第四話 理解①

「えっと、この辺りのはず……」

 ハンナの指導から数日後、無事に手続きを済ませ、エウダイモニアのメンバー、ユーバーとなった僕は、事前に教えられた住所を頼りにエウダイモニア第六支部を探していた。

 昨日までお世話になっていた本部は広大な敷地内に、本部ビル、病院、哲学者教育機関などの建物が建っており、なおかつ内部の設備も充実していた。

 あの施設を見たら、支部もさぞ立派なのだろうと胸を躍らさざるを得ない。実際、提示された住所は県内でも有名なオフィス街で、口をあんぐりと開けなければ見上げられない程大きなビルが点在している。


 大体このあたりだろうという場所までは来たものの、当該の建物がどれなのかわからず首を左右に振っていると、支部長がこちらに手を振っているのが見えた。

「やぁやぁ、無事到着できたみたいで良かったよ」

「すみません、近くまでは来れたんですけど……」

「ああ、第六支部はここだよ」

 そう言って支部長が指さしたのは、大企業のオフィスが入ったビルとビルの間にある、小さな雑居ビルだった。


「え、えっと、どこですか?」

 僕は思わず聞き返す。

「え、だからここだけど」

 先ほどから支部長が示す三階建ての雑居ビルは、外観こそ綺麗ではあるものの、左右のビルと比較するとおもちゃのようで、僕の想像していたものとははるかにかけ離れていた。

「な、なるほど……」

「ちなみにうちの事務所はここの三階なんだけど、エレベーターが故障してるからここの階段を使ってね」

「なるほど……」


 相づちがおざなりになるくらいには僕はショックを受けていた。別に素敵なオフィスを望んでユーバーになったわけではないが、それでも理想を裏切られたときの驚きは大きい。

「あ、案外こぢんまりとしてるんですね」

 階段を上りながら僕は思わず口に出す。すると支部長はいつものようにあっけらかんと、

「うん、基本的に訓練や大きな会議なんかは本部で行うし、支部といっても交番みたいなものなんだよね。ボクはもっといろいろ充実させてくれって言ったんだけどさぁ」

 支部長は口を尖らせる。


「そういえば、もう傷は癒えたかい?」

 支部長が言っているのは訓練場でのハンナとの一戦のことだろう。

「えぇ、おかげさまで」

 病室で目覚めたときにも感じたことだが、身体能力の向上に併せて、哲学者は治癒能力も高くなっているらしい。目に見える傷はもちろん、痛みが残る部位もなかった。ハンナが手加減してくれていたのかもしれないが、それでも常人ならば数週間は満足に身体を動かすことはできなかったはずだ。

「そっかそっか、なら良かったよ。なにせ今日はヤマト君の歓迎パーティーだからね」

「え?」


「大事な仲間が増えたっていうのに、お祝いしないわけにはいかないじゃない」

「あ、ありがとうございます」

「決して、経費で贅沢したいなんて邪な気持ちではないよ」

「それ言わなきゃ僕も気がつかなかったですよ……」

 支部長はゴホゴホとわざとらしく咳をする。

「とにかく、みんなにいろいろな買い出しや飾り付けを準備してもらったから、盛大な歓迎会になるはずだよ」

 僕は第六支部の外観にがっかりしていた先ほどまでの自分を申し訳なく思う。未熟な自分をこれだけ温かく迎え入れてくれるところがあるのだ。それだけで充分すぎるじゃないか。


 三階まであがった僕は、目の前にある第六支部のドアを開ける。歓迎会というくらいだ。入った途端にクラッカーでの出迎えがあることも考慮して、大きい音に備えてから、僕は元気よくドアを開ける。

「今日からお世話になります! 伊瀬ヤマトです! 宜しくお願いします!」

 しかし、想定していたような出迎えはなかった。それどころか、話に聞いていたような部屋の飾り付けや食事の準備もない。ただただ、僕の所信表明が部屋中に寂しく反響している。

「あの、支部長、これは……?」

 後ろにいる支部長を見ると、顎が外れたかのように口をあんぐりと開けている。どうやら支部長にとっても想定外だったらしい。

「騒々しいな。なに……?」

 誰もいないと思っていた室内には人がいたようで、ソファに寝転んでいた少年が身体を起こす。


「あ、君……、無事に入隊できたんだ」

 少年は僕を見て少し驚いた表情をする。僕を知ったような口ぶりに記憶を掘り返すと、僕が初めて哲学者に目覚めた暴走した際、僕が意識を失う寸前で現れた二人組のうちの一人だということを思い出す。つまり、彼がハンナとともに暴走した僕を捕獲したのだろう。

「その節はどうも……」

 少なからず、今の僕があるのは彼のおかげでもあるのだ。僕はペコペコと小さく何度もお辞儀をする。

「あ、アダム……、他の皆は……?」

 支部長がソファに座る少年に尋ねる。


「ルドルフは例の件でしばらく留守。ハンナは本部でトレーニング、九鬼さんは……、まぁ、いつもみたいにどっかぶらぶらしてるんじゃない?」

 支部長は文字通り、がっくりと肩を落とす。

「そんな……、九鬼君まで……。こういうときは手を組もうって約束したじゃない……」

残念無念な支部長を尻目に、僕は改めて挨拶をする。

「宜しくお願いします。僕、伊瀬ヤマトって言います」

「聞こえてたよ。俺はアダム・スミス。よろしく」

 僕が握手のために手を伸ばすと、彼は側にあったテーブルに置かれた除菌スプレーを僕の手に吹きかけ、それから握手した。

「よ、宜しくお願いします……」


 綺麗好きなのだろうか。それにしても初対面の人物にこんなことをできる人間はそういない。どうやら彼も一癖ある人物のようだ。

 15,6歳くらいに見えるアダムは白いフーディーを被った落ち着いた雰囲気の美少年で、ミルク色の髪は襟足を肩よりも下まで伸ばしている。長いまつげの先にある瞳は宝石のように澄んだ青色をしていた。

「目、気になる?」

 あまりにもまじまじと見過ぎたのか、アダムは自身の目を指さした。

「あ、すみません」

「いや、いいよ。このあたりの地域に住んでるのはほとんど倭人だから。俺みたいなのは珍しいでしょ」

「あ、そ、そうですね」


 アダムは気にしていないようだが、あまり人の顔をじろじろと見るのは失礼だなと反省する。

「そっかぁ、パーティないのかぁ……。今から準備してもなぁ……」

 支部長は未だ、経費で贅沢できなかったことを嘆いている。祝われる側だった僕としては、いやいや今からでも準備してくださいよ、という言葉が喉から出かかった。

「仕方ない……。捜査中の事件もないし、ヤマト君、今日はアダムに仕事教えてもらってよ」

 支部長の発言はとても投げやりなものに感じた。

「なにそれ。俺に八つ当たりしないでくれる?」

 アダムは面倒くさそうな態度を前面に押し出す。これまで会ってきた支部のメンバーの様子を鑑みても、よく言えば風通しの良い組織、悪く言えば支部長が舐められている組織のように思える。

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