第4章

20話:幸福と復讐

 サイレンの音がした。

 人々の叫び声が聞こえる。

 身体中が痛い。寒い。

『おい! 早く怪我人を救助しろ!』

『しっかりしろ! 君は絶対助かる!』

『父親と母親は先に病院へ搬送した。最寄りの大学病院が受け入れてくれたから急げ』


 ……そっか。


 これはあの時の事故の記憶か。


 家族旅行中に走っていた高速道路で、俺と両親はトラックの居眠り運転で事故に巻き込まれて。

 何が何かわからないまま俺は意識を失った。

 ただ真っ暗な闇に吸い込まれていく感じで深い深い眠りに堕ちるようだった。


『頑張れ! 大丈夫だ、君は絶対助かる!!』


 ……でも父さんと母さんは助からないんだろう?

 知ってるよ。俺。

 病室で目を覚ましてもひとりぼっちだったから。

「俺だけ助かったとしてなんだってんだよ……」

 父さんも母さんも。

 なんで俺だけおいてったんだよ。

 一緒に連れてってくれれば楽だったのに。こんな苦しい思いせずに済んだのに。

 たった俺ひとり生き残ったってなんの意味もないのに。



『それは違うよ蒼汰。お前はひとりぼっちじゃない』


「……え?」


『お前にはもういるじゃないか。蒼汰を待っていてくれる大切な人たちが』


 この声。


「父さん」

 ずっと遠くの向こう側で。

 父はこちらを見て笑っていた。隣には母もいて朗らかな笑みを浮かべている。

「父さん……母さんも」

 俺がそちらへ向かおうとすると父は言う。

『いいか蒼汰。父さんたちのとこへ来るのはまだ先だ。来るならお前がビートバンなしでクロール百メートル泳げるようになってからだ! そう簡単には来させんぞ』


 お前はまだまだ修行が足らーんッ! わーっはっはっは!

 豪快かつ爽快な真夏の蜃気楼を彷彿とさせる暑苦しい笑い声。


 ああ、久しぶりに聞いたな。



「う、」


 手に温もりを感じた。

 誰かが握っててくれている?


「……ここは」

 目を覚ますと真っ白な天井が映った。ここはどこだ?

「皐月くん!」

 ベッドの脇。

 そこには花梨が涙を浮かべて俺の手を握りこちらを心配そうに見つめていた。

「よかった。目が覚めて!」

「花梨? 俺は……」

「ここは竹ノ宮市の大学病院。市ノ瀬高校から最寄りの病院に搬送されて、集中治療室が空いてるこっちの大学病院に移されたの。皐月くんずっと目が覚めないし……本当に……本当にどうしようって思ったんだから!」


 わあっと声をあげて花梨は泣いた。

「このまま皐月くんが起きなかったらどうしようって……ほんとに怖かったのよ私!」

 緊張や不安から安堵に変わった瞬間彼女の涙腺が弛んだのか、花梨の瞳から大粒の涙が溢れ出した。ずっと病院で付き添っていてくれたんだろう。彼女の目は濃い隈が刻まれていた。


「俺は、助かったのか。心配してくれてたのか」


 うん、うん、と首肯く花梨の嗚咽は止まらない。

 肩を震わせる彼女に俺は、

「ありがとう花梨」感謝を口にした。



 俺が目覚めたことをナースコールで看護師に報せると、動けない俺は寝たまま医師の診察を受ける。

 診察を終え病室へ戻ってきた花梨との話の続きを再開した。

花梨の目元はだいぶ赤みがひいていた。

「数ヶ月は入院だってよ」

「当然よ。重体の状態で搬送されたのよあんた」

「重体だったのか。アレでよく助かったな俺」

「……気分転換にテレビでも見よっか。すごいのよここ。テレビカード買わなくてもテレビ見放題なんだから」

 花梨がリモコンのスイッチを入れる。

俺は向きを変えようと寝返りをうつも全身に激痛が走り思わず呻き声をあげる。

「うっ、」

「無理に動いちゃダメだって。四階から転落してるのよ。全身強く打って骨も何本も折れてるんだから」

 顔をしかめる俺の背中にそっと手を添える。


「屋上から転落したあんたのグロい姿見た時の私の心境わかる? ずっと校門で待ってて二人とも帰ってこないし。おかしいなって思ったら校舎の方で悲鳴がするしその先で皐月くん血塗れで倒れてるし……もうトラウマよ」


「悪かったよ……」


俺はあの時、死というものを経験した。

 あの時の身体中の血液が抜け去っていく感触。全身が凍るような冷たい体温。怪我の痛みすら感じず遠のいてく聴覚と意識。

 俺は完全に死んでいた。


 ……なのにどうして俺は生きている?



 それにアイツは?

 ミカゲはどうなった?


「なあミカゲは? ここにはいないみたいだけど、あいつは大丈夫なのか」

「! ……それは……」

 花梨がもごもごと何か言おうとした時、

 流れていたテレビがニュースに映り変わった。

 ちょうどお昼の番組が終わったらしい。アナウンサーがニュース内容を読み上げる。


『本日は【いじめから生まれた負の連鎖】について詳しく報道していこうと思います』


「!」


 その内容に俺は痛みすら忘れて咄嗟に身体を起き上がらせてしまった。

 テレビでは市ノ瀬高校の校舎が映され、次に荒津小学校、中学校について報道された。当時の学校でのいじめ背景についてだ。


「これは」

「皐月くんが搬送された後、山之内は警察に連行されたわ。現行犯として。その後阿久津ユリナや当時のクラスメイトたちが彼についての情報を吐き出したの。滝里先生殺害の件、小中時代の御園影美いじめ自殺の件に関与してることが知られて今も取り調べを受けてる。過去の行動が世間の明るみに出るのも時間の問題ね」


 花梨の話によると今回の市ノ瀬高校での事件で捕まった山之内が関連した過去の学校でのいじめによる自殺事件が数年越しに表沙汰に取り上げられ、今になり実態が明らかになった。

学校側にも大きな責任があるとワイドショーでも現在一大ニュースとして報道されているらしい。


「ごめん。テレビつけない方がいいかも」

 ピ。

電源を消す。


「マスコミが当時の四年一組の生徒に聞き回ってるみたい。この病院にも来たよ。こんな状態悪い人に取材なんて信じられない」

「いろいろ助けてくれたんだな」

「メディアを追い払ったのはドクターだけど。そうだ、滝里先生は無事に地獄行きを撤回できたよ。極楽に送られるって。皐月くんにお礼を言えなくて残念そうだったわ」

「そうか。よかったな先生。俺たちの行動も意味があったんだな」

「あたりまえでしょ。私たち三人で頑張ったんだから……あ」


 三人。

 その言葉に反応してしまう。


「教えてくれ花梨。ミカゲは、あいつはどこにいるんだ?」

「……」

「花梨?」


どうして何も言わないんだ?


 花梨はうつむき、口を閉ざしたまま開こうとしない。

「……」

「おい花梨どうしたんだ。どうして黙りこむんだ」

「あ、あのね……」

「うん」

「あのね、皐月くん……ミカゲは……」

「あ。ちょっとまって」


 耳もとで羽音が聞こえた。顔付近に羽虫が飛んでいた。

 飛び交うそれをパチンと手のひらで挟む。


 手のひらに、潰れた虫の死骸。


「窓開けっ放しにしてたから虫が入ったみたいだな。悪い中断して。それでミカゲは?」

 質問を再開する俺を見て花梨は泣きそうな顔になった。

「花梨? なんでそんな顔するんだ」


「それですよ」


 別の場所から声がした。

 いつの間に現れたのか病室の片隅に閻魔が立っていた。

 俺の手のひらを指差し閻魔は言う。


「それがミカゲさんです」


「は……?」


「君が今潰したやつ。その虫が彼女が選んだ末路です」


 手のひらを見る。

 胴体が潰れ、羽がもげた虫の死骸。

「これが、ミカゲ?」

「……説明しなくてはいけませんね」

 状況が整理できないまま呆然とする俺を見て、閻魔は静かに息を吐いた。


「ミカゲさんは死んだ君を生き返らせるために自分の魂を代償にし、永遠に害虫として転生を繰り返す業を背負ったんです」

「は、転生? 害虫……?」

「君はあの日屋上から転落し死んだ。彼女は君を蘇生するため自分を犠牲にして君を助けたのさ」

「言ってる意味が……」

 静まり返る病室に開け放たれた窓から蝉の鳴き声が侵入する。

 急に爆音のように鼓膜に響いて三半規管がやられそうだった。


 閻魔の話す内容を頭の中で整理する。

 ミカゲは死者の蘇生という禁忌に触れる代償として、自らの魂を捧げ永久に業を背負う運命を享受することにした。

 それは虫として永遠に転生を繰り返す罰。

 短命の虫として何度も何度も生まれ変わり、永遠に人間として転生する資格を剥奪された。


「自殺者は次の転生で人に生まれ変わることはないが、何度も転生を繰り返せばいずれ人として生まれ変わることが赦される」

 だけど彼女はその資格を失った。

「ミカゲさんはずーっと忌み嫌われる害虫としてこの世を彷徨い続ける道を選んだってわけ」

「……!」


 そんなの。


「おかしいだろ!?」

 俺は閻魔に掴みかかった。

「なんでミカゲがそんな目に遭うんだよ!?」

「……」

 誰よりも苦しんで、それでも俺を助けに来てくれて、友達想いで優しいあいつがなんで!

「どうしてミカゲばっかり苦しみ続けなきゃいけないんだよッ!?」


 無理にベッドから起き上がったせいで点滴の針が腕から抜け落ちた。カラン、と点滴針が床に転がり乾いた音が静まり返った病室に響く。

「どうして! なあッ! おかしいだろうが! 戻せ、戻せよ! ミカゲを元に戻せッ!!」

「皐月くん!」

 花梨が俺を止めに入る。

「落ち着いて、」

「落ち着けるかよ!? ミカゲが、あいつがこんな状態になってんだぞ!? あいつを、影美・・を元に戻せー!!」

「その調子だと彼女の正体を知ったか」

 閻魔は涼しい顔でこちらを見下ろす。「きっと蘇生する際に彼女の走馬灯が君の精神に流れ込んだんだろう」

「え……御園影美? あの子が?

ミカゲが御園影美って、どういうこと……?」


 突如出た名前に困惑する花梨。


「影美ちゃんがミカゲなら、どうして自分が御園影美だって教えてくれなかったの? 荒津小の時だって教えてくれればよかったじゃん」

「彼女は自分が自殺した、いじめに屈した事実を皐月蒼汰に知られたくなかった。彼を救う。それだけが彼女の願いでした」

「そんなの……あの意地っ張り!」

「……」

 俺の頬に涙が伝う。

 背中越しに涙の温度が感じられた。俺を止める手は震えている。

 彼女はどういう気持ちで俺と再会したんだろう。


「なあ」

 俺は閻魔に問いかける。


「俺が本来の通り死ねば……元の死体げんじょうに戻れば、ミカゲは今の運命から解放されるか」

「な……」

「俺の生死でミカゲの運命が左右されるなら俺の命なんてくれてやる」

「さ、皐月くん?」

「俺の今生きてるこの命をやるからミカゲを元に、」

「馬鹿げたことを言うな。人間風情が」

 ゾッとするほど冷たい声が病室に響いた。

 愚者を見下すような温度のない表情で閻魔は俺を見る。


「なんのために彼女がこの運命を選んだか理解できないのか。皐月蒼汰、君のためだ。元に戻せば彼女の気持ちはどうなるんです。君は彼女の想いを踏み躙りたいのか」

「じゃあどうすりゃいいってんだよ!」


 俺は叫んだ。


「ちっとも嬉しくないんだよ俺だけ助かったって!! 俺のせいで影美も、ミカゲも、ずっと苦しみ続ける! それで誰が笑って過ごせるかよ!! あいつのおかげでやっと楽しく過ごせるようになれたのに。こんな最期、絶対に嫌だッッ!!」


 声が枯れるまで叫び続けた。

 掠れる喉の痛みも身体を蝕む傷痕の存在も忘れるくらい何度も何度も俺は慟哭した。


 窓には夕日が射し込んでいた。

 夕方の涼しい風が冷静さを取り戻させるように俺の頬を吹き抜ける。

 後ろを見ると花梨は顔を覆い肩を震わせていた。

 橙色の輝きに染まる病室は、まるで救いようもない世界の終末を感じさせるような彩りで。


「……くそ……」


 力なく床に座り込み頭を垂れる。

「どうすりゃいいんだよ……」


「“悔しいなら一生懸命生きてみろ”」


 降り注ぐ声は先程と違う声色だった。


「一生懸命生きて、人生棄てたもんじゃなかったって満足して死んでみろ。自分の生き様を全うして大往生して、幸せだったことを証明して。それが彼女への禊だ」


『最大の復讐は君がどんな奴よりも幸せな人生を謳歌することだよ』


「!」


 あの時言っていたミカゲの言葉が記憶から甦る。

「ミカゲ……」


 そうだ。

 ミカゲは俺の幸福を願ってた。


 映画制作などと言いつつ彼女はずっと俺の幸せを願ってくれていたんだ。


「俺は……幸せになっていいのか?」


「いいのかじゃない。皐月くんは絶対幸せにならなきゃいけないんだよ」


 座り込む俺を覗き込むように花梨もしゃがみこみ「ミカゲだけでなく私にも出会えたんだから」

「花梨」

「うん」


 力強くも温かく優しい表情でにっこり笑った。

 俺たちのやりとりを見て閻魔もため息を漏らすように笑う。


「彼女の望みを叶えられるのは君だけだ。願わくば禊という枷としてはでなく、彼女に希望を与えるため人生を歩んでいってほしい」


 俺の肩にぽん、と手を置くと閻魔は病室から姿を消した。


『悔しいなら幸せになれ』

 死神の少女は言った。

 お前が進めなかった先まで俺は進んでいく。

 それは寂しいし切ないけれど。

 その先で起きた未来も今までの過去も全部抱えて俺は生きていく。

「ありがとう」


 あの時共に戦った最愛の友達。

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