって、今はうちのメンバーの一人が他支部と合同で捜査してる」
「そう、ですか……」
僕も当時は能力を制御できていなかったとはいえ、自分と先輩を襲ったデルニエを捕えられなかったことを歯がゆく感じる。
「それと、必要な場面以外では自分が哲学者だって無闇矢鱈に言わないように」
アダムは口元にひとさし指を押し当てる。
「どうしてですか?」
「面倒だから」
曖昧な返答に首をかしげたくなるが、とにかく肝に銘じておくことにした。
「ち、ちなみに今はどこへ向かってるんです?」
アダムに連れられて、僕は日中人口の密集している都市部から、住宅街の方まで来ていた。
「向かうも何も、今はパトロール中だから」
無関心な様子で応えるアダムに僕は少なからず失望する。パトロールをするならば、人通りの多い都市部を巡回した方が良いはずだ。結局彼は、パトロールをしているという体裁だけを守れていれば良いのだろう。
そもそも、支部に一人しかユーバーが在中していないこと自体おかしいのだ。人々の平和を守るためならば、いつ何時でも、どんなトラブルにも対応できるようにするべきなのに。正義を掲げているくせに、内実はこんなものなのだろうか。
僕はふつふつと湧き上がってきた苛立ちを抑えるために、深呼吸をする。
そんなときだった。僕達の進行方向にある曲がり角から、笑顔で談笑しながら歩く三人組の小学生が見えた。下校途中だろうか、と微笑ましく思いながらすれ違うと、どこか違和感を覚えた。
その違和感は、彼らの十数メートル後ろから現れた一人の少年を見てはっきりした。
前を歩く三人の少年は誰もランドセルやリュックサックを背負っていなかったのだ。それに対し、彼らの後ろを歩く少年は自分のランドセルと、おそらく三人のものであろうというランドセル、併せて四つを抱えてふらふらと歩いていたのだ。
いじめ、だろうか。いや、もしかしたら彼らの中でかわりばんこに荷物を持つゲームかもしれない。声を掛けるべきなのか……?
そんなことを考えているうちに、アダムはその少年に歩み寄る。すると、少年の抱えていたランドセルがふわっと宙に浮く。アダムの能力によるものだろうか。
驚いた顔をする少年にアダムは優しく語り掛けた。
「困ってんなら、はなし、聞こうか?」
息も絶え絶えに歩いていた少年は、自動販売機で買ったジュースを手渡すと、それを一気に飲み干した。だいぶ喉が渇いていたようだ。少し時間を置くと落ち着いたようで、少年はゆっくりと話し出した。
「ケンゴたちは、家も近くて小学校に入る前から友達だったんです」
ケンゴというのはさきほどすれ違った少年たちのうちの一人の名前だろう。
「でも、去年、ぼくたちが五年生の時に、ぼくの父さんが哲学者になったんです。その噂が学校中に広まっちゃって……」
「で、いじめられてるわけか」
アダムの言葉に少年はこくりと頷く。
「それからです。何かにつけて避けられたり、父さんを犯罪者呼ばわりされたり、挙げ句の果てには『お前の父親は倭人じゃないからおかしくなったんだ』とか言われたりもしました」
僕はその言葉にドキッとする。いじめっ子と同じじゃないか。アダムの目をもの珍しく思った自分も。
「でも、小学校を卒業するまでの我慢だったんです。卒業したら県外に引っ越して、みんなとは違う中学校に通うつもりだから。それなのに、つい数日前に母さんが……」
そこまで言って少年は堰が切れたようにぼろぼろと大粒の涙をこぼし始めた。
僕は悲痛に顔をゆがませる。彼の母がどうなったのかはわからない。苦しみの末に家を出てしまったのか、少年への虐待を始めたのか、それとも、それ以上に取り返しのつかないことになったのか。
「そうか、辛いよな」
アダムは少年の肩を抱く。
「……、君は、父親が憎い?」
アダムの言葉に、少年は顔を上げる。
「自分や母親がこんな状況に、こんな苦しい思いをしてるのは父親のせいだって、父親さえいなければって、思う?」
アダムのその問いかけは傷心した少年にするものとしてはふさわしくないように思えた。
「そ、そんな質問は……」
僕が割って入ろうとすると、少年が首を振る。
「ううん」
少年は瞳一杯に涙をためている。
「父さんは、父さんだから……。確かに今、つらいことも一杯あるけど、父さんは優しくて、かっこいい、憧れの父さんだから……」
その言葉に嘘がないことは誰の目からも明らかだった。
「その気持ちがあるなら大丈夫だ」
アダムは少年の頭をわしゃわしゃと撫でる。僕はそのとき初めて、アダムが笑った顔を見た。
少年を家まで見送ったあとで、アダムは僕に語りかける。
「身内が哲学者になってしまった人間にはああいうケースは良くある。なにか事件を起こした場合じゃなくても、哲学者は奇矯な存在として見られ、徐々に社会から排斥されていく」
聞いているだけで心苦しい話だった。僕が黙ったままでいると、アダムはこう続ける。
「伊瀬、だっけ。君、俺が都市部から離れた地域のパトロールをしてるとき、『こいつ、サボるつもりだ』って思ったでしょ」
「い、いやそんなことは……」
僕は図星をつかれて焦る。そんな僕に構わずアダムは話し続ける。
「確かに、市街地を暴れ回るデルニエと戦う方が正義のヒーローっぽいし、『やってる感』はあるかもしれない。でも、さっきも言ったようにそんな事案は稀だ。見えないところで苦しんでいる人の方がよっぽど多い。そして、そのほとんどを俺たちは救えずに、両手から取りこぼしている」
僕は奥歯をぎゅっと噛みしめる。
「もっと言うと、さっきみたいなケースは俺たちの出る幕じゃない。母親に問題があるにせよ、学校でいじめがあるにせよ、デルニエが直接的に関わっていない以上、俺たち以外の適切な行政機関が対処する」
哲学者は全員が全員、暴走して自我を失うわけではない。そのため自身が哲学者であるということを隠して生きている者も少なからず存在する。それは、自身が哲学者であるということが回りに知れ渡って、今回のような差別を被るのを恐れてのことだろう。そのためユーバーと言えど、哲学者申請届を出した者や、危険性があると見なされたデルニエ以外に行使できる権力はない。
それは正論ではあるのだが、あまりにも薄情な言い分に思えた。
「そんな冷たいこと……!」
「でも!」
アダムは僕の言葉を遮るように、少し声を張り上げて言った。
「デルニエの脅威から人々を救うのが俺たちの仕事だけど、別にそれ以外を救う力が俺たちにないわけじゃない」
アダムの言葉の一つ一つは、芯の通ったものだった。
「今みたいなケースに深く踏み入って、根本原因を解決することは俺たちの権限ではできない。でも、困っている人たちに助言をしたり光を見いださせたりすることくらいならできる。いや、するべきだと俺は思う」
僕は自分を恥ずかしく思った。少しでも困っているように思えたら、いち早くあの少年に声を掛けるべきだった。もしそれが勘違いであっても、苦しんでいる人間を見過ごすことよりはマシなはずだ。それを咄嗟に行動に移したのは、紛れもない、アダムだ。
それから、勝手に勘違いして心の中でアダムを貶めた自分を殴りたい気持ちになった。行動が、気持ちが伴っていないのは僕のほうじゃないか、と。
「すみません!」
僕はアダムに頭を下げる。突然の謝罪に、アダムも目を丸くして、思わず足を止めた。
「な、なに……?」
「僕、勘違いしてました。自分は人類を恐怖に突き落とす怪獣を倒すヒーローのような存在になるべきなんだって。それが、ユーバーになった自分のすべきことなんだって。でも、そうじゃないんだ。不安や心配はもっと足下に転がっていて、そこから始めなきゃいけない。その苦しみを理解できるようにならないと、意味がないんだ」
「お、おう……」
「僕は、その上で、人の苦しみを理解してあげられるようになった上で、自分が、みんなが大切に思っている人を守りたい……です」
決意を語っているうちに、なんだか恥ずかしくなり、僕の声量は尻すぼみに小さくなる。
「……ま、なんにせよ、腑に落ちた行動原理が見つかったんなら良かったんじゃない」
そう言ってアダムは再び歩き始める。
「あとずっと気になってたんだけど」
アダムは僕と目を合わせずに言う。
「別に、敬語じゃなくて良いよ。なんか気まずいし」
僕はここでようやく、アダムはぶっきらぼうなのではなく、ただ少しシャイなのだということに気がついた。
「ありがとう……、ございます。でもまぁ、徐々にで」
僕は僕ですぐに敬語をやめるのも小っ恥ずかしく、はにかむ。
「……まぁ、なんでもいいけど」
フードに隠れてよく見えなかったが、アダムも少し、口元が緩んだような気がした。
アダムとの任務を終え、帰路につく。結局、あの後のパトロールでも事件らしい事件は起きなかったものの、無意識に緊張していたのか、今になって疲れを感じている。
時刻は午後十時。数日前にもだいぶ冷え込むようになったな、と感じていたのに、今日はまた一段と寒い。雲一つない星空と澄んだ空気がなおさら、寒さを強調させている。
「おや」
そんな事を考えていると、前から歩いてくる人物が突然声を掛けてきた。
「奇遇ですねぇ」
それはあの日出会った奇妙な自称占い師だった。初めて会ったときのような大荷物を抱えてはいないが、身なりはあのとき同様、整えているとは言い難かった。
「あ、この間の……」
「お仕事帰りかな? 若いというのにこんな時間までご苦労なことですね」
「えぇ、そんなところです」
「失礼ですがお仕事は何を?」
僕はアダムの言葉を思い出しながら丁重に言葉を選ぶ。
「……、公務員のようなものを」
「なるほどなるほど……」
そう言って、あのときと同じように、大きな瞳で僕の目を見る。だが不思議と今回は、あのときのような不気味さを感じることはなかった。
「あのときに見えていた凶兆が消えてますね」
自称占い師はそう言って微笑んだ。占いの結果など毛頭信じていなかったが、改めてそう言われるとどこか安心している自分がいる。
「そうですか、良かった」
「なにか心境に変化でも?」
「えぇ、環境が変わったというか、今までとは全く違う人生が始まった感じなんです。今まで見えていなかったものが見えているというか」
実際、それは嘘偽りのない言葉だった。哲学者に目覚めて、第六支部のメンバーと出会うことで僕の人生観は大きく変わった。
しかし、見ず知らずの人間にここまで話すつもりはなかったのに、いつのまにか気持ちよく本音を引き出されてしまっていることには驚いた。彼の話術が巧みなのか、それとも思っていた以上に自分の気持ちが高揚してしまっているか、もしくはその両方だろう。
「それは結構なことですね。しかし、大事なものを見失いませんよう……」
「え?」
「新しいものが手に入ったときは、得てしてそれ以外のものを見落としがちになるものですから」
そう言い残し、自称占い師は、それでは、とその場を去って行った。
空を見上げると、先ほどまで雲一つなかったはずなのに、今は月も雲に隠れて見えなくなっていた。
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