19話:変化

 園田花梨の第一印象は“絶対に仲良くなれないタイプ”だ。


 春の遠足で、最初彼からその女の名前を聞いた時動揺した。

 彼から私以外の第三者、しかも女子の名前があがるのが驚いたし、少しおもしろくなかった。

(おのれ園田花梨……)


 花梨はクラスでも一番目立つグループにいる。

 通称マドンナ。

 栗色に染めた艶やかな髪に柔和な笑みが似合う。誰からも好かれるガイドブックなんかあれば見本に載っていそうな女子。私と立ち位置も性格も正反対にあった。

 クラスの中心人物である彼女はどことなく、かつてのクラスメイトの阿久津を彷彿させる。

(あまりお近づきになりたくないな)

 私は花梨に苦手意識を向けていた。



 しかしその姿は本性を覆うためのヴェールであると数時間後に発覚。

 昼食のバーベキューでは互いに意地汚い戦いを繰り広げ、後の苺狩りでは彼女なりの苦悩を知る。

 園田花梨は思ったよりも存外わかりやすく、さっぱりとした人間らしい性格だった。意地が悪いがどこか憎めない、そんな彼女が私は嫌いじゃなかった。


 全然アイツと同じじゃない。

 花梨は阿久津とは違う。

「私は白詰ミカゲだ。もうアイツらに囚われる必要なんてないんだ」

 荒津小学校なんてものは、これから私と蒼汰くんが進む先に関係なんてないのだから。


 だから彼女の口から荒津小の話が出た時は驚愕した。


 成り行きで荒津小へ行くことになるなんて。

 そこで蒼汰くんは御園影美、私が自殺したことを知ってしまった。

 事実を知った彼は意識を失い倒れると、目を覚ましたベットの中で影美が唯一の友達になりたい人物だったと言った。

 私の中で嬉しさとやるせなさが溢れた。


 私が生きていれば。

 もう一回くらい希望を持ってみようと諦めることを躊躇えば、私はもう一度 影美の姿で蒼汰くんと会えたのかな。


 そうだ。

 彼は未だにひとりでこの世界を生きてるんだ。

 優しかった両親も、心を許したクラスメイトも彼の世界にはもういない。



「言っとくけど、私はあんたのこと友達だと思ってるからね」


 泣きそうな顔で花梨は言った。

「あんたには今、ちゃんと友人が二人・・もいるんだから弱気になんてならないでよ!」

 花梨の言葉はひとりぼっちの蒼汰を救う、一番必要な言葉だった。

 “二人も”という彼女の思いやりに私も救われた気がした。

「数に入れてくれるのは光栄だが、君の友達ではないからな」


 嬉しさの中に少々むず痒さを感じて、ついつい花梨を挑発してしまう。

 でも花梨は、

「私はあんたのことも友達だと思ってるわよ。友人その他大勢だけどっ。だって花梨ちゃん人気者だし~」

「…………むー」

 そんなことを言うから。

 友達とか友情とか、青臭くて嘘っぽくて大嫌いだったのに。

 私は嬉しくて頬が緩んでしまった。



◆◆◆



「滝里先生は二年前に亡くなられていますよね?」

 自殺者の亡霊から逃げ出す際、助けてくれた元担任に向けて、花梨は言った。

「……え?」

 戸惑いを隠せない蒼汰くんの隣で私は黙っていた。

 滝里先生が既に死亡していることを知っていた。

 彼女の死因が自殺・・ではないことも。


 だって、自殺者リスト一覧に滝里杏奈の名前は載ってなかったから。


 閻魔が渡した自殺者リストには自殺で亡くなった者、亡くなる予定の者のみの名前が掲載されている。

 つまり、他殺や事故死などで死んだ者はこのリストに載らない。


 滝里先生の名前が自殺者リストに載ってないことから彼女が自殺でなく他の死因だということは教室で花梨が荒津小についての噂話をしている時に既に気づいていた。


(滝里先生は何者かに殺害された?)


 事故の可能性も考えた。

 しかし、事故なら事故として処理する。

 わざわざ事故死を自殺として処理することはない。


(とすれば、自殺と見せかけた他殺か)


 彼女は誰かに背後を押されたと私たちに証言した。ほぼ他殺の可能性で間違いないだろう。

 荒津小のいじめ問題は私以外の人にも影響をもたらしている。


 滝里先生と話しているうち、彼女が当時の私に負い目を感じていたことを知った。彼女が四年一組の生徒たちによって苦しみ悩んでいたことも。


 だからといって簡単に許す気になれなかった。

(どうして?)

 私の心の中で例えようのない気持ちが渦巻く。


『悪いと思うなら何故あの時助けてくれなかったの』

『今さら謝っても私はもとに戻らないんだよ』

『遅いんだよ。何もかも!』


 それでも。滝里先生は目の前で鬼に喰われそうになる私を身を呈して守ってくれた。

 私を影美だと知ってるわけないのに。


『自己犠牲とかやめてよ……! あなたの代わりは何処にもいないのよ』


 彼女は変わった。

 変わってくれた。


 遅すぎたのかもしれない。今さら亡き生徒を庇っても自分が守れなかった生徒に詫びても、労っても償っても、全て遅すぎた。

何もかも手遅れだというのに。


 彼女の死後の行いは私の中の意識を変える。


「閻魔お前、本当は滝里杏奈を殺した犯人を知ってるんじゃないか?」


 このままだと滝里かのじょは自殺者として地獄へ行くことになる。滝里を天国行きにさせるには彼女を殺した人物を炙り出すこと。その間彼女をこの世に留まらせる分の寿命を代償として払ってもらう。

 すべては彼女が自殺でない証明をするために。

 それが閻魔が蒼汰くんに出した条件だった。


「私は自殺者リストしか持ってない。だから滝里杏奈を殺した犯人はわからない。だが閻魔、お前は違う。お前は地獄の首領トップ。全ての死者のデータを知り尽くしてるはずだ」


 ただ薄く笑みをつくる男に向けて私は問いかける。


「どういうつもりだ」

「さあなんのことやら。ミカゲさん勘違いしてませんか。自分は決して全知全能完全無欠じゃない」

「本当に?」

「どうでしょう? どう思います?」

「質問を質問で返すな」


 知ってても知らんぷりする閻魔の態度に眉をひそめる。

こいつ、何か企んでいるのか?


「そんな睨まないでくださいな」

 閻魔は私の頭に手を置きぐしゃくぐしゃと髪をかき混ぜる。


「やめろ」


 ぐいーと自分よりひとまわり大きな手を頭部から引き剥がそうとする。それでも男の腕力には敵わない。ぐしゃぐしゃ自由に頭をこねられる。

「彼と行動してみればいい。自ずと自分の意向が見えてくるでしょう」


「え?」


 ぼそりと何か言った気がした。


「閻魔、今、なんて」

「さあさあミカゲさん! 彼と謎解きゲームを楽しんでください。推理ゲームですよ。頭の準備はいいですか~」

「は、ちょ、お前、さっき何て言った、」

「彼の人生は君に託してるんですからねぇ。《求》傑作映画! ちゃんと良いもの創るんですよ~ファイトっ」

「話を聞けー!」


 私が聞き返そうとするも、にっこりスマイルの地獄の死者は私の問いを全力で誤魔化すだけだった。


 滝里殺害の犯人を見つけ出すため蒼汰くんは毎日懸命に事件解決に向けて動いていた。

 花梨も協力してくれるも、なかなか捜査は進展せず途方に暮れる毎日だった。


 私は彼に阿久津ユリナの名前を提示した。

 犯人と決めつけるわけではないが、彼女が私にした行いは劣悪そのもの。

 いじめの当事者として、阿久津がこの件に何かしら絡んでいるんじゃないかと疑ってしまう。

(私怨も入っているかもしれないが)

 一番情報を持っている参考人にしては最適だと思った。

 蒼汰くんは私から阿久津の名前を聞くと目から鱗という反応を示していた。本人曰く、視野が狭窄してたらしい。意見を出し合うのは大切だな。


 阿久津宅へ向かう途中の歩道橋で思わぬ人物に遭遇した。

「やあ、皐月くんじゃないか」

 その声に肌が粟立った。


 なんで。

 なんでこいつがこんな所に。


 今までの記憶が甦る。

 声も音も匂いも感触も感情もすべて。


(やめろ……思いだすな……っ!)

 顔から血の気が引く感覚がする。死んでいるのに、これは気のせいか。それとも経験則から細胞が感じているのか。


 蒼汰くんは山之内と穏やかに会話をしていた。

 蒼汰くんは彼の中学での行いを知らない。影美をいじめた主犯格の片棒だということも。

 彼にとって山之内は小学校時代の優等生なクラスメイトで止まったまま。

 二人の会話に顔をうつむかせることしかできない自分だったが、明らかに一つだけ山之内の言動に違和感を感じた。


 彼が来た方向。

 学校の帰りだと言っていたが彼が来たのは学校と真逆の方向からだった。


 市ノ瀬高校は影美が進路先として目指していた、いや、両親に目指すことを強要されていた高校だ。受験の下調べで足を運んだこともある。私が市ノ瀬高校の位置を間違えるはずがない。


「こちらが記憶に乏しいから、適当にでっち上げたんだろうな」


 この町を去った蒼汰くんが市ノ瀬高校の位置まで細かく覚えている可能性は低い。それに彼と共にいる私が同じ竹ノ宮市から来たと聞いて安堵の息を漏らしたのを私は聞き逃さなかった。

 私が影美と知るよしもなく安心しきった山之内はその場しのぎの嘘を吐いた。


(だが、どうして奴が嘘を吐く必要がある?)


 私にとっては高校の位置がどうよりもどうして彼が嘘を吐いたのか気になった。

「……」


 考え込む私に蒼汰くんが言った。


「お前、山之内のこと嫌いなんだろうな」


「!!」


 その言葉を私はずっと待ってたかもしれない。

 彼のその言葉を心の奥のどこかで望んでいる自分がいた。


 だって蒼汰くんは中学のときの山之内を知らない。

 山之内が中学でいじめを率先するようになることを。

 影美をいじめ自殺に追い込んだことも。


(私が影美だと知られたくないのに、君にこれ以上傷ついてほしくないのに)


 なのに。


 これまでの私の辛さをわかってほしい。


 知ってほしい。

 気づいてほしい。

 慰めてほしい。


 そう願ってしまう自分がいた。


 せっかく前を向き、花梨という友達を得てクラスにも溶け込んできた彼を、私が過去に引き戻すわけにはいかない。

(また蒼汰くんが傷ついてしまうのは嫌だ)

 矛盾してる。

 わかってほしいのに、知ってほしくないなんて。

 だけど。私は君の言葉でまた救われたんだ。



 阿久津ユリナは当時と全く変わらずあの阿久津ユリナのままだった。

 昔のことを蒸し返す私たちを煩わしそうに邪険にする態度も高圧的な視線も 当時のいじめっ子そのもので、反省も後悔も後ろめたさも何一つ感じさせなかった。


 彼女の態度に蒼汰くんは爆発するのかと思わせるほどの怒りの感情を露にした。

 蒼汰くんがあんなに怒った姿を見るのは初めてで、冷静さを失った彼がそのまま阿久津の細い首を絞めてしまいそうで怖かった。

 凍りつく空気を破ったのはユリナだった。

 彼女は滝里について口外にするなと口止めされてたこと、口止めした人物が犯人であることを告白した。


 彼女から告げられた犯人の名前。


 その名前がついさっき歩道橋で対面したばかりの男の名前で。



 山之内淳平。



「そもそもあいつが悪いのよ!! あの子が自殺なんてするから。あんな死に方するから! だからこんな面倒なことになったじゃん! 私を苛立たせていじめさせて、御園が悪いんじゃん! 御園こそが負の連鎖を作り続けてるんだッ!! 今だってあいつのせいで! あいつさえいなければ!!」


 阿久津の暴言は鼓膜の奥にまで刻み込まれた。

 頭を殴られた衝撃と近いものだった。


 私は自分がとんでもない過ちを犯した。

 私の自殺は自分に対してだけの罪ではない。誰かを巻き込み人生を狂わせるもっと重大なものだった。


 私の死が、山之内の滝里殺害を誘発した。


 間接的に滝里を殺したのは私。


『あいつのせいで! あいつさえいなければ!!』


 私が、私がいたから……


 意識が暗い方へ闇の底へ沈んでいく。





「あんたたちに出会えたおかげかもね! 私、今すっごく楽しいもん!」


 夕日が照らす花壇の隙間でしゃがみこむ私に降ってきたのは無邪気な花梨の言葉だった。

 花梨の言葉は救済だった。

 彼女は私と出会って感謝してくれた。友人になってくれた。

 花梨だって器用な人間じゃない。自分の在り方に葛藤する繊細で心優しい少女だ。

 花梨の言葉に私は救われた。

 許された気がした。


(花梨が影美・・の友達でいてくれればどんなに心強かったろう)


「タイミングだな」

 夕暮れ時、笑い合う蒼汰くんと花梨の二人を見て私は自嘲気味に笑った。ため息の温度は少し温かい。

 それはそうとしても、

「……なにメモリあっているんだ」

 いい感じな空気を纏う二人に一滴くらい水をさすくらい、バチは当たるまい。

 だってちょっと悔しいし。



◆◆◆



 私たち二人は市ノ瀬高校の屋上で山之内と対面した。

 橙色に輝く夕日は夜の闇に侵食され、まるで熟れた果実のようだった。


「御園影美……あいつが僕は許せなかった」

 私たちに追い詰められた彼は言う。

「御園影美は優秀だった。誰よりも聡明で、謙虚。気取ることなく明るく振る舞い、彼女を慕う友人も多くいた。これならつり合いがとれると思った。僕と」

 それなのに、

 山之内はフェンスをガンッ!! と叩き呪詛のように影美への怨みを吐き出す。

「それなのに、御園は僕のことを見向きもしなかった! 完璧に生きてきた僕が生まれて初めて屈辱を受けた」

 自殺して当然のことをあいつはしたんだ!!


 その言葉を聞いたとき、私は山之内の頬を打っていた。


 自分なんか。

 そう思ったことは何度もある。

 死んでからもずっとそう思ってた。


 でも、蒼汰くんと再会して、花梨と出会って私は救われた。


 学校に行って、信頼できる人と共にいることに安らぎを覚えた。

 大嫌いで苦痛だった場所の記憶をふたりが塗り替えてくれた。

 自分を責めることをやめようと思えた。

 二人が明るい方へ引っ張っていってくれた。


 私は誰かに蔑ろにされていいわけない!

 踏みにじられて当然の命なんてない!


 一生懸命生きてたんだ!!


 張られた頬を押さえ呆然とする山之内の瞳に目をそらさず私は訴える。

「自分のことばかり考えて、人のことを踏み躙る奴のことなんか、誰が見ようとする?」

「な、なんなんだお前は。お前には関係ないことだろう?」

「ああ。関係ないだろうな。聞いててあまりにも腹が立ったから。相手に同情しただけだ」


 山之内の顔を覗き込んでゆっくりと言ってやる。

「彼女がふる気持ちがわかるよ。心からお前のことが嫌いだったんだよ。彼女に代わって代弁してやる」


 今までの怒り、意思を込めた強い眼差しでい抜くように見つめ言ってやった。


 今まで言えながった全ての気持ちを今お前にぶつけてやる!



「お前なんか、未来永劫、生まれ変わったって金輪際お断りだ!」



 ーーガシャンッ!!



 次の瞬間には私の身体は脆いフェンスに叩きつけられていた。


「……っ」

 ミシッ、と嫌な音を立てた。

 襟元を掴む山之内の目は爛々と危うい輝きを放っていた。

「ミカゲ!!」私を呼ぶ声が聞こえる。

 蒼汰くんが叫びこちらへ駆け寄る。

 ミシリ。またフェンスがまた嫌な音を立てた。

 山之内から私を引き剥がそうと蒼汰くんが憤慨するも虚しくフェンスはぱきん、とあっけなく折れる。


 私の身体はふわりと宙に舞った。

「あ」

 そう思った時には遅く。

 ゆっくりと。スローモーションのように身体は引力が働く方へ導かれていく。

 蒼汰と目が合った。

 その表情は驚きと絶望が渦巻いていて。


(ダメだよ)


 君にそんな顔をしてほしくない。

 大丈夫。

 君はもうひとりじゃない。私がいなくても生きていける強い君だ。



「蒼汰。“彼女”の為に本気になってくれて、ありがとう」



 最大限の、感謝の気持ちを君に向けて。


 私の二度目の人生は安堵と感謝で幕を閉じるはずだった。




 なのに。




「……う」

 一瞬何が起きたのかわからなかった。

 訪れたのは軽い痛み。鈍痛。

 倒れた身体を起こすと私がいるのは屋上の床の上だった。そこには呆然と立ち尽くす山之内がいて。彼が真下、折れたフェンスの向こう側を見て震えてるから。


「蒼汰ッッ!!」


 まさか。

 どうして。

 それ以外何も言葉が気持ちが追いつかなくて。

 私の真下から聞こえる悲鳴の合唱。

 紅い紅い海。

 蒼汰くんは屋上下の校舎前の地面で血溜まりのなかに沈んでいた。




「これが彼の運命だったんですよ」

 後ろから声がした。

 振り向くと閻魔がフェンスの上に腰かけていた。

「閻魔」

 彼の座る脆いフェンスから軋む音は一切しない。この男のなかに重力という概念は存在しないのか。

 周囲の景色は夕日の照らす橙色色の空間から灰色がかったモノクロームのもの変わっていた。景色だけでなく、その場にいた山之内も、屋上下に集まる生徒や職員たちも動いてない。

 時が止まっている。

 閻魔が止めたのか、彼と私だけが時を停止した空間で動いていられた。

 閻魔は話を続ける。


「もともと皐月蒼汰は五月に屋上から飛び降りて自殺するはずだった。それをミカゲさん、貴方が介入したおかげで彼の人生は本来の時間より長く生き永らえたんです」


 血の海に沈む彼を見つめ閻魔は振り返る。


「付加された命にしては上質な人生を送れたんじゃないですか。まあ……エピローグは最悪ですが、それはミカゲさんの編集次第でどうにでもなりますからね」

「頼む閻魔! 蒼汰を生き返らせてくれ!!」

「何を言うんです。死んで尽きた命が元に戻るわけないでしょう。 それは貴方が一番よく知ってるだろうに」

「頼む!」

「彼の命は絶たれたんです」

「お願いだ! どうか、蒼汰を助けてくれ! そうだ、前みたいに死神の加護の力を使って、」

「あれは彼が飛び降りる前でしょう。死ぬ前だったからできたんです。あれだってギリギリアウトですからね。死んだ者に施せる術などないんです。諦めなさい」


 そんな……


「それに、僕は満足してるんですよ」

「満足……?」

「彼は御園影美の過去を知るとこまで辿り着いた。彼女が山之内淳平や阿久津ユリナにどれだけ苦しめられたか知って死んでいった。少しだけ報われたでしょう?」


「まさか」


 閻魔が蒼汰くんと私に滝里殺害の推理をさせたのは、蒼汰くんに影美の過去を知らせるため?


「そんなの、全然嬉しくない! 私のことなんて知ってほしくなかった!」

「おや。そう言っておきながら願ったこともあったでしょう? あわよくば、彼に自分の痛みを知ってほしいって」

「そんなことのために蒼汰が死ぬなんて望んでない!! 頼む閻魔! 蒼汰を生き返らせてくれ! なあ、滝里のときみたいに寿命の交換ができないか!? 代償なら私がいくらでも払うから。だから蒼汰を生き返らせてくれ!」

「死者の貴方が何を払うんです。それに、死者を留めるのと死者の蘇生は全く別物。死者蘇生は寿命程度でどうにもならない」

「じゃあっ、じゃあどうすれば助けられるんだ!?」


「諦めなさい。死者に死者の蘇生などできっこない。この世に残っているものなんてないのだから」


 この世に、残る……


 だったら。

 未だこの世に残る私の存在は。


「なら、私の魂を捧げれば、蒼汰は生き返るのか」


「……なんだって」


 だって、命が消えても魂は残る。


 閻魔の表情を見るとこの方法が突破口であることが窺える。


「私の魂をくれてやる。その代償で蒼汰を助けてやってくれ」

「君は本気で言ってるのか!?」

 血相を変えた閻魔は私の肩を強く掴んだ。

「お前にも申し訳ないと思ってる」

 強く肩を掴む男の手に私は優しく手を添える。

「そもそも死人を生き返らせるのは禁忌タブー。この世の秩序が書き換えてしまう。私は閻魔にたった一人のために世の秩序を変えろと言っているのと同じ」


 だけど。


「皐月蒼汰は私にとってはたったひとりの唯一無二のパートナーなんだ」


「それをすれば、君はこの先ずっと罪人として業に縛り続けられる。永遠に罪を償うため苦しみに耐える日々を送ることになってもいいと?」

 添える手は震えている。

 怖くないわけじゃない。すごく怖い。


 でもその恐怖より彼を守りたい気持ちの方が強いから。


「お前いつか冗談で言ってたよな。これが愛なんだろうな。私はどんなことがあっても彼に生きてほしい」

「……」

 肩を掴む手が和らぐ。

「死んだら終わりという考え方が嫌いと言ってたよな。私も同じだよ。お前にいろいろ教えられた」

「こんな時ばっか素直にならないでくれよ……」


閻魔は盛大にため息を吐く。


「後悔しない?」

「ああ」

 深く、うなずく。

「映画制作、途中で投げ出してすまなかった」

「本当ですよ。最期まで僕を振り回して。君は地獄始まって以来の問題児だ」

「ふふ。問題児か。生前は一度も言われたことなかったな」


 閻魔のやるせないような微笑みと同時に、私の意識は次第に闇へ呑まれていった。


 皐月蒼汰。いや、蒼汰くん。


 君だけはどうか幸せに。


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