断片 ハンナ・アーレント①

「怒らないんですか」

 夕暮れ時、本部を後にしようとする支部長にアタシは声を掛ける。

「なにが?」

 気づいているくせに、支部長はいつものようにだらしない顔で聞き返す。

「勝手に新人を試したこと」

 そう、あの場は支部長が丸く収めてくれたが、訓練場で伊瀬ヤマトの力を試したのは私の独断の行動だった。そして彼を暴走させ、あまつさえ死にかけたのは自分の落ち度だった。


「ハンナちゃんなりに考えてのことだろうからね。それに、能力をコントロールする訓練の手間が省けて結果オーライじゃない」

 支部長は親指と人差し指でまるを作る。

「……いつから見てたんですか」

「んー、どこからだろうね」

「だいぶ最初からですか」

「いや、ほら、僕はああいうシリアスなの苦手そうじゃない」

 そう言って支部長は肩をすくめる。


「それに、ハンナちゃんも感情的になって、本心もいろいろと見えてたからね。入りにくくってさぁ」

「……サイテー」

 そう言ってアタシは支部長の尻を蹴り上げる。

「イテテ……。まぁなんにせよさ、彼もボク達の仲間になったわけだから、そんなに邪険に扱わないであげてよ」

 アタシは無言で支部長を見つめる。

「彼の精神面も、少しずつ変わってきてる。それはハンナちゃんもわかるでしょ?」

「まぁ……」

「すぐに新しいものを受け入れることは難しい。けどそれは、ヤマト君も同じなんだ。彼も彼なりに、こっちの生き方に慣れようともがいてる、だからボク達もやるべきことをやる、ダメかな?」

「……検討しておきます」

「うん、ありがとう」

 支部長は笑顔を見せて、それじゃ、と去っていった。


 アタシは本部を出たすぐのところにあるベンチに腰掛ける。冷たい風が通り抜けていく。

「はぁ……。ダッサ。アタシ……」

 そう呟くアタシの足下に野良猫がすり寄ってきた。少し前からエウダイモニア本部に住み着いている野良猫だ。

「暢気な顔して、アンタは何考えてんの……?」

 アタシは問い掛けながら、手の甲でその猫を撫でる。

 猫は気持ちよさそうに目を細めるだけだった。

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