第一話 dizzy①
「いやー、本当にやめちゃうの? もう少し考えてみない?」
「店長、昨日も言いましたけど僕の気持ちは変わらないですよ」
僕は苦笑いしながら、昨夜洗濯したアルバイト先の制服を店長に手渡す。
「ヤマト君、仕事覚えるのも早いし、常連さんたちからの評判も良かったからさ。残念だなぁ」
「あはは、そこまで惜しんでもらって光栄です」
店長は僕がアルバイトをやめることを切り出した一ヶ月前からこんな調子だ。実際、僕自身も高校を卒業し上京してきてから一年以上務めていたアルバイト先の飲食店をやめることに少々の寂寥感を覚えているのも事実だった。
「今、大学二年生だっけ? なにか根詰めてやりたいことでもできたのかい?」
「あー、えぇ、まぁ、そんなところです」
僕は苦笑いをする。
「そうか、いろいろ挑戦できる年頃だもんね。応援してるよ」
「ありがとうございます。お世話になりました」
僕は深々とお辞儀をし、店を後にした。
昨日までは暖かい日が続いていたが、うって変わって今日は冷たい風に鼻先をくすぐられ、もうすぐ冬が来ることを予感させられる。ふぅ、とため息をつくと、白い息は曇天に吸い込まれるように雲散霧消していった。
「嘘、ついちゃったなぁ」
アルバイトをやめたのは、何かやりたいことができたからではない。さらに言うと、三日前に大学に退学届を出した僕は、もはや大学生ですらなかった。
大学もアルバイトと同様になにか明確な目的があってやめたわけではない。『自分が今、なにをしているのか。なにをしたいのか』がわからなくなってしまったのだ。漠然とした焦燥感、自己喪失感は半年ほど前から徐々に僕の心をむしばみ、今となっては何をしていても心に影が差しているような感覚を覚えていた。友人と話していても上手く笑えず、原因不明の体調不良が増えた僕は、一度、すべてを投げ出すことにしたのだ。
なにも大学をやめずとも休学くらいにしておけば良かったかな、という後悔は残りつつも、僕の心はずいぶんと穏やかだった。今後の見通しが何も立っていないにも関わらず、つきものが取れたかのように身体が軽い。
思えば、僕は自分の意見というものをろくに持たずに生きてきた。
親の言うとおりの習いごとをし、友人に誘われた部活動に入部し、偏差値だけを見て自分の学力ならばまず受かるだろうという大学に進学した。地元の大学ではなく、ムサシ県の大学を選んだのも、世間体が良いからだ。
上京する前日、母親は僕にこう言った。
「むこうで何かしたいことが見つかれば良いね」
当時の僕はその言葉に適当に相づちを打っただけだったが、今となってみると、あの母の発言は僕の主体性の無さを心配してのものだったのかもしれない。
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