第三話 信頼②

 ハンナの能力と思われる何本もの鎖が縦横無尽に襲ってくる。僕は間一髪でそれらを躱す。

「ふーん、やっぱ哲学者になったってことは間違いないみたいね」

 自分の心臓の鼓動がやけに大きく感じる。僕はどうにかハンナの攻撃をやめさせられないか、頭を働かせていた。


「哲学者は固有の能力に加えて、通常の人間よりも身体能力が向上するのよ。人によって個人差はあるけど、少なくとも常人の二倍くらいにはなるわ」

「ちょ、ちょっと待ってください! 僕、まだ自分の能力がどんなものかもわかっていなくて、戦うなんてそんな……」

「だからこそよ」

 ハンナは冷たく言い放つ。

「そんな不確定要素の多い新人を組織に迎え入れることがリスキーだって言ってんの。その上、アンタは一度力を暴走させてる。言っとくけど、アタシは痛い目見させて反省させるとか、そんな生ぬるいことできないから。死にたくないなら、頑張った方が身の為よ」


 ハンナは再びこちらへ鎖を伸ばす。その不規則な動きを読み切れず、そのうちの一本が右腿の当たりにクリーンヒットする。

「ぐっ、うぅぅ……」

 鈍い痛みに悶絶し、うずくまる。

「し、死にたくないならって……」

 僕は少しでも時間を稼ごうとするが、ハンナはぴしゃりと言う。

「ユーバーには哲学者を捕獲、討伐する権利が与えられてんの。アンタが再度暴走したため、やむなく適切な処理をしたって伝えれば良いだけの事よ」

 鞭のようにしなる鎖が僕を襲う。先ほどよりも強い衝撃に、僕の身体は何度か地面を跳ねながら吹き飛ばされた。


「あまりにもアンタがふがいないから、もう一つだけアンタに教えておいてあげるわ。アタシの能力は『人間の条件』ヴィタ・アクティヴァ。他者に『裁き』と『赦し』を与える能力よ。今アンタに見せているのは『裁き』の力の方。罰するに値すると判断した人物、もしくは危害を加える恐れがあると判断した人物にのみ行使することができる。この大きな鎖を縦横無尽に動かして、鞭のように攻撃したり、拘束したりすることができるの」

 そう話すハンナの周りを浮遊する鎖は先ほどよりも数が増え、じゃらじゃらと不快な音を奏でていた。

「ま、それを知ったところでそのままのアンタじゃどうすることもできないわ。早く能力を使えるようにならないと」

 そう言ってハンナは右手を前に突き出す。まるで、いくつもの鎖に照準を定めさせるかのように。

「本当に死ぬわよ!」


 これまでよりも速い速度で襲い来る鎖に僕は回避することはおろか、防御を固めることもできず、胸部に強い衝撃を覚える。

 あ、これ、あのときと同じだ。

 その瞬間、僕の記憶から掘り起こされたのは、あの蛇の姿をした哲学者からもらった一撃のことだった。それと同時に、このままでは本当に死んでしまうということが現実味を帯びて感じられる。

間髪入れず、次の攻撃が襲い来る。

嫌だ、死ねない、死にたくない。あ……。

 あのときと同じ、深い眠りに襲われるかのような感覚とともに、目の前が暗くなっていった。



「ようやくお出ましってわけね」

 ハンナの声が聞こえる。目を開けると、僕は先ほどまでいた訓練場を天井の当たりから見下ろしていた。よく見ると、ハンナが見つめる十数メートル先にいるもう一人の人物、それは僕だった。いや、より正確に言うなら、昨日、写真で見たあの黒い鎧を身に纏ったような姿になった、つまり暴走状態の哲学者と成り果てた僕だ。

 僕の理性が完全に身体の外に飛ばされてしまったということだろうか。少なくともどうやら、僕の身体は完全に未制御の状態らしい。


 そこからの二人の戦いは壮絶なものだった。複数の鎖を自在に動かして攻撃と防御を同時にするハンナに対して、暴走体は自身を覆う黒いオーラを鋭利な針状に変型させて飛ばしたり、俊敏な動きで的を絞らせないように攻撃を回避するなどして応戦した。

 僕その間もはどうにか自分の暴走状態を止められないものかと画策したが、どれも効果は見られなかった。

 そんなときだった。一瞬の隙を突き、暴走体がハンナの懐に入り込んだ。ほとんどの鎖を伸ばしきっていたこともあり、終始優勢に見えたハンナもこれには防御が間に合わず、地面に組み伏せられる形になった。

 馬乗りになった暴走体がハンナの首元を両手できつく締め上げる。ハンナは苦悶の表情を見せながら腕を振りほどこうとするが、徐々に顔が青ざめていく。

 僕は全身から冷や汗が吹き出す。このままではハンナが死んでしまう。

「頼む、頼むからやめてくれ。僕のいうとおりに動いてくれよ……!」


「自分の身体なのに、『頼むから』、か。なんとも不格好だな」

 僕の耳元に低くくぐもった声が聞こえる。何者かが、僕の背後から手を回し、目隠しをする。

「まぁいい。私にもお前が必要だ。だから今回は、貸しにしておいてやる」

 そう言って声の主は僕の目を塞いでいた手を離した。すぐに振り返ったが、そこには誰の姿もない。前を向くと、そこには地面に仰向けに倒れたハンナと、彼女の首を掴む僕の両腕があった。


 僕は慌ててその手を離す。彼女は僕の身体を足蹴にして突き飛ばすと、ゴホゴホと何度かむせた。

 僕は自分の身体をまじまじと見る。浅黒いく変色していた肌はもとの色に戻っており、黒い鎧はボロボロと徐々に瓦解している。

「だ、大丈夫ですか?!」

 僕はハンナに声を掛ける。

「大丈夫かって、自分でやったくせによく言うわね」

「いや、あれは前みたいに暴走して……」

「この期に及んでビービービービーと……。ほんとムカつく……」

 ハンナは頭をかきむしるようにして、苛立ちを見せる。


「アンタは自分の思い通りにいかなかったことは全部自分のせいじゃないっていうわけ? アンタの力なんだから、アンタが制御できなかったらアンタのせいなのよ」

 確かにその通りだ。僕は僕の弱さ故に、人をこの手に掛けようとするところだった。いまだ手に残った人の首を握りしめる感触をなくそうと、僕は両手をぎゅっと握りしめる。

「ギリギリのところでコントロールできるようになったのは褒めてあげる。じゃあ、続きいくわよ」

「え、つ、続き?」

「哲学者としての自分の身体をコントロールできるようになれば合格だと思ってたわけ? 言ったでしょ。使い物になるかどうか見てあげるって」


 そう言って、ハンナは先ほど同様、無骨な鎖をしなやかに操作して攻撃を仕掛ける。しかし、今度は容易に回避することができた。

 先ほどの暴走状態の僕との戦いで疲弊しているのだろうかとも思ったが、何度か攻撃を避けるうちに、そうではないことに気がついた。

 明らかに自分の身体が軽いのだ。軽すぎると言っても良い。少しジャンプしようとすると5メートル近い跳躍になり、直線的な動きの鎖であれば腕ではじくことができる。その上、攻撃が多少当たった程度ではほとんど痛みも感じなかった。

「う、動きすぎてむしろ扱いづらい……」

 このままではらちがあかないと思ったのか、ハンナは攻撃の手を止める。


「もう疲れたわ。次で終わりにしましょ」

 そう言っていくつもの鎖をらせん状に絡み合わせ、一本の巨大な鎖を作り出した。

「待ってくださいって言っても、聞いてくれませんよね……」

「当たり前じゃない」

 僕は覚悟を決める。

僕が何者になれるかなんて、今はまだわからない。それでも目の前の課題を一つ一つ克服していかないと、その咲きには絶対にたどり着けないんだ。

 遠い先ばかり見て憧れるのは無い物ねだりでしかない、やるだけだ。僕は、今、僕にだけできることを、精一杯。


 僕の手にはいつの間にか金色に輝く弓と一本の矢が握られていた。不思議と、自然に身体が動く。半身に構え、弓を引く。手を離して飛んでいった矢は空間を切り裂くかのように進み、正面からぶつかった巨大な鎖を粉々に砕いた。

「や、やった……」

 僕は途端に身体が言うことを聞かなくなり、地面にうつ伏せに倒れる。

「は? なによ、その力……」

 ハンナが引きつった笑みを浮かべ、近付いてくる。僕にはもはや、満足に身体を動かす体力は残されていなかった。

「はい、そこまで」


 僕とハンナの間に割って入ってきたのは支部長だった。

「待っててって言ったのに、ヤマト君いなくなってるんだもん。いやぁ、びっくりしたよ。ハンナちゃんが稽古つけててくれたんだね?」

「いや……」

ハンナは気まずそうに顔を背ける。支部長はこちらに向き直る。

「実は、ヤマト君には内緒だったんだけど、新人はこうして多少強引に能力のコントロールを学ぶんだ。切羽詰まった状況の方が能力に順応しやすいってことでね」

「そう、だったんですか……?」

 少し不可解な点もあるが、確かにそれならばハンナが本気で僕を殺しに来ていたように見えたことや、強い口調を使っていたことにも合点がいく。初対面が取り調べだったため仕方ないが、ハンナには高圧的に接されていたので全く彼女の意図に気づくことができなかった。


「まさか今日やるとは思ってなかったけどね。なんにせよ、無事に能力を扱えるようになったみたいだし、よかったよかった」

 そう言って支部長は僕を担ぎ上げる。

「それじゃあ、僕はヤマト君を救護室に送っていくから、ハンナちゃんはおつかれさま」

「ええ……、お疲れ、さまでした」

 こうして僕の入隊0日目は終わった。暴走することなく力を扱えるようになったことは良かったが、まだまだ課題も山積みだ。それに、あのとき聞こえたくぐもった声、あれは一体何だったのだろうか。

……いや、まずは自分の成長を喜ぶべきだろう。そして、もっと先へ進まなくてはならない。もう二度と、自分自身に溺れないように。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る